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第16話 真理の鏡へ

──《信仰区・光の神殿 裏回廊》

 大理石の廊下を、足音が吸い込まれるように響く。審問官ジェネルは回廊の先、監視室へと静かに歩を進めていた。


室内には既に複数の審問官たちが集い、各門の通過記録や尋問報告を読み上げていた。


「ルイン東門、三日間の通過者記録に“ライ”と一致する者なし」

「西門、同様。異端の反応なし」

「南関所、今朝未明に審問を行ったが、対象の兆候は皆無でした」

 

ジェネルは黙って耳を傾ける。机上に置かれた写し絵──それは、村で聞き出した“ライ”の姿だった。


 記憶の中にある、あの村の少女の震える声が蘇る。

「……嘘じゃなかった。彼女は、確かに“真実”を話していた」

 《真理の眼》が示したのだ。あの証言に虚偽はない。

 

では、なぜ“ライ”は捕まらない?

「各門の検問体制は依然として維持されていますが……侵入の兆候は一切ありません」

「三日間も、だ」

 

ジェネルが初めて声を発した。

「──村を出たのが事実ならば、そろそろどこかの関所で足止めされていてもおかしくない時期だ。道中で力尽きた可能性もある。だが……」

 

彼女は長机に置かれた《聖地監察図》へと視線を落とした。

「……もしくは既に、ルイン内部に潜伏している」

 

室内が静まり返る。

「検問の範囲を一時縮小。通行の流れを回復せよ。その代わり──街の内側での監視網を広げる」

「内部捜査への移行……よろしいのですか?」

一人の副官が尋ねた。

ジェネルは微かに頷きながら、静かに言葉を継ぐ。

「対象は農民だ。その姿のまま堂々と門を越えるとは考えにくい。だが“彼”が本当に異端であるなら、方法を問わずこの街に潜入していてもおかしくない」

──真理の鏡を求めて。

その核心を、ジェネルは直感的に理解していた。

 

だからこそ、門ではなく、街の中を見張らねばならない。

「──今日より、監視の重点を“商業区・信仰区・神殿街の外縁”に移す。特に《真理の鏡》が設置された区域に動きがあれば、即座に報告を」

「はっ!」

命令が走り、黒衣の審問官たちは次々と室を出ていく。

ジェネルは最後にひとり残り、窓の外──王城の尖塔の彼方に広がる、夕暮れの街並みに視線を落とした。




──朝。

 旅籠・ミレノア亭の食堂に、パンと煮込みの香ばしい香りが漂っていた。

 ライは、木製の丸椅子に腰を下ろし、女将が持ってきた朝食を見下ろして目を見開いた。

 焼きたてのパン、刻み野菜と豆のスープ、ハーブで味付けされた卵と肉の煮込み。どれも素朴だが温かく、湯気が立っている。

 手を伸ばし、パンをちぎってスープに浸して口に含む。

 ──うまい。

 

味覚の情報量が、現実世界の記憶を呼び起こす。現実で最後に食べたのは、インスタントの味噌汁と白飯だったか。


(こっちのが……よっぽど“食ってる”感じがするな)

 

次に煮込みを口に運ぶと、柔らかく煮込まれた肉の脂がじんわりと舌に広がった。

 

久しぶりの“ちゃんとした食事”に、思わず目を閉じ、ライは静かに息を吐いた。


(くそ……もう少しのんびりしてぇけど……)

 

周囲の席では、数人のプレイヤーが朝食を取りながら雑談を交わしていた。

その中の一つが、ライの耳に入る。


「それにしてもさー、街中やたら騎士多くね?」

「ああ、聞いた聞いた。光の教会の審問官が動いてるらしい」

「また異端狩り?NPCも大変だよなー」

「いや、今回はプレイヤー絡みって噂。農民NPCに殺されたって運営に通報したとかなんとか。」

「マジで? さすがに盛ってんだろそれ」

 

ライはパンを噛む手を止めた。

 審問官が街中にいる──それはつまり、あの“異端捜査”が内部にまで及んできているということ。

思っていたよりも、時間がない。

(真理の鏡を使うなら……人が多くて目立ちにくい、昼だ)

即座に判断し、残りの朝食を平らげる。

席を立つと、ライは女将に礼を述べて部屋に戻り、荷をまとめた。


街の喧噪が高まり、陽光が屋根を白く照らし出す頃、ライは住宅区から商業区の表通りへと歩みを進めていた。

目立たぬよう、深く被ったフードの陰に表情を隠す。。

(このまま“農民の姿”のままじゃ、真理の鏡には近づけない)

 装備こそフードとで誤魔化しているが、冒険者が集う真理の鏡の前では、この服装は“場違い”だ。

(少なくとも“それっぽく”は見せなきゃならねぇ)

 

ライが向かったのは、商業区の中でも冒険者向け装備を専門に扱う露店街──《戦具通り》。

通りには各種武具を並べた屋台がひしめき合い、布装の冒険者、魔術師風の若者、筋骨隆々の傭兵たちが、値段交渉や試し振りで喧騒をつくっていた。

 

ライはその中の一つ、質実剛健な造りの革製品を扱う店に目を留めた。

「おっ、いらっしゃい。見かけねぇ顔だな。冒険者デビューか?」

「ああ……近場の護衛依頼を受けたところでな。少し装備を揃えたい」

そう答えつつ、ライは並べられたジャーキン(短胴衣)、旅装パンツ、篭手、ブーツを順に手に取って確認する。

装備の質は悪いが、いかにも“よくある冒険者”風で、見た目に説得力がある。

「……この一式、買おう」

「へい、ありがとよ。オマケにマントもつけとくぜ。風でなびかせりゃ、冒険者っぽく見えるもんさ!」

銀貨十数枚で装備一式を購入し、道すがら空き路地に入って装備を着替えた。

 

──そして、次は変装の仕上げ。

(髪の色だ。このままじゃバレバレだもんな。)

ライの元の髪は黒に近い深い茶。鏡のある神殿は、教会関係者と多くの冒険者が行き交う場所──プレイヤーは名称を確認できるが、それでも髪色を変えれば別人に思われるだろう。

プレイヤーメイキングで簡単に見た目を変えれた昔と違って、今は別の方法を考えるしかない。

(染料でもあればいけるか…?)




裏路地に面した静かな一角。《ヴェルカ商店》の店先に立ったライは、扉を軽く叩いた。

「おう、相棒!すぐ会おうって言ったが思ったよりも早くきたな。何か困りごとか??」

「頼みがある。髪の染料──あるか?」

「……髪の、染料?」

 

ヴェルカの表情がわずかに引き締まった。冗談でないことを悟ったようだった。

「……なるほど、手配書対策か」

「ああ。描かれてるのは、今の髪の色と、顔の骨格がそのままだ。服装は変えても、髪が目立てば引っかかる」

ライの声は低く、淡々としていた。が、背後に流れる緊迫感を、ヴェルカは見逃さなかった。

「…なぁ。そもそも真理の鏡を使う必要はあるのか?命の危機を冒してまで行く場所じゃねーと思うけどな。」


(そうだ。別の都市の鏡を使うっていう手もあるし、真理の鏡を使ってステータスを確認できたとしてもそれまでだ。

ただ…あの鏡の権能。真なる自分を写す力があれば今の俺の状況を解決する糸口が見つかるかもしれない。)


視線をヴェルカへと戻し、決意の色を帯びたまま、ライは言った。

「……“時は金なり”って言ったよな。だったら、時間を浪費するより、今できることを全部やったほうがいい」

「……」

「行くよ、俺は。今の状況を変えるために。立ち止まってる余裕なんか、ないんだ」

ヴェルカは苦笑し、肩をすくめた。


「店の裏に井戸がある。そこで使え。染め粉はこれだ。使い切りだが、二、三日は色が持つ。目立たない色がいいんだよな?」

「そうだ。手配書から一目で外れる程度で十分だ」

ヴェルカは店の奥から木箱を持ち出し、その中から封をされた袋をひとつ取り出す。


「……これは、貴族夫人が使ってた高級品の余り物だ。暗めの赤色。長持ちはしねぇが、色味が自然で、地毛っぽく仕上がる」

「助かる」


「…死ぬなよ」

「あぁ。ありがとう」


ライは袋を受け取り、すぐに裏手の井戸へと向かった。

水桶に湛えた水を両手で掬い、髪を濡らす。そのまま染料を溶かし、両手で揉み込むように馴染ませた。あたりにほのかに薬草の香りが漂う。


やがて──

鏡代わりに使った水面に映るのは、先ほどまでとは異なる男の姿だった。

いわゆるワインレッドの髪。やや乱れた前髪が影を落とし、輪郭がやわらいで見える。

──手配書とは、別人に見える程度にはなった。


ライはゆっくりと顔を上げた。

鏡へと向かう道は、すでに定まっていた。

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