第45話:迷う糸
「展示会、終了です」
アトリエに、パリからのメールが届いた。夏の夕暮れ時、玲奈は画面に映る成功の報告を、何度も読み返していた。
「本当に」玲奈が感動的な表情で。「素晴らしい評価ね」
欧州の批評家たちから、最高級の賛辞が並ぶ。伝統と革新の見事な融合。それは、千秋と蓮が共に目指した道の証明でもあった。
「でも」春樹が窓際で電話を握りしめている。「まだ、二人からの連絡が」
アトリエには、夕暮れの柔らかな光が差し込んでいた。展示会の成功で、アメリカ行きの短縮は確実。けれど、最も大切な決断は、まだ先送りにされたまま。
「篠原様の様子は?」玲奈が春樹に近づく。
「ああ」春樹の声には心配が滲む。「昨夜から、電話も通じなくて」
その時、アトリエのドアが開く。
「水城様」
秘書が慌ただしく入ってきた。手には新しい国際便のスケジュール。
「これは」春樹が書類を受け取る。「まさか」
二人は息を呑む。
そこには予定外の帰国便が記されていた。
「明日の朝一番で」春樹が書類を見つめる。「二人とも帰国することに」
「予定より早いわね」玲奈の声に緊張が混じる。「何かあったの?」
アトリエに、夕暮れの静けさが広がる。
蝉の声も弱まり、夜の気配が近づいていた。
「蓮が」春樹が窓の外を見つめる。「突然、決断したらしい」
「決断?」
「ああ」春樹の目が遠くを見る。「アメリカ行きのことも、風間さんのことも」
その時、春樹の携帯が震える。
パリからの国際電話。千秋からだ。
「風間さん?」春樹が驚いて電話に出る。「急な帰国とは」
しかし、千秋の声には不思議な落ち着きが感じられた。
「そうですか」春樹の表情が和らぐ。「蓮から、直接」
玲奈は、春樹の様子を見守りながら、期待に胸を膨らませる。
「分かりました」春樹が続ける。「明日の朝、空港まで」
電話を切った後、春樹は深いため息をついた。
しかし、その表情には安堵の色が浮かんでいた。
「どうやら」春樹が微笑む。「蓮が、全てを話したようだ」
「全てを?」
「ああ」春樹の声が温かくなる。「アメリカでの半年間のこと、そしてその後のこと」
アトリエの窓から、夕暮れの風が入ってくる。
カーテンが、希望のように揺れる。
「技法は完成した」春樹が言う。「後は」
「二人の気持ちを」玲奈が柔らかく微笑む。「形にするだけね」
その時、再び秘書が書類を持ってくる。
取締役会からの最終決定書。
「これで」春樹が目を通す。「全てが、正式に」
玲奈は嬉しそうに頷く。
「アメリカでの半年」春樹が続ける。「そして、その後の二人の未来が」
アトリエに、新しい期待が満ちていく。
夕暮れの光が、まるで祝福するように差し込んでいた。
「明日の朝」玲奈が言う。「きっと素敵な瞬間になるわ」
春樹は静かに頷いた。
長かった道のりが、ようやく実を結ぼうとしている。
アトリエの中に、確かな希望が広がっていく。
それは新しい物語の始まりを、静かに告げているよう。
(つづく)




