第3話 古の予言
──柔らかい。
それが、ライが目覚めた瞬間、最初に感じた感覚だった。
一瞬、現実世界に戻れたのでは──
そんな淡い期待が胸をかすめたが、すぐに違うと知る。
滑らかな絹布の上に横たわり、
体の下には信じられないほどふかふかな寝台。
目を開けば、天蓋に施された金糸の刺繍が、淡い陽光を受けて微かに輝いていた。
(……ここは)
鼻をくすぐるのは、薬草と香油が混じり合ったような清浄な香り。
壁は白く、外から差す光も曇りなく──
まるで空気そのものが浄化されているかのようだった。
──首都ルイン。
光の教会が直轄する神殿区の一角、 《癒しの館》。
知らない天井。 知らない場所。
けれど、逃げ場のない現実だけは、異様に強く感じ取れた。
(あのあと──俺は)
壁に叩きつけられた激しい衝撃。
曖昧な記憶の中で、 異端審問機構に拘束されたのだと思い至る。
ライはゆっくりと手を持ち上げ──そこで気づいた。
掌に、あの“鍵”が握られている。
夢の中で謎の存在に渡された、銀白の鍵。
現実に、それは確かに存在していた。
もう一つの、黒鉄の鍵は……ない。
(……夢、じゃなかったのか)
混乱する頭の中で、
あの闇の世界、あの女の微笑み、
そして最後に聞こえた祈りの言葉を思い出す。
──「私の子供たちを、どうか……」
その時だった。
扉が、静かにノックされた。
ライは本能的に身構える。
しかし。
「……目覚めましたか?」
振り返ると、扉の前に立っていたのは──
白と金の神官衣に身を包んだ、一人の少女。
銀の髪。 長く尖った耳。 澄んだ光を宿す瞳。
エルフの血を引くと一目でわかる容姿。
「私はルシア。光の教会の“聖女候補”です」
少女は一礼し、柔らかな微笑みを浮かべた。
その微笑みは優しく、それでいて、崩せない距離を感じさせた。
「ご安心ください。あなたは安全下にあります」
「ここは《癒しの館》──教会の庇護のもとにあります」
「……安全、ね」
(拘束されたわけではない…のか?確かにこの状況、異端への扱いにしては丁寧だな。)
だが…
ライは視線を走らせた。
窓には格子。
外には見張りの気配。
確かに縛られてはいない。
しかし、明らかに“自由”でもない。
「教会の導師たちは、あなたに強い興味を抱いています」
ルシアは静かに続けた。
「まずは、体を癒してください。その後──お話をさせていただきます」
ライは何も言わず、
ただ掌の中の銀白の鍵を握りしめた。
(どうやら俺は…何かに、巻き込まれたらしい)
目覚めてから、どれほどの時間が経ったか。
ライは、ただ静かに寝台に身を横たえていた。
身体の傷は、ほとんど癒えている。
神術による治癒は、凡百の回復薬など比べものにならない。
だが、それは同時に──
ここが"治療のための施設"などではないことを示していた。
清潔な部屋。
だが、窓の外には人影ひとつない。
廊下には衛兵の足音。
扉越しに祈る声。
──まるで教会の所有物だな。
皮肉が、自然と胸に浮かぶ。
やがて、扉が静かに開いた。
「お加減はいかがですか?」
そこに現れたのはルシアだった。
銀盆に白湯と軽食を乗せ、儀式のように慎重な所作で運ぶ。
「体内に残っていた神聖の痕跡── あなたは、神聖魔術…それも最高位の【神威】を発動しようとしましたね 」
ライは眉をひそめた。
言葉を飲み込む。
(……なるほどな)
使えるはずのない魔術の発現。普通に考えれば“只者でない”と思われるのは自然だ。
ルシアは、そのまま続ける。
「先日もお話ししましたが、教会はあなたに特別な興味を抱いています」
「──あなたが、“予言の子”である可能性があるからです」
ライは息を止めた。
「……予言の子?」
ルシアは一度目を伏せ、それからゆっくりと語り出した。
「古い予言があります。 それは、光の教会がまだ世界を統べていなかった頃に記された文書──」
『光と闇の交わる刻、名もなき者、神を揺るがす』
『人にあらずして、人の理を覆す者』
「あなたが放とうとした【神威】の片鱗──
それは確かに、予言と符合していました」
ルシアの声は、どこか怯えを含んでいた。
ライは、内心で吐き捨てる。
(知らねえよ、そんなもん)
教会の期待も、予言も──
そんなものに縛られるつもりはない。
「導師たちは、近くあなたと面会する予定です」
ルシアは立ち上がり、深く一礼した。
「その時までに──少しでも、気持ちを整理しておいてください」
静かに、扉が閉まる。
残されたライは、
銀白の鍵を強く、強く握りしめた。
(……選ばれた?)
笑わせる。
(勝手に決めてろ)
だが、その心の奥に、 言葉にならない予感だけが、静かに芽生えていた。
レイヴンは教会所属だったのに、ライは教会に反抗的です。
まあジェネルに殺されかけてるし、色々と不信感が募ってる状況です。




