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第1話 新たな生

大幅に改稿しました。話の大まかな流れは以前と変わっていません。

 ──まぶたの裏に、じんわりと光が差し込んでいた。

 まるで、朝焼けのようなやわらかな輝き。

 けれど、それを心地よく感じる余裕はなかった。

 意識が、どこか深い場所から這い上がる。

 呼吸の重み。血の流れ。身体の軋み。


「もー! ライ! 起きてよ! とっくに日昇ってるよ!」

 甲高い少女の声が響いた。

 レイヴン──いや、今の“彼”の意識が、どこか深い場所からゆっくりと浮上する。


 最初に感じたのは、全身を包む奇妙な倦怠感と、自分の身体でありながら自分のものではないような、鈍い違和感だった。


 手足は鉛のように重く、指一本動かすことすら億劫に感じる。

「ライったら、また寝ぼけてるの? ほら、朝ごはん冷めちゃうよ!」

 目の前には、見慣れない木製の天井。そして、心配そうにこちらを覗き込む、三つ編みの茶髪の少女。

 年の頃は十代半ばといったところか。白いワンピースの裾をつまみ、太陽のように屈託のない笑顔を向けてくる。


  彼女は俺を「ライ」と呼ぶ。親しげなその口調から察するに、顔見知り、それもかなり親しい間柄のようだ。 だが現実でもゲームでも、この少女に該当する記憶は一切存在しなかった。

「……ああ」

 かろうじて絞り出した声は、自分のものでありながら、どこか調子が狂っているように聞こえる。混乱する思考を悟られまいと、ライはゆっくりと身を起こした。


 部屋の中を見渡す。粗末だが手入れの行き届いた、小さな木の家の一室。壁には農具らしきものが立てかけられている。アラルドの拠点とも、現実世界の部屋とも似ても似つかない、質素な部屋。

(何が起きているんだ……? あの異形の存在に殺されて…リスポーン…ではないな)


 少女シェリンに促されるまま食卓につくと、そこには質素だが温かい食事が並んでいた。木の器に盛られた雑穀粥と、野菜の煮物。


 シェリンや、彼女の両親らしき男女が、ごく自然に「ライ」に話しかけてくる。 内容は、今日の畑仕事のこと、村の些細な出来事。ごくありふれた日常の会話。 ライは、曖昧な相槌を打ちながらも、内心では激しく動揺していた。


 この身体、この部屋、この村、この少女──全てが、彼の記憶と一致しない。 まるで、自分だけが別の世界に迷い込んだような、強烈な疎外感。

(これは……夢…じゃない。……五感が、何もかもが、ここが現実だと告げている)


 だが、こんなの現実であるはずがない。

 俺の記憶が正しければ、俺は日本に住む神谷玲、21歳。VRMMO【アルケイディア・オンライン】に熱中していた大学生だったはずだ。こんな、中世みたいな農村で畑仕事をしているなんて…

いや…そっちの記憶の方が作り物なのか…?

 そんなふうに思考を巡らせていると、シェリンに「まだ寝ぼけてるの?」と軽く肩を叩かれ、ライは現実へと引き戻された。会話の流れ的に、自分は「ライ」という名の青年で、このエルム村で彼女やその家族と共に暮らしているらしい。

「ほら、ライ。今日は畑の草むしり、手伝ってくれるって言ってたでしょ?」

 シェリンに促されるまま、おぼつかない足取りで家を出る。

 目に飛び込んできたのは、五感の全てに訴えかけてくるほどリアルな農村の風景だった。

 土の匂い、鳥のさえずり、肌を撫でる朝の風、遠くで聞こえる家畜の鳴き声。これが夢だとは、到底思えなかった。

 村の小さな畑に着き、他の村人たちに挨拶をされるが、やはり誰一人として見覚えがない。彼らは皆、親しみを込めて「ライ」と呼びかける。その度に、ライは自分が何者でもない場所に立たされているような、奇妙な浮遊感を覚えた。

 不意に、近くの小屋の窓ガラスに自分の姿が映っているのに気づく。 ゆっくりと近づき、その姿をまじまじと見つめた。 そこにいたのは、日に焼け、飾り気のない麻の服を纏った、見知らぬ青年。程よく伸びた髪は陽光を受けて深みのある濃い茶色に輝き、鋭くもどこか優しげな目元をしている。

(やっぱり…俺じゃない…でもこの意識は確かに俺だ。何なんだ……? まるで、他人の人生を乗っ取った…みたいな…)

 その考えに至った瞬間、レイヴンの背筋を冷たいものが走った。そして、まるでその思考に呼応するかのように、彼の視界の隅に、半透明の文字列がふっと浮かび上がったのだ。

 ──【ライ Lv2】 職業:農民

「えっ……!?」

 思わず声が漏れる。それは、かつて彼が慣れ親しんだ《アルケイディア》のステータス表示ウィンドウと酷似していた。

 しかし、そこに表示されている名前は「レイヴン」ではなく「ライ」。

 そして、レベルは信じられないことに、たったの「2」。職業は「農民」。

(嘘だろ……ここ、アルケイディアなのか…?)

 最後の死の記憶が鮮明に蘇る。あの名状しがたい「何か」との戦い。理不尽なまでの力の差。そして、最後に見た女神のような幻影……。

 あの死から、どういう経緯でこの状況に至ったのかは不明だ。しかし、この目の前に突きつけられた「ライ、Lv2、 農民」という事実は、彼に一つの、そして唯一の残酷な結論を導き出させた。

(俺は……ゲームで死んで、そしてこの「ライ」という名のNPCの身体を乗っ取って……再生した、ってことか)


 悪夢だと思いたかった。だが、五感が訴えかけてくるこの世界の圧倒的なリアルさと、この身体の不自由さ、そして何よりも、この絶望的なLv2の表示が、紛れもない現実であることをライに突きつけていた。


 最強のプレイヤーから、最弱の農民NPCへ──。 これ以上の転落があるだろうか。

(……ふざけるな)

 心の奥底から、抑えきれない怒りと絶望が湧き上がってくる。 だが、どれほどの窮地に立たされようと、思考を停止させることはない。

(何が起きたかはわからない。まずは情報収集……そして、この身体で何ができるのか、1から確かめる必要がある。あの『真理の鏡』を使えば……あるいは、この異常事態の真相が掴めるかもしれない。でも、Lv2の農民の身体で、どうやって……?)

 険しい表情で、ライは固く拳を握りしめる。


「──ライ! 手動かしてー!」

 思考の海に沈んでいたレイヴンは、シェリンの快活な声にはっと我に返った。彼女は呆れたようにこちらを見ている。どうやら、この「ライ」という青年は、普段から少しぼんやりしたところがあるらしい。 ライは内心で舌打ちしつつも、表面上は「ああ、わかった」と平静を装い、彼女の後に続いた。

 畑仕事は、想像を絶する過酷さだった。Lv2の農民の身体はあまりにも非力で、鍬を数度振るっただけで息が上がり、腕が悲鳴を上げる。かつて聖剣を振るい、竜すら屠ってきた自分が、今や土くれ一つ満足に耕せないとは。この屈辱は、言葉では言い表せない。

 シェリンは、そんなライのぎこちない様子を「またサボってたんでしょー」とからかいながらも、手際よく作業を進めていく。彼女の動きには無駄がなく、この村での生活に根差した確かな逞しさが感じられた。

(この村の人間は……NPCは、こうして日々を生きているのか)

 ライは、かつて自分がプレイヤーとして見ていたNPCたちの姿を思い返す。彼らはクエストを与え、アイテムを売り、時には共に戦う「便利な存在」。しかし、感情を持ち、汗を流し、生活を営む「人間」として意識したことは、果たしてあっただろうか。

 昼過ぎ、井戸端で休憩していると、村の女たちが噂話に花を咲かせているのが聞こえてきた。

「ねえ聞いた? 西の街道の方で、また物騒な連中が出たらしいわよ」

「ああ、あの派手な格好の冒険者たちのことだろ? なんでも、気に入らないことがあるとすぐに剣を抜くとか……」 「プレイヤーってやつらは、本当に何を考えてるんだか……」


 その言葉に、ライの動きが止まる。「プレイヤー」。それは、今の彼にとって最も警戒すべき存在であり、同時に、この世界の情報を得るための数少ない手がかりでもあった。

 夕暮れ時、畑仕事で疲れ果てた身体を引きずりながら家路につく途中、村の長老であるアンバーと顔を合わせた。

「畑仕事頑張っておったな。お疲れさん」

「…えっ…と…アンバーさん」

 ライは、努めて平静に、しかし核心に触れる質問を投げかけた。

  「この村に……最近、プレイヤーは来ていますか?」

 アンバーは、その問いに一瞬目を見開き、そして何かを察したように静かに首を横に振った。

「いや、ここしばらくは見ておらんな。だが……良くない噂は、ワシの耳にも届いておる。プレイヤーによる“村狩り”……他の村では、酷い被害が出ているとも聞く」

 その言葉には、隠せない憂慮の色が滲んでいた。

「村狩り……!」

 ライは息を呑む。低レベル帯のプレイヤーがNPCを無差別に襲い、経験値やアイテムを得る行為。それは、ゲームの中では比較的見かける行為だったかもしれない。だが、今、自分がその「狩られる側」にいるのだとしたら──?

 脳裏に、村狩りと呼ばれる行為をしていたプレイヤーの姿と、無惨にも殺されていったNPCの姿が交錯する。

(プレイヤーが、この村を襲う……? まさか……でも、もしそうなったら……俺はこのLv2の身体で、何ができる?)


 カンッ!カンッ!カンッ!

 村の広場の方角から、けたたましく警戒を告げる鐘の音が鳴り響いた。それは、村に何らかの「脅威」が迫っていることを示す合図。 アンバーの顔色が変わる。シェリンが息を呑む音が聞こえた。

(まさか……もう、来たのか!?)

 ライの全身に緊張が走る。最悪のタイミング。この非力な身体で、一体どうすれば──? 彼の瞳の奥に、かつての最強プレイヤーとしての闘争本能が、わずかに蘇ろうとしていた。

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