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序章 ──そして、誰も知らぬ地へ

 エンシェントドラゴンの断末魔が、雪嶺にこだまする。レイヴンは、白銀の鎧に返り血を浴びながらも冷静に、巨体が崩れ落ちる様を見届けた。

 彼の傍らには、息を切らせながらも安堵の表情を浮かべる、長年彼を支えてきた自律思考型NPCの仲間たちがいた。

 彼らの完璧な連携とレイヴンの卓越した指揮が、Lv450という格上のドラゴン討伐という不可能を可能に変えたのだ。


「レイヴン様、今回も圧巻の戦いぶりでした。あなたの指示がなければ、持ちこたえられませんでした」

 エルフの結界術師が、静かに称賛の言葉を口にする。他の仲間たちも、言葉はなくともその瞳で主への絶対的な信頼を示していた。


 仮想世界アルケイディア。

 VRMMOながら感覚を完全に再現し、この世界の広さは地球と同等かそれ以上。未開の地がひしめく雄大なこの世界。


 総プレイヤー数四千万を誇るこの世界で誰もが認める”最強のランカー”がいた。

名は”レイヴン”。ギルドに属さず、ほとんどの難関クエストをソロで、あるいはこの信頼する仲間たちとの連携のみで踏破してきた孤高の存在。


 討伐後の喧騒も落ち着き、アラルドの拠点に戻ったレイヴンは自室の端末で、愛剣《聖剣レーヴァテイン》の最終覚醒に必要な素材リストを再確認していた。

 神話級モンスターの心臓、伝説の鍛冶師のみが精製できるオリハルコンのインゴット──そういった超レア素材は、彼と仲間たちの力によって既に手中にあった。


「はぁ…よりによって最後の素材がこれか」

 リストの最後に、場違いなほど見慣れたアイテム名が記載されていることに、レイヴンは小さく息を吐いた。

“光石”×5。 それは、かつて彼が駆け出しだった頃、初心者ダンジョンで飽きるほど目にした中級素材のはずだった。それが今、まるで世界から意図的に消されたかのように、市場から完全に姿を消している。

 探せばすぐに買えるだろうと思って後回しにしていたらこのザマだ。オークションにも、ストアの片隅にも、その影すら見当たらない。

「レイヴン様、例の“光石”の件ですが、やはり流通が完全に停止している模様です。あらゆる商店でも取り扱いがありませんでした」

「中級素材ごときで、停滞するなんてな」

 レイヴンは自嘲気味に呟いた。

「ご命令とあらば我々が素材の回収に…」

「いや、俺が行くよ。転移魔法があればすぐだしな」

 仲間たちにこれ以上の探索を依頼するのも気が引ける。彼らにはそれぞれの役割があり、常に自分の都合に付き合わせるわけにはいかない。

 それに、これほどまでに完璧に流通が途絶えるというのは、単なる偶然とは思えなかった。ほんの少しの引っかかりが、彼の探求心に火をつける。


「クラン森林の大洞窟……か。懐かしいな」

 それは、始まりの村の近くの森林にある初級ダンジョン。かつては利用者の多さに有志による制限がかけられていたほどだったか。


  レイヴンは軽く肩をすくめ、転移魔法陣を起動し、そんな古びたダンジョンの入り口に一人静かに降り立つ。

 周囲に他のプレイヤーの気配はない。洞窟の入り口は、以前よりもさらに暗く、不気味な静寂に包まれているように感じられた。


「……さて、と。さっさと済ませるとしよう」

 彼は聖剣レーヴァテインの柄に軽く手を触れ、迷いなくその暗がりへと足を踏み入れた。 序盤の階層に生息する低レベルモンスターは、彼の敵ではなかった。スライムも、コボルトも、ゴブリンの小隊も、彼の姿を捉えることすらできずに霧散していく。レイヴンは戦闘に意識を割くことなく、周囲の壁の構造、空気の流れ、そして微かに感じる魔力の淀みに全神経を集中させていた。


「クラン森林の大洞窟」の階層を降りるにつれ、レイヴンは眉間のしわを深くしていた。序盤こそ昔と変わらぬモンスター配置だったが、中層に差し掛かる頃には、明らかにダンジョンの様相が「変質」していた。

 本来この階層には出現しないはずの、より強力な亜種モンスターが闊歩し、その行動パターンも以前のデータとは異なり、妙に統率が取れていたり、あるいは逆に理性を失ったかのように凶暴化していたりする。空気は重く淀み、壁の染みや床の亀裂からは、微かに異質な魔力の残滓が感じ取れた。


「……これは、光石の枯渇問題だけじゃなさそうだな」

 レイヴンの独り言がダンジョン内を反響し消えていく。彼の脳裏に、掲示板で書かれていた些細なシステム異常の話がよぎる。

 このダンジョンの変貌は、それらと無関係ではないだろう。むしろ、ここが異変の「震源地」である可能性すらあった。

 彼はもはや「光石」の探索など二の次に、このダンジョンで何が起きているのか、その真相を突き止めるという新たな目的に意識を切り替えていた。

 最強プレイヤーとしての本能が、この先に途轍もない「何か」が待ち受けていると告げている。そして、その「何か」に彼は抗いがたいほどの興味を覚えていたのだ。


 十二階層。ボス部屋へと続く通路の手前。レイヴンの足が、ぴたりと止まった。 彼の視線は、通路右側の、何でもないはずの壁の一点に注がれている。

 そこは他の壁面とは異なり、魔力の流れが不自然に途絶え、まるで空間そのものに「穴」が開いているかのような奇妙な空白を生み出していた。

 通常のプレイヤーであれば、いや、並のトップランカーですら見逃してしまうであろうその微細な「歪み」。


「……見つけた」

 レイヴンの口元に、笑みが浮かぶ。これこそが、彼が探し求めていた「変質」の根源、そして「未知」への入り口に違いなかった。

  手を触れると、硬いはずの岩壁が幻影のように揺らぎ、奥へと続く暗黒の通路がその姿を現した。マップにも記載されていない、まさしく「隠された道」。

(進行度が100%のダンジョンで隠しルートがみつかることなんてあったか?)

「ウィンドウオープン」


【クラン森林の大洞窟】

 推奨レベル15〜

 進行度???%

 クラン森林の南西部に位置する12階層からなる洞窟。

 ここでは様々なモンスターが出現し…


 表示されたウィンドウには、ダンジョン名の下に「???」という文字が明滅していた。

「進行度が不明……か」

 危険は承知の上。いや、危険であればあるほど、彼の探求心は燃え上がる。

 レイヴンは聖剣レーヴァテインを抜き放ち、その揺らめく闇の奥へと、躊躇なく一歩を踏み出した。


 隠された通路を一歩踏み入れた瞬間、レイヴンの全身をかつてないほどの異質な感覚が包み込んだ。

 音がない。風がない。それどころか、五感から得られる情報そのものが希薄で、まるで世界の法則から切り離されたかのような錯覚に陥る。

 彼の高精度な解析スキル《万象解析》ですら、ここでは限定的にしか機能せず、マップは黒く塗りつぶされたままだ。


「……なるほど。これは、ちょっと危険かもな」

 それでもレイヴンの足取りに迷いはない。彼の探求心は、この異常事態の核心へと彼を駆り立てていた。


 やがて辿り着いたのは、広大な“空白”とでも言うべき空間。神殿の残骸のようなものが中央にぽつりと鎮座し、その奥には虚空のように揺らめく黒いポータルが、まるで深淵への入り口のように不気味な光を放っていた。

「……名称、なし?」

 浮かぶ名称は「???」。 未発見エリア。解析もできない。

 この世界で長くプレイしてきた彼にとって、初めての感覚だった。

「初級ダンジョンの先に、こんなものが……?」

 僅かに手が震えた。 それを抑えるように、レイヴンは深く息を吐く。

 黒きポータルを前に、レイヴンはほんのわずか逡巡した。 だが、その迷いは一秒と続かない。

「行こう」

 次の瞬間、視界が強烈な光と闇に塗りつぶされ、空間がねじ曲がるような感覚と共に、彼は強制的に転移させられた。


「ッ……!」

 視界が回復し、レイヴンの目に飛び込んできたのは風景に現実感が一切ない、未完成のスケッチのような世界だった。木々は描かれたように動かず、雲は空に貼り付けられたように静止し、音という概念そのものが存在しないかのようだ。 レイヴンの脳裏に、数々のデータベースが浮かぶ。彼はあらゆる隠しマップと特殊エリアの情報を把握していたが――ここは、そのどれにも該当しない。 それどころか、他のどのエリアとの類似性も見当たらない。


 その異様な世界の中心、朽ち果てた神殿に、美しい大理石の石碑がひとつポツンと鎮座していた。


 その石碑に近づいたその時――レイヴンの脳に、“声”が響いた。


『汝、信念を奉じよ』


 女のような、男のような。澄んでいるのに、深淵を孕んだような。

 空気に染み込むような、言葉。石碑に刻まれた言葉が脳内で再生される。


「……誰だ」

 即座に戦闘準備を取る。

【心眼】と【超集中】を同時展開。視覚情報と空間把握を最大にまで高める。


 直後、空間そのものが悲鳴を上げるように裂け、そこから霧のようであり、影のようでもある、名状しがたい「何か」が滲み出てきた。形は人間。だが、顔がない。気配すらない。


<ーUnknownー Lv???>


 レベルも名称も表示されない。ただ、そこに「在る」だけで周囲の空間を侵食し、世界の法則を歪めていくような、絶対的な「未知」の存在。 レイヴンは即座に戦闘態勢に入る。

 だが、彼が剣を抜き放つよりも早く──


 ズバッ!


 脇腹を焼く、回避不能の一撃。


  「ぐっ……!」


 最強の鎧を纏う彼に、これほど容易くダメージを与える存在が《アルケイディア》にいるとは。


 しかし、レイヴンは怯まない。即座に距離を取り、反撃の機会を窺う。


(速い、だけじゃない……! 動きそのものが、俺の知るものと異なる!)


「共鳴せよ!レーヴァテインッ!!」

 聖剣レーヴァテインが咆哮を上げ、彼の究極スキル「神炎」がその異形を焼き尽くさんと迸る。神話級の敵すら葬ってきた必殺の一撃。 しかし──炎の中心で、その「何か」は微動だにしない。

 それどころか、レイヴンの攻撃を嘲笑うかのように、その存在がより濃密な「圧」を放つ。

(神炎が効いていない……!?)

 レイヴンは戦慄する。

(敵の正体は未知数。攻撃が全く効かない、条件付きでダメージが通るギミックボスか?)

 そう考えスキル【盤面把握】を発動するが、関連性のあるオブジェクトは見当たらない。


(攻撃し続けるしかないっぽいな…)


 次の一撃──レイヴンは【無詠唱】で補助魔法《光の衣》を展開し攻撃の軌跡をそらす。


(でも…これなら!)

 続けざまに、最高位の神聖魔術──【神威】を発動する。

「喰らえ!」


 周囲の空間が一瞬だけ“静止”する。


【神威】はどんなに格上の存在に対しても、一瞬の“怯み”を強制する神聖属性の最上位スキル。不可視だった影の動きが、わずかに遅れたように見えた。


 確かに、一瞬止まった。

(通った……!)


 その確信と同時に、レイヴンは反撃に移る。最大火力の【聖剣術】の奥義【時空斬】を放つべく、完全に攻撃モーションへ移行した。


 だが──影は怯んでなどいなかった。


【神威】は、最初から“通っていなかった”。

 それはスキルが無効化されたのか、あるいはそもそも”効く対象ではなかった”のか──


 攻撃に全神経を注ぎ構えが崩れ、防御の意識が薄れたその瞬間。

 その“隙”を、影は見逃さなかった。


 鋭い一条の光が、真正面からレイヴンの胸部を貫いた。

 構えたまま、避けることも、受け止めることもできず。

  「──しま──ッ」

 視界が赤く染まる。

 致命的な一撃だった。10万を超えるダメージ。一瞬でHPが全て削られた。


 《特殊スキル発動:戦闘続行》

 《状態異常回復》

 致死ダメージを受けたその瞬間、聖なる光が身体を包み込み、HP1で踏みとどまり5秒間の《不死》を得る。


  「まだだ……! まだ……!」

 しかし──次の瞬間、第二撃。第三撃。

 レイヴンの見上げたその先に無数の光が連なっていた。

 刹那 四方八方から放たれた無数の光が、白銀の鎧を貫き、肉体を刻み裂く。

 それは【戦闘続行】に付属する状態【不死】すら貫いた。


「ぐ、あ……ああああああああッ……!」

 心臓、肺、喉、頭部。

 全方位から容赦なく浴びせられる光の嵐が、彼を“貫通”していく。

 それはまるで、戦闘という名の“遊戯”を嘲笑うような、理不尽な暴力だった。


 ──HP:0

 ──《戦闘不能》


(……負けた、のか)


 意識が沈む中、レイヴンは薄れゆく視界で、影の中に“何か”が揺らめくのを見た。それは──女神のような、なにか。

 そして、闇がすべてを覆い尽くした。

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