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第15話 《封絶域セル=ナハル》

紫の瘴気が流れる静滅の回廊にて、誰にも気づかれぬよう静かに呼吸する者がいた。

「誰かいる。隠れろ」

そういいライとルシアは曲がり角の手前で身を潜める。

「プレイヤー…か?」


赤みがかった焦げ茶の髪を、ゆるいツインテールにまとめ、深緑のローブを軽装ジャケットのように着崩した服装。膝上まである裾を片手で押さえながら、彼女は座っている。

 華奢な体格。けれど、その姿勢には妙な威圧感がある。

薄暗い柱の陰に身を潜めたまま、片足を伸ばした姿勢で微睡んでいた。

 ──けれど、その灰緑の瞳が静かに開く。

 「……いる」

 眠気の残る声。だが、その言葉には曖昧さがなかった。

 少女は指先を軽く払う。

 それだけで、周囲に漂っていた精霊の粒子が一斉に揺れ、回廊の奥──その先にある気配へと集まり始める。

 「襲ってくる様子はないけど、敵かな」

 穏やかに、けれど明確に告げる。

 「三秒だけ待つわ。姿を見せなかったら──殺す」

 その声に飾り気はなかった。

 ただ静かに、結果だけを伝えるような宣告だった。

 ── 一拍、二拍。

 少女の手の甲に、すでに精霊の紋が浮かび上がっていた。

 どんな術式が放たれるのか、見えなかったのは──彼女がそれほどの使い手であるという証。

 そして──三拍目を刻もうとした瞬間。

「……待ってくれ。出る」

 低く、だがはっきりとした声が瘴気を裂いた。

 少女は眉をひとつだけ動かし、立ち上がる。

 姿を現したのは、傷を負った若い男と、彼のすぐ後ろに寄り添うような銀髪の少女。

 「……Lv270とLv30のNPCねぇ。」

 少女の視線がすっと鋭くなる。

 それは敵意ではなく、驚きと興味と、ほんの僅かな警戒。

 「ここまで、生きてたどり着くなんて……ちょっと信じられないな」

 ライは答えず、ルシアだけが静かに頭を下げた。

 少女はそれを見て、ひとつため息をつき、少しだけ肩を落とす。

 「……緊張させたね。ごめんなさい。精霊たちが起こしてくれちゃって……もうちょっと寝ていたかったのに」

 その口調には確かに飄々とした柔らかさがある。

 だが、彼女の指に残る魔力の残響は、さっきまで本気だったことを雄弁に語っていた。


 「わたしはゼクス。ゼクス=ヴァーミリオン。先にこのダンジョンに潜ってたの。……少しなら、案内できるかな」

 そう言って、ゼクスはふわりと腰を下ろし、再び壁にもたれる。

(赤髪の精霊使いで名前はゼクス…精霊術師系統のトップランカーのあいつか…)

 精霊使いゼクスは全魔法系統の精霊と契約し、Lvも370以上。複数精霊を使役し、多重魔法を駆使した盤面制圧力はどのランカーにも勝る。

名実ともにトップランカーだが、彼女はPvPやレイドよりも、ダンジョン攻略やこの世界の歴史の研究をメインにソロで活動する風変わりなプレイヤーだった。ゲーム内の歴史の研究をする彼女の周りからの評価は“超がつくほどの変人”。

そんな彼女がこのダンジョンにいるということは、やはりこのダンジョンは歴史的な遺跡なのだろう。


「……ごめん、少しだけ寝ていい?ここは安全だし君たちも一旦休みなよ。起きたら……すぐに、話すから」

 そうして彼女は、またうとうとと静かな眠気に身を委ねた。

「……なら、俺たちも休むか?」

「はい。私もちょうど休みたかったところです」


ダンジョンは太陽の光が一切通らないので時間感覚がわからない。

数時間はたっただろうか、妙な金属音でライは目を覚ます。

ライが目を開けると、漂う香ばしい匂いと共に、誰かが金串で肉をひっくり返す音が聞こえた。

「起こしちゃった?まあ、おあいこということで」

いつの間にか起きていたゼクスが、崩れた石柱の上に簡易の調理具を広げていた。

 煤けたフライパンの上には、こんがりと焼けた鹿肉。

 傍らでは、魔法で熱を保つ小さな風精霊が、かすかに光っている。

「君たちも食べる?…お腹空いてるよね?」

 その声は柔らかいが、眠気にまかせた気配の奥に、油断のない冷たい芯があった。

「いいのですか…?出会ったばかりなのに…」

「いーよいーよ。聖女候補サマのお眼鏡に叶うかはわからないけどね。鹿肉のソテー──熟成スパイス付き。食材はこのダンジョンの外縁で拾ってきたやつ。意外といい匂いするでしょ?」


 焼けた肉の表面に、焦げ目が軽く浮かぶ。

香辛料が油に溶け込み、香ばしさを放っていた。

ルシアは、差し出された皿の上の鹿肉を見つめた。

そっとナイフを入れる。

 肉がやわらかく切れ、スパイスの香りが立ちのぼる。

 ──ひとくち。

 口に入れた瞬間、想像以上の旨味に、思わず小さく目を見開いた。

 「……おいしい……っ」

 思わず漏れた言葉に、ゼクスがにやりとした笑みを浮かべる。

「いい反応だね。エルフちゃんの可愛い反応をみれて、わざわざ新鮮な肉を使った甲斐があったよ」

ゼクスは欠伸混じりに伸びをしながら、壁にもたれ直した。

 

「じゃあ、食事のお代に……教えてほしいんだけど。あなたたち、どうやってここまで来たの?」

 問いは穏やか。

 だが、返答次第では、再びあの殺気が戻ることを、二人とも直感していた。

 ライが構えずに答える。

 「……歩いて来たんだ。苦労はしたが、なんとか」

 「ふぅん。“歩いてきた”ね。……にしてもLv30でここまでって、いろんな意味で信じられないなぁ」

 ゼクスは再び目を細め、眠気を払うように軽く頭を振った。

 「まあ、いいか。詳しい話は、こっちからするほうが早いかもね」

 その言葉に、ライとルシアの注意が集まる。

 ゼクスは、ゆっくりと腰を上げ──

 瘴気の扉の前に立ち、静かに呟いた。

 「この場所の名前、聞いたことある?」

ゼクスが問いかけた瞬間、ライとルシアは顔を見合わせた。

 二人とも、首を横に振る。

 「俺たちが手にした地図には、名前の記載どころか、こんな神殿があるなんて書いてなかった」

 「私も、学術書では見たことがありません……」

 ゼクスはその反応に、やや意外そうに目を細める。

 そして、ごく自然に、扉に指先を添えた。


 「なるほど。なら教えてあげる。このダンジョンの名前は──」

 風のない回廊で、彼女の声が静かに響いた。

 「《封絶域セル=ナハル》。“セル=ナハル”は、古語で“境界の谷”って意味。」

 「封絶域……?」

 ライが眉をひそめる。

 「ええ。意訳すれば、“閉じられた聖域”とか、“隔絶された深淵”とか──そんなニュアンスね」

 ゼクスの声音は穏やかだったが、その言葉には重さがあった。

 まるで、この地が単なるダンジョンではない何かを孕んでいると、暗に示すように。

 「……アルケイディア古語、なんですか?」

 小さな声で問いかけたのは、ルシアだった。

 彼女の瞳が微かに揺れる。

 その響きが、どこかで聞いた祈りの言葉と重なっていたから。

 ゼクスは、ふと笑みを浮かべる。

 「そう。あなたなら、反応すると思った。ハイエルフが使う詠唱語と、語源は同じなの」

 「……!」

 「昔は、闇の信仰や精霊の祭壇にも使われてた。今は、ほとんど忘れ去られてるけどね」

 ゼクスの指先が、扉の中心をなぞる。

 そこには、古びた文字が彫られていた。

 誰も読めないはずの“刻まれし言葉”を、彼女はあっさりと訳してみせた。

 「《ここは、誰にも祝福されない地》──そんなところかしら」

ゼクスの指が、扉に刻まれた文字を離れる。

 そのまま、彼女は振り返り、ライとルシアを見据えた。

 「このダンジョン、ね。元は神殿だったんだと思うわ」

 「神殿……?」

 ライが繰り返すと、ゼクスは頷いた。

 「ええ。構造の断片がそれを物語ってる。例えば、第1層の回廊や祭壇……あれは“儀式”の場だった痕跡が残ってる。壁面の文様、祈祷のレリーフ、座標軸の配置──ただの迷宮じゃありえない」

 彼女の語りは淡々としているが、その中には確かな分析と経験に裏打ちされた確信があった。

 「だけど、おかしいの。どこかで上書きされてるのよ。“元の意味”が、意図的に隠されてる」

 ルシアがそっと問いかけた。

 「それって……誰かが、神殿だったことを“消そうとした”って意味ですか?」

 ゼクスは満足げに微笑んだ。

 「勘が鋭いわね。その通りよ。おそらく──このダンジョンは、元々は“闇の神に仕える神殿”だった」

 その言葉に、ライの表情が僅かに強張る。

 「けど変よね。地上にあった神殿は光の女神サマを祀ってた。たぶん、封印……あるいは、改変」

 「……そんなことが、可能なのか?」

 「普通は無理。でも、ここはアルケイディアの“歴史そのもの”に関わってる場所かもしれない。だからこそ、複数の神格が衝突した痕跡が残ってる。少なくとも、この場所は“忘れられるべきだった”と、誰かが考えたんでしょうね」

 ゼクスはそう言って、再び扉に目を向けた。

「──それにしても、低レベル二人で挑んでここまで来れるなんてすごいね。ここ、一応推奨レベル300越えのダンジョンなんだけど」

 「……!そんなに…」

 ライの相槌に、ゼクスは軽く顎を引きながら答えた。

 「うん。まず地図に未記載、モンスター情報も不明、ボスも事前情報ゼロ。ギミックもレアすぎて、予習が通用しない」

 「完全に“初見殺し”だな……」

 ゼクスは頷いた。

 「加えて、 “精神攻撃”、“無音空間”に“幻影ギミック”──通常のPT構成じゃ対応しきれない。ソロで来るのはもっと無謀。……でも、わたしは来ちゃったけど」

 最後の言葉に、ライとルシアが少し表情を動かす。

 「一層の時点で、ほとんどのプレイヤーが撤退するでしょうね。あそこまでいける人間が、そもそも限られてる。加えて、ボスの強さ。見たでしょ、あの黒衣の……」

 ライは思い出すように、目を細めた。

 あのサンクファントム。Lv285の霊体型モンスター。強さだけでなく、戦術も知性もあった。

 ゼクスは、そんな二人の沈黙を見て、少し口調を和らげた。

 「でも──あなたたち、倒したんでしょ? あのボスを。レベル30と270で」

 「……運が良かっただけだ」

 ライはそう返したが、ゼクスはわずかに微笑んだ。

 「運で生き残れる場所じゃないわ。あたしはここに来て、三度、死んだ。そのうち一回は、敵の気配すら感じられなかった。そういう場所よ」

 その言葉には、戦いを知る者の実感があった。

 「だから、ここは“高難度”ってだけじゃない。死にゲーならぬ死にダンジョン。NPCの君たちには荷が重いんじゃないかな」

 ゼクスは少し口をつぐみ、穏やかに言葉を続けた。

 「でも、わたしは好き。こういう未踏領域ってやつ。先駆者として道を切り開くの、ワクワクするでしょ」

「……それだけの理由で、あなたはここに来たのですか?」

 ルシアが尋ねる。

 ゼクスの話を聞けば聞くほど、この場所が“普通ではない”と知れた今──なぜ彼女がそんな危険を冒すのか。それが気にならないはずがなかった。

 

 ゼクスは少しだけ顔を横に向けて、壁に背を預けたまま空を見上げるような仕草をした。

 瘴気の漂う天井。明かりのない空間に、彼女の声が柔らかく響く。

 「んー……理由ね。はっきり言えるかどうかは、わからないけど」

 彼女は目を細めた。

 その表情は、眠そうというより、どこか遠い記憶をなぞるような静けさをたたえていた。

 「“レイヴン”ってプレイヤー、君たちは知ってる?」

 「いえ…」

 ルシアの反応に意外そうな表情を見せつつゼクスは語った。

「…そう。私は彼の足跡を追ってるの」

 ライが、反応しかけたが、ゼクスはそのまま続ける。

 「ここに来る前、変な夢を見たの。名前も、姿も、思い出せない。でも、確かに“誰か”がこう言ったのよ──『この場所に、君の知りたい真実がある』って」

 ゼクスは目を伏せ、指先で床をゆっくりなぞる。

 「普通なら、そんなの気のせいだと思う。でもね、この世界ゲーム──《アルケイディア》には、そういう気のせいが現実になることがある」

 ルシアが小さく息を呑んだ。

 「だから来たの。根拠なんてない。ただ、“感じた”の。それだけ。でも、わたしにはそれで充分だった」

 ゼクスはライとルシアを交互に見て、ふっと笑った。

 「……そして、今ここであなたたちに会った。それが偶然か、必然かは知らない。でも、面白くなってきたとは思ってる」

 そう言って、ゼクスは静かに立ち上がる。

 「じゃあ、次は……“真実”を探しに行こうか」

 

 ゼクスが立ち上がり、軽く伸びをする。

 「……って言っても、まだ扉は開けないわよ。疲れてるでしょ、二人とも」

 「……否定はできないな」

 ライは苦笑を浮かべつつも、無銘の黒をそっと地面に置き、背中を壁に預けた。

 ルシアもそれに倣い、回廊の端の石畳にそっと腰を下ろす。

 「すみません……いろいろ、情報をいただいて」

 「別にいいのよ。どうせこの先に行くつもりだったし、独り言を聞いてくれただけ」

 そう言いながら、ゼクスは自身の荷からハイポーションを取り出し、ライとルシアに向かって差し出した。

 「要る?」

 「えっ、あ、はい。……ありがとうございます」

 「ライくんは?」

 「ありがたい。できれば予備も数本くれないか」

 「君も戦うつもりなの?低レベルのくせにやるじゃん」

 「その言い方は納得いかないな……」

 やりとりに、僅かな笑いが生まれる。

 この回廊に来てからというもの、ずっと張り詰めていた空気が、わずかに緩んでいた。

 深く息を吸い込むと、瘴気の匂いもどこか遠くに感じられる。

 ゼクスは壁に背を預けたまま、ゆるやかに瞬きを繰り返す。

 そのまま、言葉が少しだけ曖昧になっていく。

 「……ふあ……やっぱり、眠いわね。……ちょっと、目を閉じていい……?」

 「ま、戦闘中に倒れられるよりはマシだな」

 ライの呟きに、ゼクスは小さく笑ってから、静かに瞼を閉じた。

 「目が覚めたら、作戦会議でもしましょ。……ここまで会話して死なれるのは…嫌だし」

 

 瘴気の向こう、黒紫の扉はまだ開かない。

 だが、確かに何かが彼方で、呼吸を潜めている。

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― 新着の感想 ―
いくらなんでもライのレベルアップ遅すぎない? 今までレベル40,70,285とめっちゃ格上ばかり倒してきたのに。285は聖女様一人判定になったとしても、40と70倒しといて未だに30かよ
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