第56話:春樹の決意
「展示会、大成功でした」
パリのアトリエで、マリーは興奮気味に報告していた。昨日の展示会の反響は、予想を遥かに超えるものだった。欧州のファッション界からの賞賛。そして、伝統と革新の融合への高い評価。
「本当に」春樹が満足げに頷く。「素晴らしい成果でしたね」
朝日が差し込むアトリエで、三人は今後の展開について話し合っていた。展示会の余韻が、まだ空気に漂っている。
「特に」マリーが資料を広げる。「この技法への関心が」
展示会での反応をまとめた報告書。そこには、数々の称賛の声が並んでいた。
「風間さん」春樹が千秋の方を向く。「蓮にも、報告を」
その時、アトリエのドアが開く。
現地のメディア担当者が、新しい取材依頼を持ってきた。
「これは」春樹が目を通す。「欧州全土での展開を」
千秋は黙って頷いた。
しかし、その目は既に日本へと向いている。
「帰国は」春樹が優しく声をかける。「明後日でしたね」
「はい」千秋の声に、確かな決意が混ざる。「新しいアトリエの準備が」
マリーは、そんな千秋の表情を見て、意味深に微笑んだ。
「風間さん」マリーが近づく。「でも、その前に」
差し出されたのは、一通の封筒。
春樹からの、最後の報告書。
「実は」春樹が静かに切り出す。「蓮との約束があって」
アトリエに、新しい空気が流れる。
「この展示会の成功を受けて」春樹が続ける。「私から、伝えることがあります」
千秋は息を呑んだ。
「蓮は」春樹の声に、深い友情が滲む。「新しいアトリエで、あなたと共に」
その言葉に、千秋の胸が高鳴る。
「それは」
「ええ」春樹が微笑む。「正式な提案です」
封筒の中には、新しいアトリエの構想図。そこには、二人で創り上げる未来が描かれていた。
「水城さん」千秋の声が震える。「これは」
「私からの」春樹が真摯に言う。「最後の仕事です」
「最後?」
「ええ」春樹の目が遠くを見つめる。「親友の幸せを見届けることが」
マリーは、静かに部屋を出ていった。
この大切な瞬間を、二人に委ねるように。
「蓮と私は」春樹が続ける。「長年の友人です。彼の夢も、挫折も、全てを見てきました」
パリの朝日が、二人の間に長い影を落とす。
「でも」春樹の声が温かみを帯びる。「あなたと出会って、彼は変わった」
千秋は黙って聞いている。
「研究への情熱が戻り」春樹が続ける。「そして、本来の笑顔も」
その言葉に、千秋は胸が熱くなるのを感じた。
「だから」春樹がまっすぐに千秋を見つめる。「私からの最後の仕事は、この想いを形にすること」
アトリエの窓から、パリの街並みが見える。
十年前、蓮と春樹が共に見た景色。
「千秋さん」春樹が真摯に言う。「蓮の夢を、託せるのはあなただけです」
その瞬間、千秋の携帯が震える。
日本からのメッセージ。蓮からだった。
『展示会の成功、本当におめでとう。そして』
言葉が続く前に、春樹が静かに告げる。
「彼は」春樹の声が優しい。「ずっと、あなたを待っています」
千秋の目に、涙が浮かぶ。
「水城さん」千秋が深々と頭を下げる。「ありがとうございます」
「いいえ」春樹が微笑む。「私こそ、この物語の一部に」
アトリエに、朝の光が満ちていく。
それは新しい章の始まりを告げるよう。
「さぁ」春樹が立ち上がる。「帰国の準備を」
その言葉に、千秋は確かな希望を感じた。
マリーが、そっと顔を覗かせる。
「素敵な物語になりそうですね」
「ええ」春樹が頷く。「最高の結末に」
パリの空が、高く澄んでいく。
アトリエの中に、新しい決意が満ちていた。
(つづく)




