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第72話:結婚式前夜

「準備万端ね」


Atelier Traditionの展示室で、千秋は白無垢を見つめていた。結婚式前夜の静けさの中、月明かりが純白の布地を神々しく照らしている。


「本当に」玲奈が感慨深く。「ついに明日ね」


「ええ」千秋は微笑む。「不思議な気持ち」


展示室には、これまでの集大成とも言えるドレスたちが並んでいた。さくらのウェディングドレスを中心に、伝統と革新の融合を体現する作品の数々。


「風間さん」


振り返ると、春樹が立っていた。手には特別な封筒。


「蓮から」春樹が静かに差し出す。「最後の独身の夜に」


千秋は恐る恐る封を開ける。

そこには、研究者としての情熱と、一人の男としての想いが綴られていた。


『明日から、新しい人生を共に。技法の研究も、そして人生も』


その言葉に、千秋の目に涙が浮かぶ。


「本当に」春樹が懐かしむように。「長い道のりでしたね」


確かに。最初の出会いから、パリでの挑戦、そしてアトリエの設立まで。全てが、不思議な形で繋がっていた。


その時、展示室のドアが開く。


「失礼します」


さくらが入ってきた。結婚後も変わらない凛とした佇まい。


「風間さん」さくらが千秋に駆け寄る。「これを」


差し出されたのは、一枚の古い写真。

若き日の蓮が、研究に没頭する姿。


「兄様が」さくらの目に涙が光る。「初めて、本当の笑顔を取り戻したのは」


「さくらさん」


「風間さんと出会ってから」さくらが続ける。「兄様は、変わりました」


その言葉に、千秋は胸が熱くなるのを感じた。


アトリエには、夜の静けさが広がっていく。

月明かりが、二本の針を優しく照らしている。


「それと」春樹が新しい資料を取り出す。「明日の式辞の最終確認を」


「ええ」玲奈も頷く。「全て、準備は」


打ち合わせは静かに進んでいく。

しかし、その空気には確かな期待が満ちていた。


「風間さん」マリーが取材ノートを手に。「素敵な物語になりそうです」


パリからの取材のため来日していた彼女の目にも、感動の色が浮かんでいる。


「本当に」さくらが微笑む。「まるで、おとぎ話のよう」


その時、アトリエの外で足音が聞こえた。


「蓮?」春樹が驚いて立ち上がる。


「いいえ」玲奈が制する。「研修生たちよ」


窓の外には、若手デザイナーたちの姿。

彼らは静かに、明日の準備を進めていた。


「みんな」千秋の目に、また涙が浮かぶ。「ありがとう」


「先生の幸せを」若手たちの声が重なる。「心から」


アトリエの窓から、夜風が入ってくる。

カーテンが、新しい季節の訪れを告げるように揺れる。


「さて」春樹が立ち上がる。「そろそろ」


「ええ」玲奈も促す。「明日は早いから」


一同が去った後、千秋は一人展示室に残った。

月明かりの中、静かに明日への想いを巡らせる。


(蓮さん)

心の中で、その名を呼ぶ。

(明日から、新しい物語が)


作業台の上で、二本の針が光を放っている。

それは過去から未来への架け橋。

そして、永遠の愛の証。


「千秋」


最後に残っていた玲奈が、優しく声をかける。


「もう、迷いはない?」


「ええ」千秋は微笑んだ。「これが、私の道」


アトリエの窓から、星空が見える。

その輝きは、まるで明日を祝福するよう。


「おめでとう」玲奈が千秋を抱きしめる。「幸せになってね」


全てが、今、新しい形で結ばれようとしていた。

それは伝統と革新の調和。

そして、永遠に続く愛の証。


月明かりが、アトリエ全体を包み込む。

それは新しい章の始まりを告げるよう。


千秋は最後にもう一度、作業台を見つめた。

そこには確かな未来が、静かに息づいていた。


(つづく)

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