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第9話 聖都への旅路-2

焚き火が小さく、ぱちりと音を立てた。

 

風が──止んだ。

それにライが最初に気づいた。

つい先ほどまで、草を撫でていた夜風はすっと気配を消し、代わりに妙な静寂が空気を支配する。虫の羽音も、遠くの獣の唸りも、何も聞こえない。

まるでこの一帯だけ、世界から切り離されたかのようだった。

 

「……ルシア」

ライが低く呼びかけると、ルシアも焚き火の向こうで顔を上げた。

彼女もまた、異変に気づいたのだろう。瞳が僅かに細められ、緊張が走る。

 

ライは立ち上がり、ゆっくりと剣に手をかける。

 

周囲を見渡す。木々の影は深く、視界は悪い。だが、それ以上に──地面の“重さ”が違う。

ライはしゃがみ込み、地面に手を当てた。

 

……踏みならされている。

街道から逸れたこの森沿いの野営地。通常なら人の足が入らないはずの場所の土が、不自然に柔らかくなっていた。

そして微かに残る、複数の靴跡。

 

「……5人以上」

呟きが漏れる。足取りは軽く、靴底は均一で、並んで歩いた痕跡はない。──つまり、それは“隠密行動”の証拠。

《土壌観察の心得》が、かすかな違和感を拾い上げる。

(待ち伏せされていたのか…)


ライは立ち上がり、背後のルシアをちらりと見る。

「詠唱に入れるか?」

「いつでも」

 

即答だった。声に迷いはないが、肩にかかる緊張が見える。

ライは頷き、剣をゆっくりと抜く。

その瞬間──

 

がさり、と音がした。

 

正面の茂みが、揺れた。

次いで、左右──三方向から、微かに枝が擦れる音。人の気配。複数。

気づかれたと判断したのだろう。

 

ライの目が鋭くなる。

(包囲か……)

夜の帳の向こうから、にじり出るように“それ”らは現れた。

火の光が届く限界。その先に、影が揺らぐ。

布を巻いた顔、皮の装甲、無言のまま剣を抜く複数の人影──

《野盗 Lv65×4》

まるで、最初から音を消して生きてきたかのような、殺気の塊だった。

 

そして、狙いは明らかだった。

彼らの視線が──ルシアに向けられている。


「──来るぞ」

 

ライがそう告げた瞬間、敵の一人が闇を駆け抜けた。

まるで空気を裂くような足音。標的は、焚き火の後ろに控えるルシア──

 

前衛(おれ)を無視してルシア狙いか…随分舐められてるな!)

 

ライは、躊躇なく前へ出た。

「隙だらけだ!」

 

──ザッ!

 

疾駆していた男の胸元に、鋭い銀閃が閃いた。

一撃。

重さも、迷いもない。わずかに剣を引き、重心を崩した敵が地に伏す。

 

その直後、左右から二人──今度は同時に飛び込んでくる。


「穢れを拒む輪よ、いま閉ざされし門を築け──守護の加護を我らに」

「《光の結界》!」

 

ルシアの祈りが、夜に響いた。

 

焚き火の周囲に、薄く光る魔法陣が展開される。半球状の防護結界が瞬時に張られ、敵の一撃を逸らす。

 

「──チッ!」

短剣を振るった男が弾かれ、たたらを踏む。

ルシアの呼吸は荒い。だが、足は止めない。詠唱を途切れさせることなく、もう一つの術に入った。

 

「聖なる意志よ、我らの行く先を照らし、闇を退けよ──導きの名において」

「《女神の加護》」


魔法の光が、ライの背中に触れる。微かに心拍が整い、筋肉の疲労が緩和されていく。そして力が体の奥底から漲ってくる。

 

(……補助の質は高い。詠唱も的確だ)

ライは短くうなずき、再び剣を構える。

 

「お前の相手は俺だ」

 

左の男に向かって、一歩踏み込む。敵は回避に回ったが、その動きは僅かに遅い。

──シュッ!

裂帛の気合と共に、もう一人が肩口から崩れ落ちた。

 

「残り二人──」

そう言ったときだった。

 

「《閃光玉》!」

茂みの奥から、叫び声とともに何かが投げられる。

 

「光…!目眩しか!」

 

ボンッ!

閃光が炸裂し、視界が白で塗り潰された。

 

「っ──ルシア、伏せろ!」

咄嗟に声を張り、ルシアを押さえつけるように引き寄せた。

その瞬間、何かが脇をすり抜けた──刺突。それも暗殺者のように、深く静かな殺気。

光で視界が使えないが、《沈着》によって周囲の気配への感覚を最大限に高める。

(右後ろ、距離は2m程度…)


ライの右腕が自然と動く。

「……見えなくても、間合いは覚えてるんだよ…!」

 

ザンッ──

白い視界の中、肉を断つ感触だけが残った。

 

光が徐々に消え、視界が戻る。

──倒れている敵、三人。

残る者は、一人。

 

その男は後退し、木陰に姿を溶かす寸前、こちらを一瞥した。

 

「……聞いていた話と違うな。だが聖都までは行かせない」

 

その言葉だけを残し、男は木々の奥へと消えていった。

 

追うべきか──そう思ったが、ライは剣を下ろす。

(奴らの狙いは、最初からルシアだった)

彼らの戦い方。連携。装備。どれも、ただの盗賊にしては洗練されすぎていた。

 

「……無事か?」

 

「はい。ご無事で何よりです、ライ様」

ルシアは静かに答えたが、その額には微かに汗が滲んでいた。

それでも、彼女の瞳は──怯えていなかった。

 

「……意外とやるな」

「ええ。……まだ、始まったばかりですから」

 

焚き火が再び、ぱち、と音を立てて揺れた。

静寂は戻ったが、夜の空気にはまだ、先ほどの殺気の残り香が漂っていた。

 

そして、ライは考える。

(足跡は確かに5人以上いた…でも襲撃者は4人。この先仲間が森に潜んでるとしたらこのルートは危険か…?)


森の闇に殺気は消えたが空気は冷えきっている。今しがたまで命のやり取りがあったとは思えぬほどの、凍りついた静寂だった。


 ライは剣を鞘に収め、周囲を見回す。襲ってきた3人の死体の前にルシアはかがみ込んでいた。

「何してんだ?」

「祈りです。死した者の残留思念が、野に残らぬよう」

「……律儀なもんだな」

「教会の規律です。死者の魂を冒涜せぬように」

「そうか」


 低く呟き、草の揺れ方を辿る。


 (このまま街道を進めば、再び待ち伏せを食らう。追跡されていると見て間違いない)


 ライは素早く荷をまとめ、火を靴先で踏み消すと、ポーチから簡易地図を取り出した。


 「……ここを外れた東の斜面。地図にはないが、恐らく昔の農道だ。行き止まりかもしれないが、敵の目は薄い」


 「そちらへ向かうのですね?」


 「他に選択肢はない。ルート変更する。──その前に、一度仮眠を取る。連戦は避けたい」


 ルシアはわずかに瞠目したが、すぐにうなずいた。


 「……では、結界を張ります。脆いですが、最低限の気配遮断は可能です」


 彼女は両手を組み、息を整えた。

 清浄な光が彼女の指先から生まれ、ゆっくりと空間を包み込む。音と匂いが緩やかに消え、森の一角が静寂の帳に包まれた。


 ライは倒木を背に座り、剣を膝に置く。


「眠れ。交代で見張る。俺が先に起きてる」

「……分かりました」


 ルシアは簡素なマントを敷き、背中を丸めて横になる。表情には疲労の影が差していたが、目を閉じるその仕草は、どこか祈るようだった。


 焚き火の代わりに、森の葉擦れが夜を満たしていた。


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