第5話:熱狂と、上昇
翌朝。
カナタがボロアパートの部屋で身支度をしながら古いテレビをつけると、どのチャンネルも同じニュースで持ちきりになっていた。
『——続いてのニュースです。昨日から、多くのスマートフォンに【Viewer】と呼ばれる正体不明のアプリが強制的にインストールされる事案が多発しています。専門家は、個人情報を抜き取る悪質なウイルスの可能性が高いとして、絶対にアプリを開かず、警察へ相談するよう強い注意喚起を行って——』
キャスターが深刻な顔で警告を発しているが、カナタは無表情でテレビを消した。
視界の端に表示させた『Viewer』のコメント欄では、そのニュースすらもエンタメとして消費されている。
『ニュースで詐欺アプリ扱いされてて草』
『てかこれ消そうとしても消せねぇしww』
『専門家(笑)マジで現金振り込まれる神アプリなのにww』
『視聴者が増えれば増えるほどボーナスの額もデカくなる仕様らしいぞ! お前らもっと拡散しろ!』
『てか、あの【赤文字】って結局誰なの? 運営?』
『俺も赤文字で指示出してぇ! どうやったら赤文字になれるんだ?』
「……平和なこった。これがただのゲームじゃなくて、本物の『異世界』の命が懸かってる現実だってことも知らねぇで」
どうやらスマホの上が落ち着く定位置らしい使い魔のガブが、鼻で笑いながらコメントを眺めている。
「なあガブ。一つ気になってたんだが」
カナタは学生服のボタンを留めながら、昨日の疑問を口にした。
「ルカの奴、昨日いくら俺が干渉したとはいえ、ひ弱な体であの『深淵の黒騎士』の攻撃を躱して、崩落から生き延びたのは不自然じゃないか? 身体スペックが上昇してたように見えたんだが」
「おっ、いい着眼点だ。実はそれこそが『メンバーシップ』の真の力なんだよ」
ガブは得意げに胸を張った。
「配信者の基礎ステータスは、加入している『メンバーの数』に応じて大幅に底上げされるバフが掛かる仕様なんだ。お前があの時メンバーになった瞬間、ルカの潜在スペックは跳ね上がってた。だからこそ、お前の指示に肉体が反応できたってわけだ」
「なるほどな。俺がメンバーになった時点で、あいつはすでにただの荷物持ちじゃなくなってたってことか」
最強の頭脳と、底上げされた肉体。
カナタは改めて自分たちのコンビのチートっぷりを自覚し、気合いを入れて学校へと向かった。
◆ ◆ ◆
——午前10時。高校の教室。
黒板の前で初老の数学教師が退屈な数式を書き連ねている中、カナタは最後列の席でノートに落書きをして時間を潰していた。
その時だった。
「おいカナタ、ルカの奴が動いたぞ。また迷宮に入りやがった」
机の上に座っていたガブ(他の生徒には見えない)が、カナタの耳元で囁いた。
「なっ……!?」
カナタは思わずガタッと席を立ちそうになり、慌てて姿勢を低くした。
(あいつバカか!? 昨日死にかけたばかりだぞ。なんでまた迷宮に……!)
カナタは焦りながら、右手を顔に当て、片目を覆い隠すようにして『Viewer』のアプリを開いた。
こうして片目を塞げば、脳内に直接映る異世界の映像に集中しつつ、開いている左目で自世界の授業の状況もごまかすことができる。
視界の向こうでは、安物の革鎧と鉄の剣を新調したルカが、松明を片手に迷宮の浅い階層(第一層)を慎重に歩いていた。
『神様……聞こえますか。僕、もっと強くなりたいんです。あなたに助けてもらうだけじゃなく、いつか自分一人の力でも戦えるように……』
ルカの独り言が、カナタの脳内に響く。
(……あいつなりに、俺の期待に応えようと必死なんだな)
その健気な決意に、カナタはため息をつきつつも、口元を少しだけ緩めた。
しかし、そんな片目を押さえて虚空を睨むカナタの不審な態度は、教壇の教師には丸見えだった。
「神崎! 先ほどから何だその態度は。目が痛むなら保健室へ行け。授業を聞く気がないなら廊下に立っていろ!」
教師の怒声に、クラス中の視線がカナタに突き刺さる。
「……いえ、大丈夫です」
カナタは適当に返事をしつつ、頭の中では視界の端のカウンターに意識を向けていた。
【 現在の視聴者数: 99,850人 】
【 現在の視聴者数: 99,999人 】
「おいカナタ! 大台に乗るぞ!!」
【 現在の視聴者数: 100,000人 】
10万人突破。
その瞬間、脳内にファンファーレのような軽快なシステム音が鳴り響いた。
「『10万人突破ボーナス』だ! 一般視聴者には7千ポイント! お前にはその十倍の7万ポイントが振り込まれるぜ!!」
【 Wallet残高計算中…… 】
・前回のWallet残高: 81,000 pt
・十万人突破ボーナス: + 70,000 pt
【 現在のWallet残高: 151,000 pt 】
「15万1千……!」
カナタは授業中にもかかわらず、危うく歓声を上げそうになった。高校生にとって、15万円の現金はまぎれもない大金だ。
だが、システムのアナウンスはそれだけでは終わらなかった。
【 視聴者数が100,000人を突破したため、新機能『応援』が解放されました 】
【 視聴者は自分の保有ポイントを消費し、配信者へステータスバフを付与できるようになります 】
「なんだこれ? 応援機能……?」
「一般視聴者にも、間接的に配信へ干渉する権利が与えられたんだ。奴らがポイントを投げれば投げるほど、ルカは強さを得ることができる」
ガブの解説と同時に、コメント欄はかつてないほどの激しい論争——いや、醜い対立を引き起こしていた。
『うおおお! ギフト機能キタコレ!』
『ルカきゅんへの応援だ! 俺の1000ポイント投げる!!』
『俺も投げる! これでゴブリンなんて瞬殺だろ!』
配信を純粋に楽しみ、ルカを応援したいサポーターたちが次々とポイントを投げ銭していく。そのたびに、映像の向こうのルカの身体が微かに光を帯び、その足取りがほんの少しだけ力強くなっていった。
だが、その一方で。
『は? お前らバカじゃねーの?』
『ポイントは換金できるんだぞ? 何でゲームのキャラに現金捨ててんのww』
『マジでそれ。俺は絶対応援なんかしないわ。金欲しいもん』
『戦いは赤文字様に任せとけよ。俺らは見てて金貰うだけでいいんだよ』
タダで手に入った現金を絶対に手放したくない連中が、サポーターたちを嘲笑し始めたのだ。
『お前らが投げないからルカが弱いんだろ!』
『知るかよww 勝手に死んどけww』
『でもルカが強くなって深い階層行った方が、強い魔物倒せて俺らも多く稼げるんじゃないか?』
(……はは、地獄みたいなコメント欄だな)
カナタが人間の強欲さが煮詰まったようなチャットを見流していると、視界の向こうでルカが遭遇した魔物と対峙していた。
現れたのは、第一層に生息するスライム(Fランク)と、ゴブリン(Eランク)だ。
カナタが指示を出そうと身構えた瞬間、ルカは自ら剣を強く握り直し、正面から魔物に向かって駆け出した。
「やぁぁぁっ!」
ルカの剣が、スライムの核を正確に斬り裂く。さらに反転して、飛びかかってきたゴブリンの棍棒を躱し、その胴体を一閃した。
視聴者からの『応援』による微小なステータスバフと、彼自身の決意。それらが噛み合い、カナタの指示なしで見事に魔物を討伐してみせたのだ。
【 配信者が『スライム(Fランク)』の討伐に成功しました 】
【 配信者が『ゴブリン(Eランク)』の討伐に成功しました 】
「おおっ! スライムは10ポイント、ゴブリンは100ポイントの配当だ。一般視聴者には合計110ポイント、お前にはその十倍の1100ポイントが入るぜ!」
『おお! 主人公一人で倒したぞ!』
『俺らの応援バフのおかげだ!』
『チリツモだけどポイントうめぇww』
コメント欄が喜びに沸く中、カナタは頼もしく成長し始めた相棒の姿に、静かに目を細めていた。
◆ ◆ ◆
放課後。
カナタはカバンを肩に掛け、学校の裏門から帰路につこうとしていた。
「おい、カナタ。ちょっとツラ貸せや」
行く手を塞ぐように現れたのは、不良グループのリーダーである竜牙と、その取り巻きたちだった。
竜牙は忌々しげに、絆創膏を貼った右手の人差し指をさすっている。
「テメェ、今日は一日中、授業中もニヤニヤ片目押さえて気味悪りぃんだよ。昨日俺の指に何しやがった?」
竜牙が凄みながら、カナタの胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。
「おいカナタ、こいつガブッといっていいか?」
カナタの肩に乗ったガブが牙を剥くが、カナタはそれを静かに制した。
(……いや、待て。ルカはあれほどの死の恐怖に一人で立ち向かったんだ。俺だけが使い魔に頼って逃げるわけにはいかねぇ)
「……やめろ」
「あぁ? なにブツブツ言ってんだよ!」
竜牙の重い拳が、カナタの頬に容赦なく叩き込まれた。
「がはっ……!」
カナタは体勢を崩しながらも反撃の拳を振るうが、喧嘩慣れしている竜牙にはあっさりと躱され、腹部に強烈な蹴りを入れられてしまう。
防戦一方のまま、カナタはアスファルトに倒れ込んだ。やはり、カナタのひ弱な肉体ではどうにもならない。
「チッ、財布持ってねーじゃねーかよ! 底辺が!」
(そりゃそうだ、俺の全財産が入った財布は昨日、丸ごとあのアプリに吸い込まれちまったんだからな)
舌打ちをした竜牙は、代わりにカナタの胸ポケットから泥まみれになったスマートフォンを引き摺り出した。
「おっ、代わりにこのスマホもらってくわ。売れば少しは金になるだろ」
「待て……! それだけは……!」
(スマホを奪われたら、異世界との繋がりが絶たれる。ルカへの干渉が一切できなくなっちまう……!)
カナタが必死に手を伸ばした、その時だった。
「おいカナタ」
ガブがカナタの耳元で真剣な声を上げた。
「メンバー特典その5だ。実は十万ポイントを消費して、お前自身のステータスをほんの少し上昇させることができる特典があるんだ。……十万ポイント超えた時に言おうと思ってたんだが、悪りぃな、忘れてた」
「……ふざけんな。そんな大事なこと、もっと早く言えよ!」
カナタは泥まみれの顔を上げ、使い魔を睨みつけた。
「まぁ、そこまで極端に強くはならねぇが……目の前の不良と同等か、ちょい上くらいには戦えるようになるぜ。使うか?」
——ポイントを消費して、現実のステータスを買う。
カナタは迷うことなく、空中に浮かび上がったUIを睨みつけた。
【 100,000ポイントを消費し、『基礎ステータス』を強化しますか? 】
▶ YES
カナタが『YES』を選択した瞬間、全身の細胞がカッと熱を帯び、筋肉が軋むような感覚に襲われた。
(……力が、湧いてくる)
「じゃあな、カナタ。明日も上納金忘れんなよ」
竜牙がスマホをポケットにねじ込もうと背を向けた、その直後。
立ち上がったカナタが、竜牙の腕をガシッと力強く掴み止めていた。
「……あ?」
「……返せよ。それは俺の、大事な『繋がり』なんだ!」
いきなり強い力で引き留められ、竜牙の顔が不快そうに歪む。
「あぁ!? てめぇ、ふざけ——」
竜牙が怒りに任せて振り被った拳。だが、今のカナタの目には、その大振りな予備動作がはっきりと見えていた。
(……右肩が下がった。次は左フックだ。今の俺の身体なら——届く!)
これまで天才ゲーマーとしての思考に全くついてこなかった現実のひ弱な肉体が、今はほんの少しだけ、脳の指令に追いついていた。
カナタはギリギリの動きで左フックを躱すと、踏み込みと共に、がら空きになった竜牙の鳩尾に重いカウンターの拳を深々と沈めた。
「が、はっ……!?」
竜牙は胃液を吐き出しながら、苦悶の表情でその場にドサリと崩れ落ちた。
周りの不良たちが突然の出来事に唖然として言葉を失う中、カナタは奪い返したスマホの泥を無造作に払いながら、鋭い視線で周囲を睨みつけた。
「……まだ、やるか?」
異世界だけではない。自世界における底辺ゲーマーの『逆襲』が、今ここから始まったのだ。




