~ ウサギとタカ ~
童話風。
どこかの世界の、いつかの時代の、どこかの森。
名前のないその森に、一羽のウサギが住んでいました。
暖かな灰色を影に落とす、滑らかな白い毛並み。
長い耳は頭に沿うように垂れていて。
赤紫の紫陽花色をしたまぁるい大きな瞳。
愛嬌のある小さな小さなウサギでした。
いっぽう、おなじ世界の、おなじ時代の、おなじ森。
名前のないこの森に、一羽のタカがやってきました。
澄んだ蜜色を影に落とす、ふわふわの金色の羽根。
頭のてっぺんから尾羽の先まで品のある金色で。
青紫の紫陽花色をした鋭く美しい瞳。
貫禄のある大きな大きなタカでした。
ある日、ある時、森の中にある大きくも小さくもない湖で。
小さな一羽と大きな一羽は出会いました。
小さなウサギは初めて見る美しいタカに見蕩れ。
大きなタカは初めて自分を怖がらなかった愛らしいウサギに目を奪われ。
湖のサカナが湖面を揺らすまで、二羽はじっ、とお互いを見つめていました。
その日は、その音にびっくりしたウサギが慌てて転げて湖に落ちたので、そこでお開きになりました。
次の日、二羽はふたたび湖にやってきました。
やはり、最初はお互いにじっと見つめ合っていましたが、やがて焦れたタカが翼を大きく広げて威嚇します。
もちろん、これは本気で威嚇している訳ではなく、ちょっと驚かせてやろう、程度の軽い気持ちでしたことです。
昨日のように驚くか、それとも自分を怖がるか。
そのどちらかだと思っていたタカは、獲物を見定めるようにウサギを見ます。
けれどもウサギはそのどちらでもなく、ただただ圧倒されたように、まぁるい瞳をさらに大きくしてタカを見ていました。
柔らかな日差しを受けて艶めく金色の羽が、今まで見たどんなものよりも美しく思えたのです。
だから、ウサギは言いました。
「きみのつばさは、つきのひかりで、できてるの?それとも、たんぽぽのはなびら?」
そんなことを言われるとは思ってもみなかったタカは、呆気にとられて何も言うことができません。
タカは前に住んでいた場所では、そんな風に言われたことなどありません。
森を焼く雷のようだ、とか、森に馴染めない異彩だ、とかは言われました。
それが、月光などと、蒲公英などと、そんな美しいものに、優しいものに例えられたことなんて、これが初めてでした。
「それに、とってもきれいな、あおむらさきいろ!よるがあけるまえの、やさしいいろだね」
そんなことを、キラキラと憧憬をはらんだ瞳で言われてしまっては、もうタカになす術はありません。
タカはただ、恥ずかしそうに翼をたたんでうつむいて、けれどどこか嬉しそうにはにかむことしかできませんでした。
その次の日、ウサギとタカは再び湖の前で出会いました。
会う約束をしていたので、出会うのは当然でしたが、それでも二羽は再会を喜びました。
ウサギはこんなにも美しいタカが自分と約束してくれたことが嬉しいのか、ニコニコと笑顔を全開にして話しかけます。
といっても、ウサギはこの森から出たこともなく、今の今まで友達と呼べるような動物もいませんでしたから、ほどんどが自分の好きなものやそうでないもの、森の美味しい木の実の在り処や、危険な場所と、真新しいものではありませんでしたが。
それでもタカは、ウサギの話を聞き流したりはしません。
一言一句聞き漏らすまいとするように、しっかりと耳を済ませ、相槌を打ちます。
ウサギにとっては真新しくないことでも、タカにとってはそうではありません。
出会った当初から自分の興味を引いて仕方ないウサギの話がつまらない訳がないのです。
それから次の日、次の月、次の年と、二羽は何時も一緒に過ごすようになりました。
次の日にはタカの好きなものを知り、次の月には二羽で野を、森を駆け、次の年には一緒に住むようになったのです。
ウサギは、いつなんどきでも世界を感じることに幸福を感じていました。
木漏れ日の午後に感じる微睡み。
曇天の空が運ぶ温い風。
空が零した涙の温度。
音を食べる雪の乱舞。
雨上がりの地面に広がる水の空。
むせ返るほどの青々とした草いきれ。
沈む太陽が置いていった茜の布。
緩やかに光と遊ぶ小川のせせらぎ。
空に瞬く星達の子守唄。
浮かぶ月が纏う五色の衣。
凪いだ水面を渡る紗霧。
魂を渡す七色の橋。
巡る季節の衣替え。
たった一輪咲き誇る白の花弁。
二度と同じものは拝めない、それ。
ウサギは、大好きなそれを、何よりも大好きなタカと見れることを、何よりの幸福と思いました。
そしてタカは、そんな風に綺麗な世界に生きるウサギを、何よりも綺麗だと思いました。
暖かな灰色の毛並みはさらりと滑らかに滑って、タカの体にぴたりと添います。
赤紫の紫陽花色は、日が沈む前の優しい茜空と同じ色です。
その小さな口が紡ぐ柔らかい言葉は、何時だってタカの心を抱きしめてくれます。
タカは、そんな綺麗なウサギの側で同じ時間を過ごせることを、何よりの幸福と想いました。
そんな日々を、一体何日、何ヶ月、何年送ったことでしょう。
ウサギは相変わらず小さく綺麗なままで、タカも相変わらず大きく美しいままです。
変わったことといえば、二羽の関係でしょうか。
変わったといっても、悪い意味で変わったわけではありません。
むしろいい意味で変わった、と言うべきでしょう。
二羽はお互いと過ごす内に、お互いの様々な面を知りました。
ウサギは、タカが実は甘党で、可愛らしいものが好きだということを知りました。
それと世話焼きで、ヒトに言われたことを結構気にするタイプだということも。
ウサギはそれで憧憬の念を捨てるようなことはしませんでした。
むしろ、なんだかタカを今までよりも身近に感じることが嬉しいようで、より一層懐きました。
タカは、ウサギが実はお転婆で、存外泣き虫だということを知りました。
それと怖がりで、そのくせ手も口も出してしまっては落ち込んでしまうタイプだということも。
タカはそれで幻滅するようなことはありませんでした。
むしろ、そうやって自分に色々とさらけ出してくれるほど信用してくれていると、より一層構いました。
そんな二羽の生活は幸福なままでしたが、森の外は幸福とは程遠い世界が広がっていました。
名前のない森は人間の国から離れていたので、あまりそういった情報は入ってきませんでしたが、森の外では人間たちが戦争をしていました。
歴史の転機を迎える前の前哨戦のような小競り合いでしたが、それでも国々を疲弊させるには十分な戦争でした。
兵士たちは敵の家を、畑を、街を、城を、国を、そして森までも焼きました。
そんな事を何年も続けていれば、しわ寄せとばかりに食糧難なるのは目に見えています。
そして実際その通りになり、飢えた人々は戦火から遠い町、村、国を目指しました。
その道程は生半なものではありませんでしたので、当然のように野盗や山賊に身を窶す人間も出てきます。
そういった人間は過剰に食料を得たがるもの。
そんな人間たちは国から遠い、けれど向こうの国へ行く道の途中にある名前のない森に住み着きました。
森の動物たちは、それまでの幸福な生活から一転して、日夜空腹と人間に脅かされるようになりました。
人間たちは森の住民を生かすための木の実も、森を育むための木の実も、目に付いたらすぐに根こそぎ持って行ってしまうからです。
そして、森の住民達も人間たちに見つかれば、その体から皮を剥がされ、肉を食われ、骨にされてしまうので、四六時中気を張っていなければなりませんでした。
その中には当然、ウサギとタカもいました。
とりわけタカはその色ゆえに見つかりやすく、度々追い掛け回されては、食糧不足で治りの遅い身体を嘆く日々を送っていました。
ウサギといえば、小さな身体が幸いしてか、そうそう見つかることはありませんでしたが、手に入りにくい食料のほとんどをタカに回しているおかげで、日に日にやせ細っていきました。
そんな、幸福とは言えない日々を送っていた二羽でしたが、ある日、ウサギはあることを思いつきました。
「そうだ……タカがきれいだっていってた、あのおはなを、とりにいこう……」
日に日にやせ細っていく身体と、それでも変わらずに大きな瞳を携えたウサギが、久方ぶりに瞳を輝かせて微笑みました。
その傍らに臥せっていたタカは、ぎょっとしたように鋭い目を皿のように丸くしました。
そっ、と消え入りそうな儚い笑みを浮かべるウサギの目はキラキラと輝いていましたが、焦点が合っていません。
「こんな時に行くつもりか?私が動けない今、弱ったお前一羽では襲われた時にひとたまりもないぞ」
「タカが、うごけないから、いくんだよ。わたしは、なにもしてあげられてないから、いくんだよ」
ふらふらと、ウサギは覚束ない足取りで巣穴を出て、ふわふわと地に足がつかない頭で走りました。
タカはその後を追いかけますが、まだ人間から受けた傷が癒えておらず、空を飛ぶことができません。
どんどん二羽の距離は開いて、タカの焦りは募ります。
その一方で、ウサギはどんどん進んでいきます。
そのやせ細った体で、命を削るように、ウサギは花を求めて走りました。
ある日、ある時、二羽で一緒に見つけた白い花。
群生地から離れた場所に、凛と咲いていた、綺麗な花。
好きなものを見れば、ウサギの心は羽のように軽くなります。
だからウサギは、タカが好きだと言った白い花をタカに見せたかったのです。
タカに見せて、ウサギが何よりも大好きなタカの、何よりも大好きな笑顔が見たかったのです。
小さく、弱く、やせ細ったウサギに出来る事と言えば、それくらいしか思いつかなかったのです。
怖がりなウサギが、とても恐ろしい人間たちのうろつく森の中を脇目も振らずに走る理由なんて、それで十分でした。
ただ、タカに元気になってもらいたかった。
元気になったタカの、あの綺麗な笑顔が見たかった。
ただ、それだけ。
そうして、どれくらい走ったでしょうか。
ウサギの小さな足はボロボロになって、滑らかな毛並みは土に汚れてしまいました。
それでもあと少し、あともう少しとウサギはかけます。
ふと、花を届けることを願って走ったウサギの瞳が、目的の白を捉えました。
群生地の傍らにぽつん、と一輪だけ咲いた白い花は少しくたびれていましたが、目的のものに違いありません。
みつけた!とウサギは口元に笑みを浮かべ……あれ?と。
なんだか軽くなった身体に、反転した視界に首を傾げました。
花の白と森の緑から、雲の白と空の青へ。
それからさらに視界は回って、再び森の緑が見えたかと思うと、その奥に小さく見知った金色を見つけて。
「あ……タカ?」
嬉し、そうに。
不思議、そうに。
なにより、幸せ、そうに。
大好きな、大切なタカの、ぽかんとした顔を視界に収めて焼き付けたウサギは、そのまま硬い地面に叩きつけられて、そのままくたりと動かなくなりました。
タカは、先ほどまで息を切らせて慣れない地面を走ってきたことも忘れ、ぴくりとも動かないウサギの、とても綺麗で、大好きな笑顔を見つめていました。
その小さな体から流れる赤い何かを見つめながら、そのまま考えることも、生きることも止めました。
守りたいと、思っていた。
その小さな身体も、綺麗な心も、愛らしい笑顔も、共に過ごす時間も、全て。
ウサギが、タカの笑顔が見たいがために、花を求めてかけたように。
タカも、ウサギとずっと一緒にいたいがために、守りたかった。
どちらも相手を想いながら、自分の願いを叶えたがった。
叶えたいと願ったまま、二羽は自分たちの考えの外側から、その願いを断ち切られました。
この日、森に二発の銃声が響き、森からは二つの命が消えました。
これが、願いを巡る生命の、一番最初のお話。