第50話:選択の刻
「renovation、一週間後の完成予定です」
新しいアトリエで、春樹は工事の進捗を説明していた。朝日が差し込む窓からは、職人たちの活気ある声が聞こえてくる。築百年の町家が、少しずつ新しい姿を見せ始めていた。
「一階の作業場は」春樹が図面を指さす。「明日には」
「ありがとうございます」千秋は深々と頭を下げた。「こんなに早く」
工事の音が響く中、彼女の胸は期待で高鳴っていた。伝統的な和の空間と現代的な機能性の融合。それは、まさに彼女と蓮が目指す道そのものを体現していた。
「それと」春樹が新しい書類を取り出す。「パリからの連絡で」
千秋は息を呑む。
欧州での展示会の反響は、予想を遥かに超えるものだった。
「若手育成プログラムへの」春樹が続ける。「応募が殺到していて」
その時、アトリエの入り口から声が聞こえた。
「失礼します」
蓮が入ってきた。今日も完璧なスーツ姿。しかし、その表情には以前の硬さは見られない。
「風間さん」蓮が千秋の方を向く。「先ほどの企画について」
二人の視線が重なる。
その瞬間、工事の音も遠のいたように感じた。
「実は」蓮が一枚の紙を取り出す。「新しい提案が」
それは、アトリエの完成後の展開プラン。若手育成に加え、伝統技法の研究センターとしての機能も。
「これは」千秋が目を見開く。「研究センター」
「ええ」蓮の声に力が込められる。「私たちの技法を、さらに発展させていくための」
春樹は、そんな二人の様子を見守りながら、静かに微笑んでいた。
「ところで」春樹が話題を変える。「開所式の日取りは」
「それが」蓮が少し言いよどむ。「実は、もう一つ重要な報告が」
千秋と春樹は、顔を見合わせる。
「取締役会で」蓮が続ける。「正式に承認されました」
「承認?」千秋が問う。
「ええ」蓮の目に、確かな光が宿る。「このアトリエを、篠原グループの研究開発部門として」
千秋は息を呑んだ。
それは単なるアトリエ以上の、大きな可能性を示唆していた。
「さらに」蓮が千秋をまっすぐ見つめる。「風間さんには、部門長として」
「え?」
「私たちの技法を」蓮の声が震える。「一緒に、世界へ」
アトリエに、静寂が流れる。
その言葉の重みが、三人の間に満ちていく。
「篠原様」千秋の声も震えていた。
「風間さん」蓮が一歩近づく。「あなたと共に、この道を」
その時、玲奈とさくらが駆け込んできた。
「千秋!」玲奈が息を切らして。「パリからの」
「兄様!」さくらも興奮した様子。「展示会の」
二人の手には、最新の欧州の雑誌。そこには、二人の技法が大きく取り上げられていた。
「伝統と革新の完璧な調和」さくらが記事を読み上げる。「次世代への確かな道標」
「世界が」玲奈が続ける。「二人の技法を待っているのよ」
千秋は、その言葉に胸が熱くなるのを感じた。
「風間さん」蓮が静かに言う。「答えを、聞かせていただけますか」
アトリエに流れる朝の光が、二人の間に長い影を作る。
「はい」千秋は迷いなく答えた。「篠原様と共に、この道を」
その瞬間、工事の音も遠のいたように感じた。時間が止まったような、特別な瞬間。
「ありがとう」蓮の声に、心からの喜びが滲む。
春樹は、親友の表情に浮かぶ幸せそうな笑顔を見て、深くため息をついた。
「これで」春樹が言う。「やっと、本当の一歩が」
玲奈とさくらも、二人の様子を見守りながら、小さく頷き合う。
「さて」春樹が空気を和ませるように。「開所式の準備を」
話し合いは自然と具体的な内容へと移っていく。しかし、その空気には確かな希望が満ちていた。
アトリエの窓から、夏の風が入ってくる。
カーテンが、新しい季節の訪れを告げるように揺れる。
「この部屋」さくらが一室を指さす。「技法の展示スペースに」
「そうですね」千秋も同意する。「歴史を紹介しながら」
二人の祖母から受け継いだ技法。その歴史と、新しい可能性。全てを、ここで形にしていく。
工事の音が響く中、二人は窓際に立っていた。
朝日が昇る空を、共に見つめる。
「これから」蓮が言う。「私たちの物語が、始まる」
「はい」千秋も微笑む。「やっと見つけた、私たちの道」
アトリエの中に、確かな希望が満ちていく。
それは新しい物語の始まりであり、
二人だけの特別な誓い。
工事の音が、心地よい音楽のように響く。
その音は、まるで未来への期待を奏でているよう。
「では」春樹が立ち上がる。「私は本社への報告を」
去り際、彼は二人に温かな視線を送った。
その目には、深い祝福の想いが込められている。
玲奈とさくらも、そっと部屋を出ていく。
「私たちも、準備が」
残された二人の間に、朝の光が差し込む。
「風間さん」蓮が千秋の方を向く。「本当に、ありがとう」
「いいえ」千秋は首を振る。「私こそ」
二人の視線が重なる。
そこには、もう迷いはない。
伝統と革新。
過去と未来。
そして、二人の想い。
全てが、この場所から始まろうとしていた。
アトリエの窓から、夏の風が入ってくる。
カーテンが、希望のように揺れる。
「これから」千秋が言う。「私たちの技法を」
「ええ」蓮も微笑む。「一緒に、育てていきましょう」
作業台の上で、二本の針が静かに輝きを放つ。
その光は、まるで永遠を誓うように、
朝日を受けて煌めいていた。
アトリエには、新しい夢が満ちていく。
それは確かな未来への誓い。
そして、二人だけの特別な約束。
朝の光が、アトリエ全体を包み込む。
それは新しい季節の訪れを告げるよう。
工事の音が響く中、二人は黙って微笑み合う。
その表情には、もう迷いはない。
ただ、確かな未来への期待だけが、
優しく光を放っていた。
(つづく)




