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第8話 来訪の足跡

朝霧がまだ村を包んでいる。朝露に濡れた畑の土がしっとりと息をしていた。 小鳥の囀りが、かすかに響く。家畜の鳴き声が、徐々に眠りから覚めた村を包み込んでいた。

若い村人──エルスは、いつものように井戸端で桶に水を汲んでいた。まだ誰も起きておらず、村は静かで、平和だった。

だが──

(……あれは?)

ふと顔を上げたエルスの視界に、薄明の森の先から揺らめく影が見えた。 騎馬。それも複数。黒衣。整列したまま、ゆっくりとこちらに進んでくる。

「……旅人じゃねぇな」

そう呟くと、彼は桶を放り出し、靴に泥を跳ね上げながら駆け出した。




「ライ! 起きてるか、ライ!」

まだ空が青みを帯び始めたばかりの時間。 小屋の裏で鍬の柄を削っていたライが、呼び声に顔を上げた。

「どうした、エルス。まだ朝も早いぞ」

「北門の向こうから、黒衣の連中が馬に乗ってやって来てる。三人、いや……もっとかも。軍隊みてぇな動きしてた」

その言葉に、ライの表情が一変する。

「……来たか」

短く、低く呟いた。

(思ったよりも対応が早い…だが、あの夜──シャオンを倒したときの“戦闘続行”。HP0の農民が死なずに立ち上がったのはバグだと思われてもおかしくない……スカルズの誰かが見ていたなら、通報されていて当然だ)

「誰にも言うな。シェリンは?」

「たぶん家だ。まだ誰も起きちゃいない」

「……分かった。ありがとう」

ライはそれだけを言うと、鍬を投げ捨てるように置き、小屋の裏手を回って走り出した。


「……ライ? こんな時間にどうしたの」

寝間着姿で扉を開けたシェリンは、まだ半分眠そうな目をしていた。

「シェリン。……悪い、時間がない」

「え……?」

「“来た”。北門から、審問官と思われる者たちが接近している」

その言葉に、シェリンの血の気が引く。

「……本当に?」

「ああ、朝靄に紛れて、四、五人。おそらく“異端審問機構”だ。俺を調査しに来た」

「なんで、そんな……!」

「スカルズの生き残りが、通報したんだ。おそらく、“農民がプレイヤーを殺した”程度じゃ運営は動かない。だが──“HP0から立ち上がった”となれば、話は別だ」

ライは、腰に差していた長剣の柄を握り締めた。

「間違いなく狙いは俺だ。もうここにはいられない。……俺は、村を出る」

「どこに行くの……?」

「首都ルイン。そこには《真理の鏡》がある。……俺の目的を果たすために、そこを目指す。」

シェリンは、言葉を失ったまま、彼の瞳をじっと見つめた。

「……戻ってくる?」

沈黙。だが、ライははっきりと答えた。

「分からない。でも、目的を全て果たしたその時には、必ず帰るよ。」


家を出る前、シェリンは干し肉、水袋、そして木彫りの護符を手渡した。

「……これしか、できないけど。このお守り、私のことだと思って大事にしてね…なんてね。」

「ありがとう。絶対に生きて帰ってくる。」

ライは受け取り、ポーチにしまうと、すぐに背を向けかけた。

だが、ふと振り返って言った。

「俺の行き先を聞かれたら、首都ルインだと伝えろ。相手はおそらく嘘を見抜くことができる。…俺は大丈夫だ。だからお前らの安否を第一に考えてくれ。」

シェリンは強くうなずいた。

「気をつけて」

「……お前らもな」


村の広場に出たとき、既に村長が待っていた。

「逃げるのか。」

「……はい。」

村長は黙って懐から一袋の金貨を取り出し、差し出す。

「スカルズの残骸から回収したものだ。装備も売った。お前が持っていけ。村を守ったんだ、当然の報酬だ」

「……全部は受け取れません」

ライは一礼し、一部の金貨だけを受け取った。

「残りで、傭兵を雇ってください。奴らは間違いなくやってくる。今すぐに、今日中にでも傭兵を雇って守りをかためてください。」

「……かたじけない。村も守れず、お前のことも守ってやれる力はわしにはない。」

村長は弱々しく笑って背中を叩いた。

「生きて帰れ。命さえあれば、なんとかなる」

「……感謝します」




出発前、ライは畑の端に立った。

昨日まで汗を流した土。 子どもたちが笑いながら泥だらけになって走っていた場所。

静かに、一礼する。

「……ありがとう」

足元の土が、さりげなく柔らかかった。 まるで背を押してくれているかのように。




村を出たのは、朝日がようやく霧を焼き払おうとしている頃だった。

荷物を背負い、長剣を腰に。農民として過ごした数週間の全てを背に、ライはゆっくりと南へ向けて歩き出す。

背後、北門の方角から、蹄の音が微かに響いた。 だがライは、決して振り返らなかった。

(現状何も分からない。せめて今は、自分の存在を確かめに行くだけだ)

陽光が差し込み、ライの影が長く伸びる。

彼は、歩みを止めることはなかった


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