第57話:交わる想い
「ただいま戻りました」
早朝の羽田空港で、千秋は深々と頭を下げた。パリからの12時間のフライトを終え、日本の空気が懐かしく感じられる。春樹が隣で、静かに微笑んでいた。
「お帰りなさい」
その声に、千秋は顔を上げた。
さくらが、玲奈と共に出迎えに来ていた。
「さくらさん」千秋が驚いて。「こんな早くから」
「はい」さくらの目が輝く。「風間さんに、すぐにお見せしたいものが」
その言葉に、千秋の心臓が跳ねる。
きっと、あのアトリエのことだ。
「では」春樹が優しく促す。「さっそく」
車に乗り込む四人。朝もやの立ち込める京都の街へと向かう。窓の外の景色が、パリとの違いを際立たせている。
「兄様は」さくらが嬉しそうに話し始める。「今朝から、アトリエで」
その「兄様」という言葉に、千秋の胸が高鳴る。
「昨日まで」さくらが続ける。「ずっと準備をしていて」
玲奈は、そんな二人の会話を見守りながら、意味深に微笑んでいた。
「あ」さくらが窓の外を指さす。「到着です」
車が止まったのは、renovation完了したばかりの町家の前。格子戸の向こうに、新しい看板が見える。
「Atelier Tradition」
千秋は息を呑んだ。
写真で見ていた以上の、荘厳な佇まい。
「風間さん」
振り返ると、蓮が立っていた。完璧なスーツ姿。しかし、その表情には普段見せない柔らかさがある。
「お帰りなさい」
その言葉に、千秋の目に涙が浮かぶ。
「ただいま」その一言が、自然と零れる。「戻ってきました」
二人の間に、朝の光が差し込む。
「さぁ」春樹が空気を和ませるように。「中を」
アトリエの中に足を踏み入れると、千秋は息を呑んだ。伝統的な和の空間に、現代的な機能性が見事に調和している。まるで、彼女と蓮の技法そのものを体現したような空間。
「こちらが」蓮が案内する。「メインの作業場です」
広々とした空間には、既に最新の設備が整っていた。窓から差し込む光が、白木の床を優しく照らしている。
「そして」蓮が二階への階段を示す。「ここが」
研究室だった。パリで見つけた研究ノートが、既に専用の棚に納められている。
「篠原様」千秋の声が震える。「これは」
「ええ」蓮の目に、確かな決意が宿る。「私たちの、新しい挑戦の場所です」
その「私たち」という言葉に、特別な響きを感じる。
春樹とさくら、玲奈は、そっと階下に降りていった。この大切な瞬間を、二人に委ねるように。
「風間さん」蓮が真摯な眼差しで。「パリでの成功、本当におめでとう」
「ありがとうございます」千秋は微笑む。「でも、これは篠原様の研究があってこそ」
「いいえ」蓮が一歩近づく。「あなたが、私の夢を形にしてくれた」
アトリエに、朝の光が満ちていく。
「そして」蓮が続ける。「これからも、一緒に」
その言葉の先にある想いが、千秋の胸を熱くする。
「私から」蓮が封筒を取り出す。「正式な提案を」
それは、新しいアトリエの運営計画。そして、その先にある未来への青写真。
「風間千秋さん、このアトリエで」蓮の声に力が込められる。「あなたと共に、夢を追いかけたい」蓮が膝をつき、指輪を差し出す。「一緒に歩んでくれますか?」
千秋の目から、涙が零れる。
「はい」迷いのない答え。「私も、同じ夢を見ています」
二人の間に流れる静けさ。
それは言葉以上の、確かな約束。
階下では、春樹とさくら、玲奈が静かに微笑み合っていた。
「やっと」さくらが嬉しそうに。「二人らしい形になりましたね」
「ええ」春樹も頷く。「長かったけど、これが一番いい」
アトリエの窓から、京都の街並みが見える。
パリとは違う、けれど確かな美しさがそこにある。
「かざ…千秋」蓮が静かに言う。「これからの道のりを」
「はい」千秋も力強く。「一緒に、歩んでいきましょう」
朝日が昇り、アトリエ全体が温かな光に包まれていく。
それは新しい物語の始まりを告げるよう。
「さぁ」蓮が千秋の手を取る。「仕事を始めましょうか」
その一言に、全てが込められていた。
仕事への情熱。
未来への期待。
そして、言葉にできない想い。
アトリエには、新しい風が吹き始めていた。
それは伝統と革新の風。
そして、二人だけの特別な物語の風。
(つづく)




