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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

現代系とかそんなの

一週間

祖父が死んだ。後悔。感謝。悲涙。家族愛。

多くの人が来た。歓喜、嫌気、絶望、憤怒。




 祖父が死んだ。

 とても穏やかな顔で。

 世界中に祝福されたように、ふんわりとやわらかい微笑を浮かべたまま。




 祖父が死んだのは、ほんの数日前のことだ。

 夜、私は自室でのんびりとすごし、夕方仕事から帰ってきた姉がテレビを見ていたころ、父から電話があった。


『じいちゃんが死んだ』

「…は?」


 私は信じられなかった。先週猫の額ほどしかない家の庭を、祖母とともに耕したとき、祖母にはなんら変わった様子がなかったせいだ。

 先月会ったばかりの祖父を思い浮かべた。

 一度脳梗塞で倒れて以来、意識はあるものの会話ができず、それでもにこにこと笑っていた、母方の祖父を。


 父は私と電話を切り、すぐに姉にもかけなおしたらしい、居間から驚愕の声がよく響いていた。


 呆然と座り込む私に姉が、着替え用意!!と半ば怒鳴るように叫び、いわれるがまま喪服がわりのスーツや肌着や化粧水など、必要そうなものを片っ端から袋につめて出発した。もう夜になろうかという時間帯だった。


 車で数十分ほどの距離にある祖父の家に荷物を担いで入れば、20は老けただろう祖母が憔悴した顔で私たちを出迎えた。

 何はともあれ、祖父が横たわっている奥の和室へ行くと、白装束を身にまとい、手を組んで眠っている祖父がいた。


なぜ、じいちゃんはねむっているの?


 そう聞きたくて、認めたくなくて、口に出すのはできなかった。

 ほんのすこし、うたたねしているようなやわらかい祖父の顔に、けれど生気だけがなかったから。



 祖父は、死んでいた。



 祖父の眠っている和室から居間に移動し、祖母から事情を聞いたところ、昼ごろに倒れて病院で搬送され、電気ショックなどの手当てもむなしく、死亡が確認されたそうだ。


 祖父は今日、祖母とともに病院へ行く予定であり、近々入院もする予定だったそうだ。


 数日間体調を崩していた祖父は食欲も無く、せめてと祖母が風呂に入れたところ突然脱力し、そのまま逝ったそうだ。

 無論祖母はパニックに陥り、風呂から引き出した祖父の頬を叩いたり、呼びかけたりしても一切の応答は無く、119をかければ救急車は急いでいるもののしばらく来ない。

 祖母の電話を受けた親戚が、仕事中のおば(嫁入り)に連絡して駆けつけてくれ、丁度到着した救急車に同乗してもらったのだという。

 私たちや母が駆けつけたのはもう夜といってふさわしい時刻だったので、祖母が持っていた着替えやタオルで祖父はきれいに着替えさせてもらい、奥の和室に横たわっていたというのが顛末だった。

 だから、実感だけがいまだ無くて…けれど頬を流れる涙だけが、現実を知らせていた。




 祖父が死んだ次の日は友引であったので、忙しいのは明後日からだと、私たちは一旦家に帰った。

 なんとなく、いつもどおり家事をして、エプロンやバックや靴下や、細々と用意しながらぼうっと過ごした気がする。




 驚いたのはその次の日、早朝8時くらいに祖母の家に着いたのだが、その台所はすでに戦場と化していた。

 昼ごろから数十人単位でやってくる親戚のために、手伝いに来てくれた女衆(こちらも親戚)達とともにあっちへ行きこっちへ行きと息つく間もなく動く祖母に慌ててエプロンを引っ掛けて手伝いを申し出ては、勝手のわからないだろう彼女らとともにわあわあしながら昼食の準備をしたり、取り皿や割り箸や台拭きやグラスや湯のみなど細かいものを広間へ置きに行き、アレがないこれが無いといえばものの場所を探したりなどなど…やることが多すぎて、正直ろくすっぽ覚えていない。


 まあ、注文ばかりをつけては酒に手を出してしゃべっているばかりの男衆への苛立ちは異常だった、と一言言っておこう。


 それはさておき、喪主は長男である伯父である。が、なぜか祖母の弟にあたる親戚のS(名前は伏せさせていただく)が仕切っており、伯父はこういった経験が無いため言われるがまま頷くだけであった。

 正直、アドバイスは確かに必要と思ったが、さも自分が喪主のように振舞う彼の姿は、とても見苦しいと感じた。

 祖父の葬儀にかこつけて、代議士などとコネを持とうと画策していることを知れば。


 次の日には祖父の兄弟という人たちがやってきたが、私は家事手伝いであまり話したことは無い。精々、頭を下げて一言二言話した程度であるが、正直苦手な印象しか残っていない。


 杖を持っているもののしゃっきりと伸びた背筋と…なんというか重箱の隅をつつくことに人生をかけています、といわんばかりに鋭い眼光とへの字の口は、臆病な私が姉の背中に逃げ込む要素たっぷりだった。

 ほかの方々もいささかそのような感じはしたが、まだあちらのほうがましだ、と断言しておこうと思う。


 ちなみに彼女らは海の女…つまりものすごく気が強い。男は女の尻に敷かれて当然、といったような雰囲気であり、歓待?これっぽっちで?みたいな顔をしているその彼女は弟の嫁である祖母を胃潰瘍にまで追い詰めた祖父ラブ(ブラコン)である。


 祖父は元々生まれつき心臓に欠陥があったため、それは大事に育てたそうだ。ちなみに祖父の父の退職金すべてをつぎ込んで手術を執行したほどであり、当然躾なんぞ遥か彼方。つまり若かりしころの祖父は大変な横暴君主に育った。(孫が生まれて随分丸くなった上に脳梗塞でぶったおれたので晩年はものすごく優しかった)



 そんな祖父の家族である。祖母もいまだ苦手意識があるようで、台所の多忙を理由にあまり寄り付かなかった。


 その晩は通夜…つまり納棺の儀を行い、私達は早々に床に着いた(といっても11時にはなっていただろうが)。


 納棺のことはあまり思い出したくない…特に、経を上げたそのすぐ後でタバコを吸う坊主の姿など。




 次の日も適当に手を抜いた昼食を済ませてスーツに着替え、火葬場…焼き場へ向かう。

 バスに乗った私の隣に座っていたのは母だったが、たぶん相当情緒不安定に見えたのだろう。あれこれと話しかけてくれた。ついでに母にぺったりくっついていた私だが、今思い返すと結構恥ずかしいので割愛。



 焼き場では葬儀の担当者(ちなみにものすごい強気で葬儀を仕切ろうとしていたので祖母からすごく嫌われている)が案内する中、焼き場の中…機械のような中へ祖父は棺おけごとはいっていった。


 待ったのは一時間半程度。なんというか、あっさりしすぎていてやっぱり、実感はわかない。


 骨になった祖父。骨が粉々になって拾えないということも多いと聞いていたのに、大きな骨がたくさん残っていた。


 一番優しかった祖父にかわいがられた従弟(小学5年生)が祖母とともに骨を拾い、祖父のきょうだいたちがいそいそと骨を拾ってはハンカチを目じりに押し当て、私は、涙の出ないまま、真っ白くてきれいな骨を骨壷に入れた。

 全員拾い終わった後、残った骨は業者の人が丁寧に骨壷へ入れてくれ、それを喪主の伯父が持ち、写真を従弟が、花を祖母が持って葬儀場…告別式の会場へ向かう。


 大きな、大きな祭壇。中央に供えられた祖父の写真と骨壷。周りには多くの花束と盛り合わせ。


 すこし派手すぎやしないだろうかと思わざるを得ないほど、立派な告別式だった。と思う。


 傍にはアルバムから取り出した写真が数枚飾られていて、中には涙で見えないという方もいた。



 告別式も特に問題なく終わり、次は灰寄席という、端的にいえばお疲れ様、どうぞ楽しんでくださいという夕食会だ。

 昨日とは違う人だがタバコをすっていた点で似たような印象しか残っていない坊主の合図で献杯し、なんとかかんとかというお偉い代議士…のご夫人の挨拶ののち、私はあんまりおいしくないそれらをただひたすら口に運び、租借を繰り返し、ジュースやウーロン茶で流し込み、周りを完全にシャットアウトしていた。

 その間祖母や母はあちこちに気を使い、碌に食べれもしなかったが、正直、工場生産物ばかりだったので食べなくてもよかった気がする。


 そんな苦痛に満ちた灰寄席も終わり、いくらかの手土産をもらってバスに乗り込み、さっさと帰る。


 けれど、一息つく間もなく、祖母の家についてからあっちへ行きこっちへ行き祭壇を設置しないと花はどこだこれはこれはとまったく動かない人たちに代わり再び奔走する羽目になった。後日筋肉痛が襲ってきた。

 祖父のきょうだいたちは祖母の家についてすぐに帰っていった。高速を使っても数時間はかかる距離なので、運転手役の孫たちが帰りをせかしたためだ。正直よくやったとほめてあげたい。

 祖母も親戚がほぼいなくなった夕食で、ようやくほっとしたと、安堵の息をこぼしていたくらいだ。ほぼ不眠不休で動いていた祖母も、ようやくぐっすりねむれるだろう。


 その晩は、私一人で眠ったが、結構眠りが浅かった気がする。


 次の日は祖父の家の掃除(ガサ入れ、といってもいいくらいだ)なのだが、もう出るわ出るわ。なんだこりゃと思うものから、こんなのここにあったのか、というもの、何だこの服の量(祖父はおしゃれ好きだった)といったところまで、捨てて捨てて捨てまくって、夕方になれば眠気に襲われた目をこすりながら夕食を口につめ、ぶっ倒れた。


 姉はその日が仕事だったので前日に家へ帰り。母はいてくれたが、夜は家へ帰ってしまったのでごちゃごちゃの部屋で一人で寝た。正直埃っぽかったが、疲れが勝った。


 早朝から来てくれた母と、仕事を終えたその足でやってきてくれた姉も加わって、2日目。

 あちこち薄汚れたりしながらようやく片づけが終わったその達成感は、言い表せない。


 その晩は母と姉と3人で眠った。いびきがうるさいといわれた。そんなこといわれても。


 朝食を済ませ、家に帰ってきたが、とりあえず布団に入って寝なおした。枕が替わるとあんまり寝れない性質の自分が恨めしいと思う。


 帰ってきたのがたしか10時くらい。おきたのは夕方4時か5時あたり。……とりあえず姉とご飯を食べて、風呂を済ませ、もう一度眠った。






 それからは週単位で祖母の下に通っている。

 姉とともにお土産をぶら下げ、いつもどおりタダ飯もらいきたよーと笑って。





 祖母が寂しすぎて逝ってしまわないように。

 祖父がさびしすぎて祖母を連れて行かないように。


 私がもう二度と、後悔しないように。




 祖父は骨になっているが、いまだに見守っているような気がする。

 晩年の祖父は言葉はしゃべらなくても、にこにこと笑ってくれていたのだから。




 

あなたに、だいすきだよといいたかった。

生んでくれてありがとうと、いいたかった。





なぜ人は悼むことをしながらも悼もうとしないのか。

なぜ貴方達は、金と名誉と地位をもとめるの?そんなもの、死んだらもっていけないのに。

後日、このSさんの畑は台風によりほぼ全滅しました。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 葬式の裏側の慌しさがよく書けていると思います [一言] 謹んで故人のご冥福をお祈りします あとお気に入り登録ありがとうございます
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