第7話:新拠点からの神託と、初めての強敵
翌朝。カナタは、今まで嗅いだことのないような真新しいクロスの匂いと、静寂の中で目を覚ました。
オートロック完備、防音性抜群の角部屋。敷金礼金ゼロの格安ワンルームとはいえ、隣人の騒音に怯える必要も、窓の隙間風に震えることもない。決して豪邸とはいえないが、これからの攻略に集中するための拠点としては十分すぎる環境だった。
「……最高だな、これ」
カナタは大きく背伸びをして、真新しいフローリングを踏みしめた。
テーブルの上では、使い魔のガブがコンビニで買ってきたビーフジャーキーをかじっている。
「おいカナタ、ポイント使い過ぎじゃないか? いきなり引っ越しだの昨日のご馳走だのって……ちゃんとルカにスパチャする分も残しとけよな」
ガブがジャーキーを咀嚼しながら、少し呆れたように忠告してくる。
「わかってるよ。心配しなくても、すぐに視聴者が集まって回収できるさ」
カナタは淹れたてのコーヒーを片手に、ゆったりと椅子に深く腰を下ろした。
これまでは劣悪な環境で、いつ不良たちに呼び出されるか怯えながら画面を覗き込んでいた。しかし今は違う。誰にも邪魔されない絶対的な安全圏から、誰の目を気にする必要もなく、心置きなく異世界の相棒をサポートできるのだ。
とはいえ、一応は高校生である。ルカの配信も落ち着いているようだったため、朝のコーヒーを飲み干したカナタは、制服に着替えて新居から学校へと向かった。
——午前八時半。高校の教室。
登校したカナタは、教室の空気が昨日までと全く違うことにすぐに気づいた。
「おい神崎! お前、昨日あの竜牙たちを一人でボコボコにしたってマジかよ!?」
「すっげえじゃん! あいつら他校の奴らと揉めてやられたって言い張ってたけど、お前がやったんだろ!?」
いつもは底辺ボッチのカナタを空気のように扱っていたクラスの男子たちが、興奮気味に群がってきたのだ。どうやら、路地裏での一件がすでに学校中で噂になっているらしい。
「あ、ああ……まぁな。あいつらが隙だらけだっただけだ」
カナタが適当に誤魔化しながら自分の席に座ると、今度は少し離れた席の女子生徒がもじもじしながら近づいてきた。
「あ、あの、神崎くん。怪我とか、大丈夫……? 私、ばんそうこう持ってるから、よかったら……」
上目遣いで心配そうに見つめてくる女子。
今まで女子からまともに話しかけられたことなどなかったカナタは、内心の動揺を必死に隠しながらも、思わず顔を綻ばせた。
「そ、そうか? 別に怪我なんてしてないけど……せっかくだから貰っとくよ。サンキュ」
(……ははっ、なんだこれ。悪くないな、こういうのも)
ステータス強化の恩恵は、異世界攻略だけでなく、現実のスクールカーストすらも一瞬でひっくり返してしまった。まんざらでもない表情で、デレデレと鼻の下を伸ばすカナタ。
しかし、そんな彼の肩の上で、透明な使い魔が冷ややかな視線を送っていた。
「おいカナタ。お前、何勘違いしてデレデレしてんだよ」
「——え?」
「ガブッ、といくぜ」
ガブは遠慮なく口を大きく開け、カナタの耳たぶに鋭い牙を突き立てた。
「いてぇええええええええええっ!?」
突然の激痛に、カナタは教室中に響き渡るような悲鳴を上げて飛び上がった。
「えっ!? か、神崎くん、どうしたの!?」
驚いて後ずさる女子生徒。
「い、いや! なんでもない! ちょっと虫に噛まれただけだ……っ!」
カナタは赤くなった耳を押さえながら、涙目で必死に誤魔化した。
「ったく、調子乗ってんじゃねーぞ。お前の半分は『ルカのおかげ』だろうが」
鼻で笑うガブを睨みつけながら、カナタはやはり現実は理不尽なクソゲーだと再認識するのだった。
◆ ◆ ◆
そして放課後。
足早に新居へと帰還したカナタは、誰にも邪魔されない自室の椅子に深く腰を下ろした。
カナタはふと右手を顔に当て、片目を覆い隠すようにして脳内の『Viewer』アプリに意識を接続した。
視界の端に展開された映像は、薄暗く湿った洞窟の中を映し出していた。
——異世界、地下迷宮・第六層。
新調した革鎧に身を包んだルカは、松明の灯りを頼りに、慎重な足取りで迷宮を進んでいた。
第一層から第五層までは、リスナーたちからのギフトの恩恵もあり、ルカは単独でも難なく進むことができていた。だが、今日の彼の狙いは違う。昨日、冒険者ギルドで自ら剥がし取ったクエスト——『オークの討伐』を果たすためだ。
オーク。豚のような顔と筋骨隆々の肉体を持つ、二メートル超えの亜人型モンスター。
通常はEランク以上の冒険者がパーティを組んで挑む相手である。
第十一層でルカが遭遇した迷宮蜘蛛も同じDランク指定だったが、あちらが一度くっつけば絶対に離れない捕縛糸と強力な毒牙による搦手で攻撃してくるのに対し、オークはその純粋なパワーと、生半可な傷なら即座に塞いでしまう厄介な『超再生能力』によって同ランクに認定されていた。
ソロでの討伐など、昨日まで荷物持ちだった少年にとっては無謀に思える。だが、このオークを単独で倒し、ギルドに討伐部位を持ち帰ることができれば、万年Fランクの底辺から一気に駆け上がることができるのだ。
『おいおい、本当に第六層に来ちゃったよ!?』
『ルカきゅん、流石にオークのソロは早すぎるって!』
『せめて誰か仲間を見つけてからにしろよ……』
『死んじゃうよ! 逃げて!』
ルカを心配する視聴者たちのコメントが、凄まじい勢いで滝のように流れていく。
しかし、当のルカの眼差しには、不思議と焦りや怯えはなかった。彼の脳裏には、第十層で遭遇した生きた厄災『深淵の黒騎士』の記憶が焼き付いている。あの圧倒的な死の気配に比べれば、まだ冷静に立ち向かえる相手だった。
(それに……僕には、神様が見てくれている)
ルカは剣の柄を強く握り締め、暗闇の奥を見据えた。
「グルルルルッ……!」
突突如、地響きのような唸り声と共に、通路の奥から巨大な影が姿を現した。
【Target : 『オーク』/ 脅威度:Dランク 】
緑褐色の分厚い皮膚、丸太のような腕、そして手には赤黒い血がこびりついた分厚い棍棒。オークだ。
オークはルカの姿を視認するなり、凶悪な牙を剥き出しにして咆哮を上げた。
「……行くぞ!」
ルカが果敢に踏み込んだ瞬間、オークがその巨体に似合わぬ凄まじい速度で突進してきた。振り上げられた棍棒が、ルカの頭を叩き潰そうと迫る。
「くっ……!」
ルカは咄嗟に剣を交差させてガードするが、圧倒的な筋力差によって大きく後方へ弾き飛ばされた。
腕が痺れ、剣を取り落としそうになる。すかさず体勢を立て直し、オークの脇腹へ渾身の斬撃を見舞う。刃は分厚い皮膚を裂いて確かな傷を負わせたが——次の瞬間、ブクブクと肉が粟立ち、流れた血ごと傷口が一瞬で完全に塞がってしまった。
「嘘だろ……再生した!?」
「ギィヤァアアアッ!」
無傷に戻って激昂したオークが、怒濤の連続攻撃を繰り出してくる。
ルカは防戦一方になり、息を荒げながら壁際へと追い詰められていく。純粋な暴力と再生能力の前では、経験の浅いルカが正面から競り勝つのは不可能だった。
自世界の部屋でその光景を見ていたカナタの眼が、極めて冷徹なゲーマーのそれに切り替わった。
(……分厚い装甲に、パワー任せの連撃。おまけにあの再生能力だ。ルカの腕力じゃまともにダメージレースで勝てない。だが、無敵のモンスターなんて存在しない)
カナタの「世界ランキング1位」に君臨する天才ゲーマーとしての頭脳が、オークの筋肉の収縮、踏み込んだ足の角度、そして棍棒の軌道をミリ単位で解析し、数手先の未来を完全に予測する。
「ガブ、頼む!」
「おうよ! ガブッ、といくぜ」
カナタが差し出した人差し指にガブの牙が深く突き刺さり、次元を超えた物理接続が完了する。カナタは躊躇なく脳内に浮かぶUIを強く念じ、Wallet残高の中から3,000ポイントを消費した。
【 3,000ポイントを消費し、『スーパーチャット(有償コメント)』を送信しました 】
『——ルカ、よく見ろ! 奴が大振りする直前、必ず「右のつま先」が外側を向く。完全に体重が乗った重攻撃の合図だ!』
オークの棍棒が振り上げられる直前。ルカの脳内に、あの『透き通るような男の声』が響き渡った。
恐怖よりも先に、絶対的な安心感がルカの全身を包み込む。
(……つま先が、外を向いた!)
『動いた瞬間、後ろに下がるな! 奴の左側に向かって全力でダッシュしろ! 巨大な武器のせいで、奴の左の懐には絶対に攻撃が届かない「死角」ができる!』
「……はいっ!」
ルカは声の指示に全幅の信頼を置き、オークの巨大な棍棒が迫る中、恐怖に打ち克って左斜め前へと鋭くステップを踏み込んだ。
ブォンッ!!
凄まじい風圧を伴って、棍棒がルカのいた空間を通り過ぎ、硬い石畳を粉砕する。
オークの重心は完全に前へと崩れ、ルカは一切のダメージを受けることなく、オークの左側の絶対的な「死角」へと潜り込んでいた。すべてが、カナタの予測した通りの完璧なタイミングだった。
『そこだ! 脂肪の装甲がない「左の脇の下」を、下から真上に全力で突き刺せ!』
「はぁぁっ!!」
ルカはすかさず剣を握り直し、無防備に晒されたオークの左脇の下に向かって、渾身の力で剣を突き立てた。
ズプッ、と肉を裂く確かな感触。脂肪に守られていない関節の隙間を抜け、刃はオークの再生機能が働く暇も与えず、心臓をダイレクトに貫いた。
「ゴ、ガァッ……!?」
オークは信じられないといった目でルカを見下ろしながら、大量の血を吐き出し、巨大な丸太のような体をグラつかせた。そのまま地響きを立てて横倒しになり、二度と動かなくなった。
(……倒した。僕一人で、あのオークを……!)
剣を握る手が小刻みに震えていた。以前の自分なら逃げ惑うことしかできなかった、パーティ推奨の強敵。その厄介な再生能力すらも意味を成さないほどの、完璧な一撃だった。自分を導く『声』の主が持つ、次元の違う戦術眼と的確な指示に、ルカは改めて底知れない畏怖と深い感謝を抱いた。
ルカは荒い息を吐きながらも、すぐに血塗られたオークの死体に近づき、慣れた手つきで腰のナイフを引き抜いて解体を始めた。
第十一層で蜘蛛を倒した時は死に物狂いでそんな余裕はなかったが、今は違う。討伐証明部位である右耳を切り落とし、胸の奥から濁った緑色の『魔石』をえぐり出す。
「……よし。このサイズの魔石なら、ギルドで高く買い取ってもらえるぞ……!」
ルカの顔に、確かな手応えと喜びの笑みが浮かぶ。
それと同時に、カナタの視界の右側でコメント欄が大爆発を起こした。
『うおおおおおおおおお!!!!!』
『マジで!? オークを単独で倒したぞ!?』
『なるほど! 厄介な再生能力も、再生される前に心臓(急所)を一撃で貫いちゃえば即死なのか!』
『動きが洗練されすぎだろ!! 神回避からの急所突き完璧すぎ!!』
『赤文字様の的確な指示キタコレ!!!』
『つま先の向きで大振りを予測するとか、観察眼エグすぎだろ……!』
『ルカきゅん最強! 赤文字様最強!!』
ピコンッ、ピコンッ!
熱狂した視聴者たちから、ルカへの賛辞とギフトが雨霰のように投げ込まれる。
【 配信者が『オーク(Dランク)』の討伐に成功しました 】
【 討伐報酬を分配します: 一般視聴者 1,000 pt / メンバー特権(10倍) 10,000 pt 】
「……ふっ。見事な動きだ、ルカ。俺の指示に、ほんの一瞬の遅れもなく反応しやがった」
カナタはコーヒーを一口飲み、小さく息を吐いた。
「ひゅーっ! 相変わらずえげつねぇ指示だな、カナタ! ……って、おい見ろカナタ! とんでもねぇことになってるぞ!」
テーブルの上から飛び跳ねてカナタの肩に乗ったガブが、興奮気味に叫んだ。
ガブの声に促され、カナタが視界の隅の【視聴者数】カウンターに目を向けると、そこには目を疑うような数字が並んでいた。
【 現在の視聴者数: 512,400人 】
「ご、五十万……!? 嘘だろ、昨日二十万になったばかりだぞ!?」
「昨日の朝のニュースから一気に噂が噂を呼んで、爆発的に拡散されたんだ! 現金が貰える神アプリだって知った連中が、こぞって群がってきやがったんだよ!」
その言葉を裏付けるように、カナタの脳内に凄まじい勢いでファンファーレが連続して鳴り響いた。
【 30万人突破ボーナスを配布します: 一般視聴者 11,000 pt / メンバー特権 110,000 pt 】
【 40万人突破ボーナスを配布します: 一般視聴者 13,000 pt / メンバー特権 130,000 pt 】
【 50万人突破ボーナスを配布します: 一般視聴者 15,000 pt / メンバー特権 150,000 pt 】
カシャカシャとシステム文字が更新され、引越し費用などで減っていたカナタのWallet残高が、バグのような勢いで跳ね上がっていく。
【 Wallet残高計算中…… 】
・現在までの残高: 32,400 pt
・スーパーチャット消費: -3,000 pt
・オーク(Dランク)討伐: +10,000 pt
・30万・40万・50万人突破ボーナス合算: +390,000 pt
【 現在のWallet残高: 429,400 pt 】
「よんじゅうにまんきゅうせん……っ!」
カナタはコーヒーカップを持つ手を震わせ、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
清潔で安全な新拠点と、怒涛の勢いで膨れ上がる圧倒的な資金力。
次元を隔てた二人の底辺は、今や誰も止めることのできない最凶のバディへと変貌を遂げつつあった。




