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姉と弟  作者: 深江 碧
二章 弟視点
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弟視点4

 姉は不安そうに彼に尋ねる。

「でも、どこまで逃げるの? かくまってくれる知り合いもいないわたし達が、あの叔父さんから本当に逃げられるのかしら?」

 彼は姉を励ますようにつぶやく。

「それなら大丈夫だよ。姉さんは伯母さんのことを覚えてる? 姉さんが眠っている間、僕は隣国に住む伯母さんに連絡を取ったんだ。母さんの姉である伯母さんは、母さんと姉さんをとても気に入っていたから、退院したらすぐに顔を見せるように家を訪ねて来るように、と言っていたんだ。隣国の伯母さんの家なら、叔父さんもきっと手を出せないよ」

 彼は話しながら、どんどん表情が暗くなってくるのを感じた。

 伯母は母と姉をかわいがっていたが、父と彼に対しては冷たく当たった。

 そのため、彼からしてみれば伯母は極力関わり合いになりたくない相手だった。

 彼が伯母を頼ると言うことは、最後の手段だった。

「それも、そうね」

 姉は何も知らずにうなずく。

「伯母さんなら、きっと叔父さんからわたし達をかくまってくれるわよね」

 姉は少し気分が落ち着いたのか、涙は止まっていた。

 姉は彼から体を離し、指で涙をぬぐう。

「ごめんね、――。わたし、自分のことばかり考えていたみたい。あなたの気持ちをちっとも考えてなくて、本当にごめんなさい」

 彼は首を横に振る。

「いいよ。僕の方こそ、ただでさえ落ち込んでる姉さんを暗い気持ちにさせて」

 彼は目を伏せる。

 この先のことに思いをはせる。

 隣国に住む伯母に連絡を取り、いくつかの候補地をまでの道順を考え、最短距離を割り出す。

 ――彼女なら恐らく国境近くの街を指定するだろう。そこまで早くて丸一日といったところか。

 もしも病院を抜け出すなら今夜。

 それまでに荷物を準備しておかなくてはならない。

 彼が考えに没頭していると、姉の顔が予想以上に間近に迫っている。

 姉は首を傾げ、困ったように笑う。

「ううん、私の方こそあなたに当り散らしてしまって、本当にごめんなさい。考えてみると、あなたは入院しているわたしのところに毎日のようにお見舞いに来てくれていたし、落ち込むわたしの話し相手になってくれた。もしもあなたがいなかったら、わたしはずっと暗い気持ちのままだったかもしれない。ありがとう」

 姉は手を伸ばし、彼の顔を両手で包む。

 膝立ちになり、彼の頬に顔を近付ける。

 頬に何かが触れる感触がして、すぐに離れる。

 目の前には顔を赤くした姉が座っている。

「わ、わたしなんかのキスじゃ、全然うれしくないかもしれないけれど。他に感謝の気持ちを伝える方法がわからなくて。あなたにお礼がしたくても、今のわたしは何も持っていないから」

 姉は膝の上に手を置き、うつむきながら話す。

 現に、事故にあってこの病院に入院してから、姉は最低限の荷物しか持っていなかったし、姉を見舞う客もほとんどいなかった。

 姉の友人が訪ねてこないのも当然で、姉は知らなかったが、叔父の発表によって表向き彼女は両親とともに死んだことになっていた。

 彼女の葬儀は両親と共に執り行われ、事故のせいで遺体が原型を留めなかったとして、葬儀には白い棺が三つ並べられるだけで行われた。

 別れを惜しむ友人や知人に見送られ、三つの白い棺は墓地に埋められたのだった。

 叔父の言動に不審を抱いた彼だけが、ことの真相にたどり着いたのだ。

 姉の所在は叔父によって隠されていた。

 そのため家族である彼でさえ、姉の入院する病院を探すのにとても苦労した。

 あちこちから情報をかき集め、叔父が手を下す前にようやく居所を突き止めたのだった。

 彼は姉の行動に驚くと同時に、わずかに落胆し、渋い顔をした。

 どうせなら口が良かった、と心の中で念じつつ、彼は何食わぬ顔で応じる。

「ううん、姉さんにほめてもらえるなんて滅多にないことだから驚いちゃって。うん、うれしいよ」

 彼は姉への好意をすぐに心の奥底へと隠す。

 変わらぬ彼の態度に、姉は不満だったらしい。

口を尖らせ、そっぽを向く。

「どうせあなたのことだから、家族であるわたしよりも、美人の女性にお礼を言われた方がうれしいんでしょう? わたし知ってるんだから。あなたがしばらく家を留守にして帰ってくるとき、決まって女物の香水の匂いがすること。しかも帰ってくるたびに違う匂いがして。女性と付き合うのもいいけど、ほどほどにしときなさいよ。遊び半分で相手にして、泣かせたりしたら駄目だからね」

 どうやら姉は先ほどの恋人の話に、まだこだわっているようだった。

 彼はそれが姉のまったくの勘違いであることに気付いていた。

 彼は今までに女性と私的な関係を持つことはなかったし、香水のことだってただ単に体についた血の匂いを消すのに使っていただけだった。

 そのため香水はすぐに空になり、すぐに別の香水が必要になるのだった。

「そうだね。気を付けるよ」

 しかしあえで詳しい話をせず、彼は曖昧に笑う。

 そんな彼に姉はむっとして食いついてくる。

「本当に? 本当にわかったの? あなた自分が格好いいからって、女の子にもてると思ってるみたいだけど、女遊びが過ぎると女の子に信用されなくなるんだからね?」

 彼ははいはいと適当に相槌をつきながら、姉の話を聞いている。

 恥ずかしい気持ちを隠すために、姉がこんこんと説教をしているのを、彼はちゃんとわかっていた。

 彼は姉がそれだけ気持ちが立ち直って来たと考え、口を挟まずひたすら聞き役に徹していた。

 姉の話が途切れるのを待ち、彼は口を挟む。

「それで、さっき話した伯母さんの家に行く話だけど」

 彼は姉に話を切り出す。

 伯母と合流する具体的な手順を説明する。

 それには今夜、人が寝静まった頃を見計らって病院を抜け出すこと。

 それまでは飲み物、食事にも手を付けず、看護師や医者の動向に気を付けること。

 伯母に連絡を取り、指定された場所で落ち合うことを説明する。

 姉は黙って聞いていた。

 その顔には不安そうな表情が浮かんでいる。

 話し終えた彼は、姉を励ますように声をかける。

「大丈夫だよ、姉さん。伯母さんのところまで行けば、叔父さんも姉さんに手出しは出来ないはずだよ。安心してよ」

 彼は無理して明るい顔をする。

 姉は小さくうなずく。

「うん、そうね」

 ようやく姉の表情が和らぐ。

 はにかむように笑う。

「あなたがそう言うのなら、きっと大丈夫よね」

 彼は姉の顔をまぶしいものでも見るように、目を細めて眺めていた。

 姉の笑顔は、裏表のない素直な気持ちからくるものだった。

 彼が持とうとしても持てないものだった。

 姉の笑顔を見ながら、彼は目を伏せる。

 これからの先行きを案じる。

 最悪の予想が彼の頭を駆け巡る。

 たとえ、これから姉とともに二人で逃げても、彼一人で叔父の手を振り切れる自信はない。

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