第61話:伝える勇気
「改めて、ご挨拶させていただきます」
Atelier Traditionの開所式で、千秋は深々と頭を下げていた。研究センターとしての認定から一週間。多くの関係者が集まった会場で、新しい一歩を踏み出す瞬間だった。
「伝統技法の継承と」千秋の声が、静かに響く。「革新への挑戦。この二つを軸に」
朝日が差し込む会場には、業界関係者だけでなく、パリからの取材陣も。マリーが熱心にメモを取っている。
「そして」千秋が続ける。「篠原蓮との共同研究として」
その言葉に、会場から小さな動きが。研究者としての名を口にする彼女の表情に、確かな誇りが浮かんでいた。
「千秋さん」
蓮が壇上に上がってくる。完璧なスーツ姿で、しかしその目には普段見せない柔らかさがある。
「このアトリエは」蓮が千秋の横に立つ。「私たちの夢を形にする場所です」
会場に、温かな空気が広がる。
春樹は後方で、親友の晴れ舞台を静かに見守っていた。玲奈と研修生たちも、感動的な表情で式典に参加している。
「具体的な取り組みとして」蓮が説明を続ける。「若手育成プログラムを」
プロジェクターに映し出される資料。パリでの成功を基に、さらに発展させた新しいプログラム。
「伝統と革新の融合」千秋も説明に加わる。「次世代への継承を」
二人の言葉は自然と重なり合い、互いの想いを補完していく。
「素晴らしい」マリーが興奮気味に。「まさに、理想的なパートナーシップ」
その時、会場の後方で小さな騒めきが起こる。
「失礼します」
年配の女性が、静かに入場してきた。会場の空気が、一瞬で変わる。
「あの方は」春樹が息を呑む。「蓮の祖母の」
かつての同僚。伝統技法の世界では、伝説的な存在。
千秋も、その姿に目を見開いた。技法の世界では誰もが知る大家。そして、蓮の祖母と深い絆で結ばれていた人物。
「ご無理を」蓮が駆け寄る。
「いいのよ」女性が優しく微笑む。「大切な日だもの」
その声には、年月を超えた温かみがあった。
「千秋さん」女性が千秋の方を向く。「あなたの技法を、楽しみにしていました」
千秋は深々と頭を下げる。
「光栄です」
「いいえ」女性が続ける。「むしろ、私から感謝を」
会場が静まり返る。
「蓮の祖母が残した技法」女性の目に、懐かしさが浮かぶ。「あなたが、新しい命を吹き込んでくれた」
その言葉に、千秋の目に涙が浮かぶ。
「そして」女性が柔らかく微笑む。「蓮にも、本来の輝きを取り戻してくれた」
会場には、特別な空気が満ちていた。
「この針を」女性が古い箱を取り出す。「あなたに託したい」
開かれた箱の中には、一本の針。蓮の祖母が最後まで大切にしていた品だった。
「これは」千秋の声が震える。
「技法の歴史そのもの」女性が静かに言う。「そして、これからの未来への願い」
蓮の目にも、涙が光る。
「これからの二人に」女性が声を上げる。「心からの祝福を」
その瞬間、会場から大きな拍手が沸き起こる。
春樹は、親友の幸せそうな表情を見つめながら、深いため息をついた。
「長かったね」彼は小さく呟く。「でも、これが最高の形だ」
研修生たちも、感動で目を潤ませている。
「本当に」玲奈が嬉しそうに。「素敵な門出になりましたね」
マリーは、この予想外の展開に熱心にペンを走らせていた。
「千秋さん」彼女が興奮気味に。「素晴らしいストーリーになりそうです」
式典は、その後も厳かに進んでいく。
しかし、その空気には確かな温かみが満ちていた。
「ここから」蓮が千秋の手を取る。「二人で、夢を追いかけましょう」
その言葉には、これまでの全てが込められていた。
アトリエの窓から、朝の光が差し込んでくる。
それは新しい章の始まりを告げるよう。
古い針と新しい針が、朝日を受けて輝く。
それは伝統と革新の誓い。
そして、永遠の愛の証。
(つづく)




