第54話:遠い約束
「アトリエの改装まで、あと一ヶ月」
パリのアトリエで、千秋は日本からの写真に見入っていた。renovation中の新しいアトリエの様子。築百年を超える町家の風格と、そこに導入される最新の設備。玲奈から送られてきた写真には、着々と進む工事の様子が映し出されていた。
「風間さん」マリーが朝のコーヒーを運んでくる。「展示会まで、あと3日ですね」
「ええ」千秋は微笑む。「やっと、形になってきました」
パリの朝日が、アトリエの窓から差し込んでくる。作業台の上には、完成間近の作品が並んでいた。蓮の研究ノートを基に発展させた新しい技法は、予想以上の成果を見せていた。
「それにしても」マリーが感心したように。「この技法、本当に素晴らしいわ」
その時、アトリエのドアが開く。
「おはようございます」
春樹が入ってきた。手には新しい連絡事項。
「日本から」春樹が切り出す。「重要なニュースが」
千秋は息を呑んだ。
「新しいアトリエの」春樹が続ける。「伝統工芸の研究センターとしての認定が」
アトリエに、不思議な空気が流れる。それは予想外の、しかし確かな前進を感じさせる知らせだった。
「研究センター?」千秋が目を見開く。
「ええ」春樹が頷く。「伝統技法の継承と革新。その拠点として」
千秋の胸が熱くなる。蓮との共同研究から始まった夢が、確かな形になろうとしていた。
「これは」マリーが感動的に。「素晴らしいニュースですね」
写真の中の町家が、新しい輝きを帯びて見える。格子戸の向こうに広がる中庭。苔むした石と白砂の織りなす景色。そこに、次世代への継承の場が生まれようとしている。
「風間さん」春樹が静かに言う。「蓮からも、伝えてほしいことが」
差し出された封筒。開くと、蓮の几帳面な文字が並んでいた。
『この場所で、私たちの夢を形に』
その言葉に、千秋の目に涙が浮かぶ。
アトリエの窓から、パリの街並みが見える。十年前、蓮もこの景色を見ながら、同じ夢を追いかけていた。そして今、その夢は新しい形で実を結ぼうとしている。
「さて」春樹が立ち上がる。「展示会の準備を」
「はい」千秋も気を引き締める。「必ず、成功させます」
パリの空が、高く澄んでいく。
アトリエの中に、確かな決意が満ちていた。
(つづく)




