第2章
第2章 芳香に誘われて カオリニサソワレテ
僕が中学生に上がったばかりの春。
ずっと欲しかったゴールデン・レトリーバーをやっと飼うことができた。その犬には、トムという名前をつけた。産まれて3〜4ヶ月というところだろうか。小さな身体には不釣合いな太い脚。尻尾を元気よく振って、好奇心に満ち輝いた瞳。ただ好奇心旺盛すぎて散歩の度にリードから逃れては、僕を困らせた。
君と出逢った日も、僕は逃げてしまったトムを探していた。住宅街で周りは似たような家ばかり。散々走り回ってもトムの後ろ姿ひとつ見つけられなくて、家に帰ったらトムも戻ってるかもしれない・・・なんて思い始めた頃トムの吠える声がした。声を頼りに走っていくと、目の前を急に塞いだものがあった。
物凄いお屋敷だ。
表札には『冷条』とあった。僕の家からそう遠くないこの場所に、こんな大きなお屋敷があるなんて聞いたこともなかった。これまで気付かなかった事を疑問に思いながらも、僕は半開きの門を通り庭の中に進んでいった。
丁寧に手入れされた花々。
見事に並ぶ彫刻。
咽返るほどの華の香り。
まるで中世のお城にでも迷い込んだかのような気にさせる圧倒的な大きさの屋敷。
それら全ては僕がトムを探しに来たことを忘れさせた。
ふと僕は薔薇園という文字が目についた。フェンスが張り巡らされたその中には、深紅の薔薇が咲いていた。他の花は周りの花壇に入り混じって乱れながら咲いているのに、薔薇の華はその輪の中にはひとつとしてなかった。
薔薇も一緒の方が華やかなのに・・・。棘が他の花を傷つけるからかなぁ〜・・・なんて思ってたら、いつの間にか僕の足元にはトムがすり寄っていた。何かに怯えているかの様に耳は下がり、元気がなくなっていた。それでも僕は何かに呼ばれるように薔薇園の奥に進んで行った。そこには1人の女の子が薔薇を見つめていた。見事な金髪の少女が・・・。
そう、まるであの夢を起きながら見ているような感じ。
それとも僕はいつの間にか夜の深い眠りについたのだろうか・・・。
トムは一段と怯えているようだった。
今度こそ声をかけなくちゃ。なのに声が少しも出ない。僕はこの屋敷の門をくぐった時に声を落としてきてしまったのだろうか。
トムが僕に「帰ろう」というようにズボンの裾を噛んで引っ張った。僕は少しよろけて薔薇の茂みに当たった。ガサッという音で金髪の少女は振り返る。その瞳は驚きに見開かれていた。やっぱり夢と同じで深い深い海底の瞳。
だけどその後の少女の反応は夢とはだいぶ違った。
少女は悪戯をしているのを母親に見つかった子供のように、誰にも見られてはいけない事を見られてしまったかのように脅え、慌てながら屋敷の中へ走り去った。
まるでガラスの靴を落としたシンデレラ。
あの髪によく似合いそうな金のネックレスを落としていった。
細やかな細工の施された物で、僕が見ても一目で高いと分かる代物だった。よく見るとロケットになっていて、開けて中を見てみると幸せそうに微笑みながら寄り添う男女の写真が入っていた。
彼女の両親だろうか?
そうならばすぐに返してあげなければ。
そう思って彼女の後を追い、屋敷の入口に向かいながら僕の胸は彼女と話せる喜びでいっぱいになった。でもさっきは何故逃げてしまったのだろう。暫く考えて僕の結論は犬がダメだったんじゃないか、ということになった。僕はトムに「先に家に帰るんだ。僕もすぐに帰るから、いいね?」と言うと、足に1度スリッとしてから心配そうな瞳で僕を見つめながら渋々門の外へ出て行った。
屋敷にはインターホンらしき物はなく、僕は仕方なく重い扉を開いた。中に入り声を張り上げて言った。「誰かいませんかぁ?落し物しましたよ〜。」広い屋敷の中、返ってくるのは僕の声のこだまと静寂だけだった。さっきの少女はどこへいったのだろう。気になるけど家の人の許可もなく探るのは、さすがに気が引けた。また今度来てその時誰かに渡せばいいか・・・。帰ろうとしたその時だった。
がしゃーーん!!!!
ママが手を滑らせて大きめの食器を割った音に似てる。上の階からだ。
僕は無人城の大きな螺旋階段を駆け上がった。どこの部屋から音がしたのか分からない僕は目についたドアを片っ端から開けて中を調べた。失礼なのは分かっていたけど、僕の頭には金の髪をなびかせたあのシンデレラのことしかなかった。僕は広い屋敷内を息を切らしながら駆け回って調べ、のこるドアはあとひとつ。
1番奥のブルーのドアの部屋。その蒼はどこか僕のシンデレラの瞳に似ている。
コンコン。
ノックを2回してみた。返事はない。
「お邪魔・・しますよ?」高そうな大きめの壷が割れてる。側には血の跡があった。
彼女が怪我をしたに違いない。サーサー。よく耳を澄ますと水の流れる音がする。音のするほうへ行くと金髪が見えた。
鏡越しに僕を見たシンデレラ。さっきとはうって変わった落ち着いた瞳をしている。手からは一筋の血が流れている。「あの・・・、これ。」僕はポケットからハンカチをとりだした。そういうことはしっかりと育ててくれたママに感謝だ。
彼女の手をとってハンカチを巻いた。その彼女の手は氷の様に冷たくて、僕は寒気がした。
手の怪我で血が流れたせいなのだろうか。
僕はネックレスのことを思い出し、渡さなければと思った。
だけどなんだかネックレスを返したら彼女との接点がなくなってしまうようで嫌だった。でも返してあげなくちゃ。愚かな考えを頭から振り切って彼女に渡した。
「やだ・・・落としたのに気付かないなんて。」
そう言って受け取る彼女の指先はやっぱり凍りついていた。
「これはとても大切な物なの・・・ありがとう。」
お礼を言いながら僕を見る彼女の微笑みはモナ・リザもヴィーナスもメじゃないぐらい美しかった。
だけど・・・ネックレスを返した今、彼女との接点がなくなってしまった。
慣れないタイピングで打つのが遅いのですが、毎日少しづつ話を進めています^^;少しでも楽しんでくれたら嬉しいです♪読みにくい点などありましたら、感想で指摘してくださると助かります☆




