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第6話 村の英雄

ライはしばしその場に立ち尽くしていた。勝利の実感は、まだ薄い。ただ、全身を支配していた死の気配が遠のいたことだけは、はっきりと分かった。 不意に、脳内に直接響くようなシステムメッセージが浮かび上がる。

《称号:『逆境』を取得しました》 効果:自身のHPが一定以下になるなど、過酷な条件下で戦闘能力が上昇する。

《称号:『プレイヤーキラー』を取得しました》 効果:プレイヤー種別の敵に対して、与えるダメージが微増(2%)する。

「……プレイヤーキラー、か」

その不吉な響きを持つ称号に、ライは自嘲ともつかぬ笑みを浮かべた。PvPをいくらしても得られなかった称号。俺がNPCだからか、あるいは本気で人を殺そうと思ったからか…

ハッと我に返ったライは、鋭い視線を村の北側へと向けた。シャオンという頭目を失ったとはいえ、スカルズの残党はまだ村の中にいるはずだ。

「……逃がすわけには、いかない」

消耗しきった身体に鞭打つ。レベルアップで回復したとはいえ、疲労は色濃い。それでも、ライの足は迷いなく北へと向かった。あの連中がこれ以上、この村で好き勝手することは許さない。

村の北側では、既に指揮系統を失ったスカルズの残党たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っていた。その数は十数名ほど。もはや組織的な抵抗力はなく、ただ狼狽し、我先に逃げ道を探しているだけだった。 ライは、その最後尾に静かに追いつく。

《弱点補足の心得》によって逃げる敵の無防備な背中、鎧のわずかな隙間、次の一歩で体重がかかるであろう足、彼らの弱点を捉える。

ライは、手にした長剣を静かに振るった。

(一人、二人、三人…)

碌に抵抗もせず逃げまとう彼らの殺戮は、戦闘というよりは、一方的な狩りに近かった。


剣士、魔法使い、盗賊。スカルズの残党たちは、もはやライの敵ではなかった。連携を失い、恐怖に駆られた彼らは、個々ではあまりにも脆い。ライは淡々と、しかし確実に、一人また一人とその命脈を絶っていく。最後に残ったのは、足をもつれさせながら必死に森へ逃げ込もうとしていた小柄な男だった。ライはその背中に静かに追いつき、一閃。男は短い悲鳴すら上げることなく、前のめりに崩れ落ちた。

そして、ようやく──エルム村から、敵の気配が完全に消えた。


ライは、血振るいもせずに長剣を下ろした。肩で大きく息をつく。アドレナリンが切れ、どっと疲労感が押し寄せてくる。 周囲には、倒れたプレイヤーたちが装備していたのであろう武具や、ドロップアイテムが散乱していたが、今のライにそれを漁る気力はなかった。


戦いが終わった村に訪れたのは、勝利の歓声に包まれたものではなく、血と炎、そして死の匂いが色濃く漂う、重苦しいまでの静寂だった。 ライがゆっくりと村の中心部へと戻ると、そこには目を覆いたくなるような光景が広がっていた。家々の半数近くが焼け落ち、半壊し、燻る煙が空を黒く染めている。広場の井戸の周りには、生き残った村人たちが、力なく座り込んでいたり、呆然と焼け跡を見つめていたりした。あちこちに、毛布をかけられた亡骸が横たえられているのが見える。その数は、決して少なくないだろう。

風が吹き抜けるたびに、焦げ臭い匂いと、鉄錆のような血の匂いが鼻をつく。 ライは、言葉を失った。シャオンを倒し、残党を殲滅した。確かに「勝利」したはずだ。だが、目の前にあるこの現実は、あまりにも過酷で、彼の心に達成感など微塵ももたらさなかった。ただ、ずしりとした重い何かが、胸の奥に沈んでいくのを感じるだけだった。

ライが焼け落ちた広場の隅で立ち尽くしていると、不意に背後からか細い声が聞こえた。 「……ライ……?」

振り返ると、そこにはシェリンが立っていた。その顔は煤と涙で汚れ、服の所々は焼け焦げている。だが、その瞳には、先程までの絶望的な恐怖ではなく、ライの姿を認めたことによる確かな安堵の色が浮かんでいた。

「ライッ!」

次の瞬間、シェリンは感情の堰を切ったように駆け寄り、ライの胸に顔を埋めて泣きじゃくり始めた。

「よかった……本当によかった……! もうダメかと思った……あなたが……あなたがいてくれて……!」

その小さな肩は、激しい嗚咽と共に震えている。ライは戸惑いながらも、そっとその背中に手を回した。温かい。生きている。その実感が、わずかに彼の心を慰めた。

やがて、アンバー村長も、他の生き残った村人たちと共にゆっくりと近づいてきた。その顔には深い疲労と悲しみが刻まれているが、ライを見る目には、確かな感謝の念が込められている。

「……ライ。感謝する。よくぞ……よくぞ、この村を守ってくれた」

アンバーは多くを語らず、ただ深々と頭を下げた。その行動に倣うように、他の村人たちも次々とライに頭を下げる。彼らの視線には、感謝と共に、どこか畏敬の念、そしてライの常人離れした力に対する戸惑いのようなものも混じっているように感じられた。

「英雄だ……」

「彼がいなければ、我々は皆殺しに……」

「なんとお礼を言ったらよいか……」

口々に発せられる称賛と感謝の言葉。 だが、ライはその「英雄」という言葉の響きに、強い居心地の悪さを感じていた。自分がしたことは、ただ必死に生き延びようとし、目の前の脅威を排除しようとしただけだ。それに、これだけの犠牲が出た後で、英雄も何もないだろう。 彼は曖昧に頷きを返すことしかできず、村人たちの賞賛の輪の中心で、場違いな孤独感を覚えていた。

その夜、エルム村に祝宴の灯りがともることはなかった。生き残った者たちは、傷ついた身体と心を休めるように、あるいは失われた者たちを悼むように、静まり返っていた。 ライもまた、村人たちから勧められた簡素な食事を終えると、一人、村のはずれへと足を向けた。


満月が、焼け跡を銀色に照らし出していた。風が冷たく頬を撫でる。 ライは、焼け残った畑の隅に腰を下ろし、静かに月を見上げた。

(勝った……はずだ。だが、この胸に残るのは何だ?)

シャオンを倒し、スカルズを殲滅した。村は、一時的にではあるが脅威から解放された。それでも、ライの心は晴れなかった。むしろ、重苦しい何かが鉛のように沈んでいる。

かつて「レイヴン」として戦っていた頃の「勝利」とは、あまりにも感覚が異なっていた。

──得たものは少なく、失ったものはあまりにも多い。

(あの頃の俺は、NPCの命の重さなんて、考えたこともなかった……)

今、自分がそのNPCの立場になり、彼らの血と涙を目の当たりにして、初めてその理不尽さに気づかされた。プレイヤーにとって、ここは所詮ゲームでしかない。彼らが失うのは、時間と、ゲーム内での僅かなペナルティだけだ。だが、村人たちにとっては──ここが全てであり、失うのは命そのものだった。

「……結局、何が変わったんだ……? 俺が何人か殺したところで……」

虚しさが、冷たい夜気と共に胸に沁み込んでくる。

「──月見には、寒すぎる夜じゃな」

不意に、背後から穏やかな声がした。振り返ると、アンバーが、いつの間にかすぐそばに立っていた。その手には、小さな木の杯が二つ握られている。

「村長……」

「一杯、付き合わんか。祝い酒というわけにはいかんが……せめてもの、な」

アンバーはそう言うと、ライの隣にどっかりと腰を下ろし、一つの杯を差し出した。中には、村で採れた果実を使ったのであろう、素朴な香りのする酒がなみなみと注がれている。ライは黙ってそれを受け取った。

しばらくの間、二人とも無言で月を見上げていた。先に口を開いたのはアンバーだった。

「お前のおかげで、村は救われた。じゃが……失ったものも大きすぎる。家を失った者、家族を亡くした者……食糧も、冬を越せるかどうか……」

その声には、村長としての深い苦悩が滲んでいた。 ライは、杯の中の酒を一口だけ喉に流し込んだ。甘酸っぱい、しかしどこか力強い味がした。

「……俺は、何のために戦ったんでしょうね」

ぽつりと、本音が漏れた。誰に言うでもない、自問自答のような言葉だった。 アンバーは、ゆっくりとライの方を向いた。その深い皺の刻まれた目は、静かにライの心を見透かしているかのようだ。

「生きるためじゃ。そして、生き残った者たちが、明日を迎えるためじゃ」

穏やかな、しかし確信に満ちた声だった。

「それ以上でも、それ以下でもない。少なくとも、ワシはそう思うとる」

アンバーの言葉は、ライの心に静かに、しかし深く染み渡った。

ここには確かに、守らなければならない「命」があり、繋いでいかなければならない「明日」がある。 虚しさが完全に消えたわけではない。

アンバーは、やがて静かに立ち上がり、「無理はするな。今日は早めに休め」とだけ言い残して去っていった。 一人残されたライは、もう一度、焼け落ちた畑を見渡した。無惨に荒らされ、黒く焦げた大地。だが、その下には、まだ生命を育む力が眠っているはずだ。

(俺にできること……)

ゆっくりと立ち上がり、ライは畑の土をそっと手に取った。ひんやりとした土の感触が、指先から伝わってくる。

(もう二度と、あんな思いはしたくない。……俺自身が、もっと強くならないと、)

俺がもし元の体を取り戻せれば…この現状を、彼らに襲いくるこの理不尽な“遊戯(ゲーム)”を、変えることができるかも知れない。


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