第75話:新たな一歩
「新生活、初日の朝です」
Atelier Traditionの作業場で、千秋は早朝から針を持っていた。結婚から一週間、アトリエは新しい活気に満ちている。窓から差し込む光が、作業台の上の試作品を優しく照らしていた。
「おはよう」
振り返ると、蓮が立っていた。いつもの完璧なスーツ姿だが、その表情には穏やかな幸せが滲んでいる。
「おはようございます」千秋も微笑む。「蓮さん」
その呼び方には、まだ少し照れがあった。仕事場では変わらず敬語を使うことにしているものの、二人の間には確かな親密さが芽生えていた。
「これは」蓮が試作品を手に取る。「新しい技法ですか」
「はい」千秋が説明を始める。「光の当て方で、模様が」
二人の会話は自然と専門的な内容に移っていく。それは研究者同士の対話であり、同時に夫婦の温かな時間でもあった。
その時、アトリエのドアが開く。
「失礼します」
春樹が入ってきた。手には新しい企画書。
「パリからの」春樹が差し出す。「研究センターの件で」
欧州での技法継承プログラム。それは、二人の夢をさらに大きく広げる可能性を秘めていた。
「それと」春樹が続ける。「若手育成の新しい応募が」
アトリエの評判は、日増しに高まっていた。伝統と革新の融合を目指す場所として、多くの期待が寄せられている。
「本当に」春樹が懐かしむように。「ここまで来ましたね」
その言葉に、二人は顔を見合わせて微笑んだ。
アトリエの窓から、夏の風が入ってくる。カーテンが、新しい季節の訪れを告げるように揺れる。
「お二人に、報告が」春樹が資料を取り出す。
そこには、世界からの新しい評価が並んでいた。伝統技法の現代的解釈への賞賛。そして、次世代育成への期待。
「これは」千秋が目を輝かせる。「私たちの夢が」
「ええ」蓮も頷く。「やっと、形になってきた」
その時、研修生たちが次々とアトリエに集まってきた。
「先生」若手デザイナーの一人が前に出る。「新しい試作品が」
作業台には、彼らの成果が並べられる。まだ荒削りだが、確かな可能性を感じさせる作品の数々。
「素晴らしい」蓮が一つ一つ丁寧に見ていく。「この発想が」
研究者としての目が、輝きを増す。
千秋も、若手たちの成長を温かく見守っていた。
「みんな」千秋が優しく言う。「素晴らしい進歩ね」
アトリエには、新しい朝の光が満ちていく。
その光が、未来への道を照らすよう。
「では」春樹が立ち上がる。「今日の予定を」
打ち合わせが始まる。展示会の準備、研究発表の内容、そして若手育成プログラムについて。
「この部屋は」千秋が図面を指さす。「技法の展示に」
「そして」蓮が続ける。「ここで、研究会を」
二人の意見は自然と重なり合い、互いの想いを補完していく。
春樹は、そんな様子を見守りながら、深いため息をついた。
「これで良かった」彼は小さく呟く。「最高の形になった」
アトリエの窓から、京都の街並みが見える。伝統と現代が調和する景色。まるで、二人の人生のように。
「さて」蓮が千秋の方を向く。「新しい技法の研究を」
「はい」千秋も力強く。「私たちの道を」
作業台の上で、三本の針が静かに光を放っている。
それは過去から未来への架け橋。
そして、永遠の愛の証。
全てが、今、確かな形で動き始めていた。
それは伝統と革新の調和。
そして、二人で紡ぐ新しい物語。
(つづく)




