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第28話 聖流光

 ジルゼンドとの特訓を終え、ライが己の剣技に新たな境地を見出してから数日が過ぎていた。彼は「瞬雷」の基礎を体に刻み込むように、自主的な鍛錬を欠かさなかった。その立ち姿一つ取っても、以前とは比較にならないほど無駄がなく、研ぎ澄まされた気配が周囲を圧する。時折、訓練場の片隅で彼が見せる、常人には捉えきれないほどの無拍子の動きは、ルシアの目にも明らかな成長として映り、彼女の胸に小さな焦りを灯していた。


「はぁ……また、だめ……」


 カルキア郊外の、木漏れ日が優しく降り注ぐ静かな森の一角。ルシアは肩で息をしながら、力なく両手を下ろした。彼女の目の前には、かろうじて形を保っていた光の粒子が、頼りなく揺らめいたかと思うと、はかなく霧散していく。中級光魔術《極光結界》の習得は、依然として彼女にとって高い壁だった。


 教本に記された術式は完璧に理解しているはずだった。魔力の流れも、集中も、以前より格段に安定している。それでも、あの絶対的な守護を誇る光の防壁をイメージし、「硬く、何者も通さぬ盾を!」と念じれば念じるほど、彼女の魔力は制御を離れ、まるで春霞が朝日に溶けるように形を失ってしまうのだ。


「ライさんは、あんなに強くなっていくのに……私だけ、ずっと足踏みしているみたい……」

 俯くルシアの小さな呟きは、森の静寂に吸い込まれていく。


「焦ることはありませんよ、ルシアさん」

 木陰で丸くなっていた黒猫──アレナが、その金色の瞳をルシアに向け、静かに語りかけた。

「あなたの光は、ライさんの鋭い雷光とはまた異なる輝きを秘めているのですから。無理に同じ道を辿ろうとする必要はありません」


「でも…今のままでは、ライさんの足を引っ張ってしまうばかりです…」

 ルシアの声には、切実な想いが滲んでいた。


 その時、鍛錬を終えたライが、彼女たちの元へ歩み寄ってきた。ルシアの落ち込んだ様子と、霧散した魔力の残滓を見て、事情を察したのだろう。

「《極光結界》か。どんな力も、ただ闇雲に力を込めればいいってもんじゃない。集中力や、力の流れを読む感覚は、魔術にも通じるものがあるかもしれないな。俺にできることがあれば言ってくれ」


 ライの温かい言葉に、ルシアは顔を上げた。そして、隣に座るアレナへと視線を移す。アレナは優しく頷くと、ルシアに向き直った。

「ルシアさん、あなたの魔力は、本来とても純粋で、温かく、そして周囲と調和しようとする性質を持っています。しかし、《極光結界》の『硬さ』というイメージは、その流れを無理に堰き止め、歪めているように見えますね」


 アレナは、ルシアを促して訓練場の隅、古い大樹の根元へと導いた。そこは陽光が柔らかく差し込み、心地よい風が吹き抜ける、魔力を感じやすい場所だった。

「《極光結界》という『結果』に囚われるのではなく、まずはあなた自身の魔力が最も心地よく流れる『形』、最も力を発揮できる『イメージ』を探ってみましょう」

 アレナはそう言うと、ルシアに目を閉じるよう促した。

「あなたの内なる光を感じてみてください。それは何を望んでいますか? どのような形で、世界と関わりたいと願っていますか?」


 ルシアは言われるままに目を閉じ、深く呼吸を繰り返す。自身の内にある魔力の源流へと、意識を静かに沈めていった。ライもまた、少し離れた場所でその様子を静かに見守っている。彼の心には、ジルゼンドから受けた指導の断片が蘇っていた。形に囚われず、本質を掴むことの重要性。


 アレナの導きと、ライの存在が与える安心感の中で、ルシアの集中力は徐々に高まっていく。彼女の意識は、自身の魔力だけでなく、周囲を満たす自然の息吹へと広がっていった。風が木々の葉を揺らす音、大地を流れる微細なエネルギーの脈動、小さな生命たちの息遣い──それらが、まるで一つの大きな調和した音楽のように感じられる。


 すると、彼女の身体から、これまでとは比較にならないほど清浄で、そして力強いオーラが静かに立ち上り始めた。それは攻撃的なものではなく、むしろ周囲の環境と優しく共鳴し、全てを包み込むような、慈愛に満ちた光だった。


「……!」

 ライが息を呑む。ルシアの瞳が、にわかにその色を変じ始めていた。普段の穏やかな碧色の奥から、まるで内なる聖火が灯されたかのように、淡い黄金色の光が放たれ始めたのだ。それはまだ完全な変化ではなかったが、彼女の内に眠っていた何かが、確かに覚醒の兆しを見せている証だった。


(黄金の瞳…これは…)


 ルシアの口から、自然と祈りにも似た言葉が紡がれる。

(温かい…これが、私の魔力の本当の姿…? 守りたい…この光で、大切な人たちを…この世界を…)


 彼女の集中が頂点に達した瞬間、その想いが奔流となって溢れ出した。黄金色に輝く瞳が一際強く光を放ち、両手から解き放たれた魔力は、もはやルシア個人の力というよりも、世界の祝福そのものが形を成したかのようだった。


 それは、特定の術式によって形成された防御結界ではない。ルシア自身の魂の輝きが、周囲の「力場」を直接制御し、聖なる意志を具現化した、絶対的な守護の領域──ユニーク魔術「聖流光」。


 力場は、目に見えない障壁でありながら、その内側は温かく清浄な光で満たされ、あらゆる負のエネルギーや敵意を穏やかに浄化し、無力化する力を秘めていた。その光は、鋭く敵を拒絶するのではなく、全てを優しく包み込み、その本質へと還すかのような、慈愛と調和の輝きを放っていた。


 ライが、その神々しいまでの光景と、ルシアから放たれる、以前とは比較にならないほど強大で清らかなオーラに言葉を失っていると、アレナが感極まったように声を上げた。

「素晴らしいですね…!あなたの魔術は世界の力場そのものに干渉しているように見えました」


 試しとばかりに、アレナが小さな闇のエネルギー弾を生成し、ゆっくりと「聖流光」の力場へと放つ。攻撃的なエネルギーは、力場に触れた瞬間、何の抵抗も見せることなくその輝きの中に溶け込み、完全に浄化され消滅した。


「これが…私の力……。ライさん、アレナさん…私、この力で…!」

 ルシアは、黄金に輝く瞳で自らが展開した光の力場を見つめ、驚きと、そして今まで感じたことのないような確かな手応えに、喜びと決意で声を震わせた。それは、誰かから与えられた力ではない。彼女自身の魂の奥底から湧き出でた、聖なる輝きそのものだった。ライもまた、彼女のその姿に、これからの旅路に射す一筋の光明を見た気がした。


 しかし、「聖流光」を発動した後、ルシアの身体はふらりと揺らめいた。極度の魔力消耗と、魂を燃焼させるかのような精神的な疲労が、一気に彼女を襲ったのだ。ライが咄嗟に駆け寄り、その華奢な身体を支える。


 アレナはルシアの状態を診て、静かに告げた。

「今のあなたでは、この力を長時間維持することも、頻繁に使うことも難しいでしょう。魂を燃焼させるほどの力です。ですが、その一端を掴んだことは、何よりも大きな一歩です」


 ルシアは疲労困憊しながらも、ライに支えられ、確かな決意の光を目に宿していた。

「大丈夫です…まだ、完全に使いこなせるわけではありませんが…でも、私、この力でライさんや、困っている多くの人々を守れるようになりたいんです。そのために、もっともっと強くならなければ…!」


 その言葉に、ライは静かに頷き、彼女の小さな肩を力強く支えた。アレナもまた、ルシアのその覚悟を見届け、静かに微笑むのだった。カルキアの森に射し込む陽光が、新たな決意を胸にした二人を、そしてそれを見守る一匹の黒猫を、優しく照らし出していた。

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