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第4話 襲撃

 けたたましく鳴り響く警戒の鐘の音と、村の中心から立ち上る黒煙。ライは、戦慄を胸に固く鍬を握りしめたままエルム村の中心部へと駆けていた。


 予感は最悪の形で現実のものとなっていた。

 村の広場に差し掛かる手前で、彼の足が思わず止まる。目の前に広がっていたのは、まさに地獄絵図だった。 見慣れた木造の家屋が、赤黒い炎を上げて燃え盛っている。火の粉が爆ぜ、パチパチという不吉な音と共に、焼け焦げた木の柱が崩れ落ちる音が響く。煙は空を覆い、太陽の光を遮って、昼間だというのに辺りは薄暗い。鼻をつくのは、物が焼ける刺激臭と、そして……血の生臭い匂い。

「いやぁぁぁ!」「助けてくれぇ!」「誰かっ!」

 逃げ惑う村人たちの悲鳴が、断末魔が、あちこちから聞こえてくる。着の身着のまま飛び出してきたのだろう、煤にまみれた老婆が杖を頼りに転げるように逃げ、幼い子供が親とはぐれたのか、恐怖に泣き叫びながら炎の中を彷徨っている。 彼らを追い立てるようにして、見慣れない出で立ちの者たちが闊歩していた。革鎧や金属鎧を身に着け、手には剣や斧、杖を握っている。その数は十数人か、あるいはもっと多いのかもしれない。彼らの顔には、嗜虐的な笑みが浮かんでいた。

「いいねー!燃えろ燃えろー!農民の家なんて、どうせ大したもんはねぇんだ!」

「おい、そこの爺さん、何かアイテム持ってねえのか? なあ?」

「うっせえな、こいつ。経験値にもなりゃしねえ」

 聞こえてくる会話は、およそ人のものとは思えなかった。彼らは、エルム村の村人たちを、まるで虫けらのように扱い、その命を玩具のように弄んでいる。家畜小屋からは家畜の悲痛な鳴き声が響き、略奪の限りを尽くしているのが見て取れた。


 猟師が報告したプレイヤーギルドだろう。彼らは明らかに、この低レベル帯のNPCの村での一方的な蹂躙を楽しんでいた。


 ライは、唇を噛み締め、全身が怒りで震えるのを抑えきれなかった。かつて自身が味わった理不尽な暴力。それが今、目の前で、守りたいと思った者たちに向けられている。

(ふざけるな……!なんで何も感じずに殺せるんだ!!)

 込み上げる憤怒とは裏腹に、今の自分にはこの惨状を止める力がないという現実が、重く胸にのしかかる。焦りと無力感に、奥歯がギリリと音を立てた。


 そんな彼の視界の隅に、見慣れた栗色の髪が映った。

「……シェリン!」

 広場の隅、半壊した家畜小屋の物陰に、シェリンが小さな影──確かルルという名の村の子供──を必死に庇いながら隠れているのを発見した。シェリンの顔は煤と涙で汚れ、恐怖に引き攣っている。

 ライは周囲のプレイヤーたちの目を盗むように、素早く二人の元へ駆け寄った。

「シェリン! ルルも、大丈夫か!?」

「ラ、ライ……!」

 ライの姿を認めたシェリンの瞳に、わずかな安堵の色と、しかしそれ以上に強い恐怖が浮かんだ。ルルはシェリンの腕の中で声を殺して震えている。

「こっちだ、もっと奥へ……いや、あっちの井戸の影なら……」

 ライは必死に周囲を見渡し、少しでも安全な場所を探そうとする。しかし、村のどこもかしこも炎と略奪者の手があふれ、安全な場所など見当たりそうになかった。

「プレイヤーたちが……『スカルズ』って、……! 村長や、男の人たちが……みんな、頑張ってるけど……でも、敵が多すぎて……っ」

 シェリンは途切れ途切れに、涙ながらに状況を伝える。その言葉の一つ一つが、ライの胸を鋭く抉った。

(スカルズ……聞いたことないな…低レベル帯のNPCや初心者プレイヤーを狩って楽しむ、ゴミ野郎の集まりか。でも、今の俺には……)

 武器はない。スキルもない。レベルも、焼け石に水程度だ。

 それでも──

 ライは、震えるシェリンの肩にそっと手を置いた。その手もまた、怒りと無力感で微かに震えていた。

「シェリン、よく聞け。俺がなんとかする。だから……」

「ダメ! ライまで行ったら……! あなたまで死んじゃったら、私……!」

 シェリンが必死の形相でライの腕を掴む。その目には、懇願の色が浮かんでいた。 ライは、その手を静かに振りほどいた。そして、常からは想像もつかないほど冷徹で、しかしどこか燃えるような光を宿した瞳で、シェリンを真っ直ぐに見据えた。

「死ぬかどうかは、俺が決める」

 シェリンは息を呑み、ライの言葉に何も言えなくなる。ライはルルの頭を一度だけぽんと撫でると、再び燃え盛る村の中心部へと身を翻した。

 

 広場では既に凄惨な戦闘が繰り広げられていた。 村の自警団の若者や、屈強な農夫たちが、錆びついた剣や、普段使いの斧、そしてライと同じように鍬や鎌といった農具を手に、プレイヤーたちに必死の抵抗を試みていた。彼らの顔には悲壮な覚悟が浮かび、故郷と家族を守らんとする雄叫びが炎の中で木霊する。

「エルム村をなめるなよ、クソプレイヤーどもがァッ!」

「俺たちの家を……畑を荒らす奴は許さねえぞ!」

 しかし、その勇猛さも、圧倒的な装備とレベルの差の前にはあまりにも脆かった。 プレイヤーたちは、村人たちの攻撃を嘲笑うかのように軽々といなし、その隙に的確な反撃を叩き込む。鋭い剣閃が一瞬にして村人の胸を裂き、鈍器が頭を砕き、放たれた初級魔法の火球が悲鳴と共に肉を焼く。一人、また一人と、村の男たちが血に染まって崩れ落ちていく。

「ハッ、雑魚のくせに粋がってんじゃねーぞ!」 「経験値にもならねえ低レベが、時間取らせやがって!」

 プレイヤーの一人が、足元に倒れた若い自警団員に唾を吐きかけ、さらに剣を振り上げ追い打ちをかけようとした。

「やめろ!!」

 ライは、考えるよりも早く叫び、そのプレイヤーに向かって駆け出していた。手に握られた鍬を、渾身の力で横薙ぎに振るう。 狙われた自警団員は辛うじて難を逃れたが、ライの不意の一撃は、プレイヤーの革鎧に浅い傷をつけただけで、ほとんどダメージを与えられなかった。

「あぁ? なんだテメェ、農民が調子乗りやがって!」

 プレイヤーは忌々しげにライを睨みつけ、ニヤリと口元を歪めた。その目は、獲物を見つけた肉食獣のようにギラついている。


 鍬を構え直し、再びプレイヤーに打ちかかる。だが、攻撃は簡単に見切られ、逆に相手の剣が的確にライの身体を捉えようとする。


 ──速い。


 ザシュッ!

 鋭い痛みが肩に走った。プレイヤーの剣が、ライの薄い麻の服を切り裂き、皮膚を浅く裂いたのだ。血がじわりと滲み出し、熱い痛みが全身に広がる。

「ぐっ……!」

 思わず膝が折れそうになるのを、必死にこらえる。プレイヤーは、苦痛に顔を歪めるライを見て、さらに愉悦の色を深めた。

「ハハッ、どうした? この程度かよ!」

 嘲笑と共に、再び剣が迫る。ライは必死に鍬で受け止めようとするが、金属の刃と木の柄がぶつかり合う甲高い音と共に、腕に痺れるような衝撃が走り、鍬が手から弾き飛ばされそうになる。

(……鍬とこの身体じゃ…経験値稼ぎのプレイヤー相手にすら、勝てない……!)

 力の差は歴然だった。迫りくる死の予感と、圧倒的なまでの無力感。ライの心に、冷たい絶望がじわじわと広がっていく。

 目の前では、プレイヤーが勝ち誇ったような下卑た笑みを浮かべ、とどめを刺そうと無造作に剣を振り上げていた。金属の刃が鈍い光を放ち、死の影がライの全身を覆い尽くそうとする。

(ここまで、なのか……? 何もできずに、また……)

 脳裏に、かつて味わった圧倒的な敗北の記憶が蘇りかけた、その瞬間だった。


 チリッ──。


 まるで意識の最も深い場所で、何かが弾けたような微かな感覚。それと同時に、ライの視界の隅に、今まで見たことのない不可思議な文字列が明滅した。

 《特殊反応:魂の干渉を確認》

「──え?」

 戸惑うライの思考を置き去りにして、堰を切ったように膨大な情報が脳内へと流れ込んでくる。それは、「レイヴン」として、幾千幾万の戦場を駆け抜け、数多の強敵と死闘を繰り広げた中で培ってきた、戦闘経験の結晶。

 剣の軌道、敵の呼吸、重心の移動、次に繰り出されるであろう攻撃の予兆──それらが、まるで未来予知のように、あるいはスローモーション映像のように、鮮明に視え始めた。


《弱点補足の心得を習得しました》

《瞑想の心得を習得しました》


 身体の奥底から、熱い何かが湧き上がってくる。それは魔力ではない。スキルでもない。だが、確かに彼の五感を研ぎ澄ませ、思考をクリアにし、迫りくる脅威に対する最適解を瞬時に導き出す。


 振り下ろされる剣。

 先程まで絶望的な速度に感じられたが、今のライには、その軌道が手に取るようにわかる。

(──遅い!)

 思考よりも早く、彼の身体が反射的に動いていた。最小限の動きで剣を紙一重でかわすと、がら空きになったプレイヤーの右足首──その腱が集中する一点が、まるで光って見えるかのように強調される。 そこへ、ライは手にした鍬の先端を正確に叩き込んだ。


ゴッ!


 鈍い音と共に、プレイヤーが甲高い悲鳴を上げる

「がっ!? て、てめぇ……!」

 バランスを崩し、体勢が大きくよろめいたプレイヤー。その無防備な脇腹、鎧の隙間、そして次の一瞬で硬直するであろう首筋。次々と「弱点」がライの脳裏に浮かび上がる。 ライは追撃の手を緩めない。

 研ぎ澄まされた集中力の下、的確に、そして容赦なく、鍬を振るう。

「死ね!!」

 的確に急所を打ち据えられ、プレイヤーはなすすべもなく地面に崩れ落ち、やがて動かなくなった。

 ──[Lv16 剣士]を撃破しました

 ──レベルアップ! Lv5 → Lv7

 ──[HP全回復]

 戦闘不能になったプレイヤーが淡い光の粒子となって消滅していった。

 レベルアップと共に、肩の傷の痛みが和らぎ、消耗した体力が回復していくのを感じる。


 足元には、倒されたプレイヤーが装備していたのであろう、粗末だが鉄製の長剣が一本、泥に汚れて転がっていた。

「おい、あいつやられたぞ!」

「農民相手にダッセーなぁ!」

 仲間が一人倒されたことで、周囲で他の村人を嬲っていたプレイヤーたちのうち、三人組が新たな獲物を見つけたと言わんばかりに、ライを取り囲むようにじりじりと距離を詰めてきた。いずれも先ほどのプレイヤーと同程度か、それ以上のレベルだろう。手には剣やメイスを握り、その目には油断と嗜虐の色が浮かんでいる。

 ライは、先ほど倒したプレイヤーが落とした粗末な長剣に視線を落とした。一瞬の躊躇の後、彼はそれを拾い上げ、手に馴染ませるように軽く振る。 その瞬間、まるで右手に強烈な電流が走ったかのような衝撃と共に、魂の奥底に刻み込まれていた馴染み深い感覚が鮮やかに蘇った。剣の重み。重心のバランス。切っ先までの精密な距離感。そして、鋼が空を裂く音。それは、かつて彼が「レイヴン」として、相棒たる聖剣レーヴァテインを振るっていた頃の、身体が記憶している全てだった。


《下級剣術の心得を習得しました》


 システムメッセージと共に、脳裏に剣術の基本動作が、まるで手足の一部であるかのように流れ込んでくる。

 ライの立ち姿が変わる…洗練された剣士のそれへと。

 その瞳には、先程までの焦りや恐怖の色はなく、ただ目の前の敵だけを見据える冷徹な光が宿っていた。

「舐めんじゃねえぞ、農民!」

「三人で一気に潰すぞ!」

 プレイヤーたちが、ほぼ同時に雄叫びを上げて襲いかかってきた。

 だが、今のライには、彼らの動きが手に取るように視えた。 【瞑想の心得】によって研ぎ澄まされた意識が、三人の攻撃の軌道とタイミングを正確に捉える。【弱点補足の心得】が、それぞれの構えの中に潜む僅かな隙──力の入っていない肩、踏み込みの甘い足、攻撃後の硬直──を明確に示す。そして、【下級剣術の心得】が、その隙を突くための最適な剣の動きを身体に命じる。

 ライは、まるで舞うようにプレイヤーたちの猛攻を捌いていく。 正面からの剣を最小限の動きで受け流し、カウンター気味に相手の腕を浅く斬り裂く。側面からの薙ぎ払いを身を屈めてかわし、立ち上がりざまに胴鎧の隙間へ鋭い刺突を叩き込む。そして、背後からのメイスの一撃は、振り向きもせずに剣の柄で軌道を逸らし、体勢を崩した相手の喉元へ、容赦なく剣尖を突き立てた。


ゴリッ!

 

 鮮血が舞い、肉を裂く生々しい音が響く。ライの動きは、一挙手一投足には無駄がなく、敵の力を利用し、最小の力で最大の効果を上げるまさしく達人のそれだった。 それでも、数の差と装備の差で徐々に押され始める。

 ライの身体にも新たな切り傷が増え、呼吸は荒く、体力は確実に削られていく。何度も危険な場面に陥り、一瞬の判断ミスが死に繋がるようなギリギリの攻防が続いた。

 しかし、永遠にも感じられるような時間の後──三人のプレイヤーたちは、それぞれ致命傷を負い、声にならない呻きを残して光の粒子へと変わっていった。


「おい……あいつ、何なんだよ……!?」

「ただのNPCじゃねえのか……? やけに手練れだぞ……」

 先程までの嘲笑や油断は消え、プレイヤーたちの間に明らかな動揺と、そしてわずかな恐怖の色が広がり始めていた。彼らはライから距離を取り、警戒するように遠巻きに見ている。


 その、張り詰めた空気を切り裂くように、低い、それでいてよく通る声が響いた。

「へぇ。なかなか楽しませてくれるじゃねえか、そこの農民さんよ」

 声のした方向へライが顔を向けると、そこには一人の大柄な男が立っていた。 燃え盛る家屋の炎を背に、ゆっくりとこちらへ歩いてくるその男は、他のプレイヤーたちとは明らかに纏う空気が違っていた。全身を黒と赤を基調とした重厚な金属鎧で固め、腰には身の丈ほどもある長大な両手剣を帯びている。その一歩一歩が大地を揺るがすかのような威圧感を放ち、周囲のプレイヤーたちは、まるで王の前に跪くかのように道を空け、緊張した面持ちでその男を見つめている。 男はライの数メートル手前で足を止めると、血と泥に汚れた彼を値踏みするように、冷徹な眼差しで見下ろした。その瞳の奥には、獲物を見つけた捕食者のような、歪んだ愉悦の色が浮かんでいる。

「俺の部下たちが、随分と手こずらされたようだな。まさか、こんな寂れた村の農民に、ここまでやられるとは……予想外だったぜ」

 男は、ギルド「スカルズ」のマスター、「シャオン」。

 そのレベルは、43。

 絶望的なまでの力の差を物語っていた。


「まあいい。退屈しのぎにはなりそうだ。礼を言うぜ、農民」

 シャオンはゆっくりと腰の両手剣に手をかけ、その柄を握りしめた。ギシリ、と金属のこすれる音が、やけに大きく周囲に響き渡る。

「さあ、第二ラウンドと行こうか。今度は、この俺が直々に遊んでやる」

 シャオンが剣を抜き放つ。磨き上げられた長大な刃が、炎の光を反射して煌めいた。その切っ先が、的確にライに向けられた。


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