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第5話 燃える村に立つ者

 次の瞬間、シャオンの巨体が動く。

 否、動いたと認識した時には、既にその刃がライの眼前に迫っていた。

「──ッ!」

 ライは咄嗟に剣を構え、応戦しようと試みる。しかし、シャオンの動きはその比ではなかった。振るわれる両手剣は暴風そのもの。一撃が空を裂き、凄まじい風圧だけでライの身体がよろめく。

 ガキンッ!

 かろうじて剣で受けたものの、凄まじい衝撃に腕が痺れ、身体が吹き飛ばされそうになる。シャオンの鎧は硬く、ライの刃は浅い傷跡すら残せない。逆に、シャオンの的確な剣撃は、ライの防御をいともたやすく突破し、その身体を的確に捉え始めた。 鋭い痛みが脇腹を貫く。避けきれなかった一撃が、肉を深く抉ったのだ。

「ゴ、フ…ッ!」

《HP:36/530》

《状態異常:出血(中)》

 HP表示が一気に赤く染まり、危険な領域を示す。視界がぐらつき、膝から力が抜けていく。地面に溢れる自らの血が、やけに生々しい。

(このままじゃ…死ぬ…)

 朦朧とする意識の中、ライは最後の力を振り絞った。一縷の希望に縋るように、あの“構え”を取る。

 右足を引き、左手をかざす。

「──神威ッ!」

 だが、虚しい叫びが戦場に響くだけ。当然、何も起こりはしなかった。

(……そうか。今の俺には、もうあの力は……ないんだ……)

 魂の底から、冷え冷えとした絶望が這い上がってくる。それは、肉体の痛みよりも深く、鋭く、ライの心を抉った。

 シャオンは、ライの不可解な行動を鼻で笑った。

「何かの呪文のつもりか? 無駄だ! 死にぞこないが、往生際が悪いぜ!」

 嘲りの言葉と共に、再び両手剣が振り下ろされる。ライはもはや抵抗する力も残っておらず、なすすべもなく地面に叩きつけられた。全身を強打し、肺から空気が押し出される。 ズキリ、と頭の芯が痛んだ。シャオンの威圧的なオーラと、目前に迫る死の恐怖が、ライの精神を蝕んでいく。

《状態異常:恐怖》

《全ステータスが著しく低下します》

 視界の隅に浮かんだ無慈悲なシステムメッセージ。身体が鉛のように重くなり、思考が鈍っていく。指一本動かすことすら億劫で、ただ浅い呼吸を繰り返すことしかできない。

(……動けない……。これが、本当の……終わり、なのか……)

 絶対的な力の差。打ち砕かれた希望。そして、全身を支配する冷たい闇。ライの意識は、ゆっくりと深淵へと沈んでいくようだった。

 地面に倒れ伏したまま、ライは霞む視界でシャオンの巨体を見上げていた。とどめを刺そうと、両手剣がゆっくりと振り上げられるのが見える。その刃の冷たい輝きが、やけに目に焼き付いた。

(死ぬのか……? 痛い……寒い……)

 意識が遠のいていく。肉体の感覚が薄れ、まるで水底に沈んでいくような奇妙な浮遊感。 ふと、心の隅で囁く声がした。

(……でも、所詮ゲームの世界…バグか何かで、俺はNPCの身体に入っちまっただけ…死ねば……もしかしたら、元の世界に戻れる、なんて都合のいいことが……)

 一瞬、そんな甘えにも似た現実逃避の考えが頭をよぎった。

 だが──。

 脳裏に、シェリンの涙が浮かんだ。ルルの怯えた顔が。殺されていった村人たちの、無念の表情が。 そして、今この瞬間に感じている、全身を焼くような激しい痛み。止めどなく流れ出る自分の血の、生温かい感触。内臓が軋むような鈍い苦痛。目前に迫る「死」というものの、圧倒的なまでの本能的な恐怖。 それらが、先程までの甘い幻想を、容赦なく打ち砕いた。

(違う……! これは、ただのゲームなんかじゃない……!)

 心の中で、何かが叫んでいた。

(俺がここで諦めたら、この村は本当に終わるんだ! シェリンも、子供たちも、皆……皆殺しにされる! ふざけるな……!)

 怒りが、悔しさが、そして何よりも強い生存への渇望が、消えかかっていた意識の灯を再び激しく燃え上がらせる。

(クソが……!)

(立て……立てよ、俺!!)

 最強でもランカーでもなくなった。平凡な剣しか持たない、ただの農民NPCだとしても──

(こんなところで……終われるか!!)

 心の底からの、魂を絞り出すような絶叫だった。

 ドクンッ──

 止まりかけていたかのように感じられた心臓が、一度、ひときわ力強く脈打った。 次の瞬間、身体の奥底から、まるで灼熱の奔流のような何かが湧き上がり、全身へと駆け巡る。本能が、魂が、死の淵から彼を引き戻し、「生きろ」と、そして「戦え」と、明確に命令していた。

 ライの薄れかけていた意識の中で、一つの強烈なイメージが浮かび上がる。 それは、かつての自分──孤高にして最強と謳われたプレイヤー、「レイヴン」の姿だった。白銀の鎧を纏い、聖剣を携え、幾多の修羅場を冷徹な瞳で見据えていた、あの頃の自分が。


 その幻影が、今の血と泥にまみれたライと、一瞬、重なった。


 周囲の空気が変わる。絶望的な戦場に、どこか神聖さすら感じさせる、張り詰めたオーラが満ちた。

 《条件達成:致死の状況下において、なおも強靭な意志によって戦意を維持》 《特殊心得:戦闘続行の心得 を習得しました》

 脳内に直接響くようなシステムメッセージ。 《戦闘続行》──本来ならば、プレイヤーが習得するにはLv200以上、そしてその中でも極一部のみが会得できるスキル。その効果は絶大。HPが0になるような致命的なダメージを受けても一度だけ耐え、その後、ごく短い時間ではあるが、あらゆるダメージを無効化する《不死》状態となる。


 閃光が、ライの視界を白く染め上げた。 次に目を開いた時、世界は一変して見えた。シャオンの巨大な両手剣の軌道、その鎧の僅かな隙間、力の流れ、次の瞬間に彼がどこへ踏み込むか──その全てが、先程までの比ではなく鮮明に、寸分違わぬ精度で視えた。 身体の底から、最後の、しかし圧倒的なまでの力が湧き上がってくるのを感じる。

 シャオンの両手剣が、とどめを刺さんとライの首筋目掛けて振り下ろされる。先程までなら、それは避けようのない絶対的な死の一撃だった。 だが──今、ライの身体は、まるで雷に打たれたかのように爆発的な速度で動いた。

 ガキンッ!

 金属同士が激しくぶつかり合う甲高い音。ライは振り下ろされたシャオンの剣を、手にした粗末な長剣で、信じられない力で受け止めていた。いや、受け止めたというよりは、その軌道を強引に逸らしたのだ。


 《戦闘続行の心得》──その効果は絶大だった。数秒間ではあるが、あらゆるダメージは彼を素通りしていく。痛みも、衝撃も、今のライには届かない。

「なっ……!?」

 シャオンの目に、初めて明確な驚愕の色が浮かんだ。その一瞬の動揺が、シャオンにとって致命的な隙となった。

 ライは、シャオンの攻撃を受け流した勢いを殺さず、そのまま懐へと深く踏み込む。

(視える──!)

 シャオンの膝。分厚い鎧に覆われているが、その関節部分の僅かな隙間をライは捉える。

「──うあぁぁぁぁぁあ!」

 獣のような咆哮と共に、ライは手にした長剣を逆手に持ち替え、その切っ先をシャオンの膝の隙間へと、全体重を乗せて突き立てた。


 グシャッ!


 肉を貫き、骨を砕く鈍い感触。

「ぐがあああっ!!」

 シャオンの巨体が、今まで聞いたこともないような絶叫を上げ、大きくよろめいた。利き足を潰され、その強靭な体躯が初めて明確にバランスを崩す。


 好機──!


 ライは畳み掛ける。 脇腹の鎧の合わせ目。兜の覗き窓のすぐ下。剣を振るうためにがら空きになった腕の付け根。次々と急所へ、ライは人間離れした集中力で、手にした剣を叩き込み、斬り裂き、突き立てていく。 それはもはや剣術と呼べるような洗練されたものではないかもしれない。ただ、生き残るため、そして守るための、無我夢中の猛攻だった。

「ば、馬鹿な……この俺が……こんな、雑魚に……!」

 シャオンは信じられないといった表情で呻き、その巨体から大量の血飛沫を上げながら、ついに膝をついた。それでもなお、その瞳には凶暴な光が宿り、憎悪に満ちた目でライを睨みつけ、最後の力を振り絞って両手剣を振り上げようとする。

 だが、ライはそれよりも速かった。 血反吐を吐き、意識が朦朧としながらも、彼は最後の力を振り絞る。声にならない叫びと共に、持てる全ての力を込めた最後の一撃を、シャオンのがら空きになった胸元――心臓のある位置へと、渾身の力で突き刺した。

 ズブリ、と肉を貫く重い感触。 シャオンの動きが、完全に止まった。

 ライの剣が、シャオンの胸を深く貫いていた。 シャオンの巨体から、カクン、と力が抜ける。その凶暴な光を宿していた瞳から急速に光が失われ、やがて虚ろに宙を見つめたまま、ゆっくりと大地に崩れ落ちた。 地響きと共に倒れたシャオンの亡骸は、次の瞬間、淡い光の粒子となって霧散し、跡形もなく消え去った。

 ──Lv43剣士 シャオン を撃破しました

 ──レベルアップ! Lv7 → Lv12

 ── [HP全回復]

 立て続けに表示されるシステムメッセージ。レベルアップと共に、全身を苛んでいた痛みや疲労感が嘘のように引き、力が漲ってくるのを感じる。

「……やった……。俺……勝った……のか……?」

血と泥と汗にまみれ、手にした長剣を杖のようにして、かろうじてその場に立ち尽くす。周囲には、先程までの喧騒が嘘のような、奇妙な静寂が戻っていた。 見渡せば、ギルドマスターが倒されたことで、「スカルズ」の残党たちは完全に戦意を喪失していた。蜘蛛の子を散らすように逃げ出す者、武器を捨ててその場にへたり込む者、あるいは呆然と立ち尽くす者。村はまだあちこちで炎が上がり、黒煙を吐き出しているが、最大の脅威は、確かに去ったのだ。

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