第43話:変わる関係
「もう着陸の時間ね」
玲奈がアトリエの窓から、夏の空を見上げていた。パリ行きの飛行機が、今頃フランスの空に近づいているはず。
千秋との最後の電話から、既に六時間。時差の関係で、向こうはまだ深夜。
アトリエには、いつもと変わらない日常が流れている。ミシンの音、ハサミの音、スタッフたちの話し声。けれど、何かが決定的に違う。
「鳴海さん」
振り返ると、春樹が立っていた。本来なら彼もパリに向かうはずだった。しかし、急な取締役会の要請で、東京に残ることになった。
「昨日の朝の」春樹の声には疲れが混ざっている。「蓮の態度について」
玲奈は息を呑む。
あの日の朝、蓮が見せた冷たさ。そして、空港での最後の別れ。
「彼は」春樹が窓際に立つ。「また、誰かを遠ざけようとしている」
アトリエに、蝉の声が響く。
夏の陽射しが、二人の間に長い影を落としていた。
「でも」玲奈が静かに言う。「千秋は強いわ」
「え?」
「最後まで」玲奈の声が温かくなる。「技法への想いを、貫き通した」
春樹は小さく頷いた。
あの朝、蓮の冷たい態度に直面しても、千秋は揺るがなかった。
「あの技法には」春樹が言う。「二人の本当の気持ちが」
その時、アトリエのドアが開く。
「水城様」秘書が慌ただしく入ってくる。「パリからの第一報です」
二人は息を呑む。
展示会の初日、技法の第一印象が届いたのだ。
「これは」春樹が書類に目を通す。「予想以上の」
「反応が良かったの?」
「ええ」春樹の表情が明るくなる。「伝統と革新の融合に、欧州の評論家たちが」
玲奈の目に、安堵の色が浮かぶ。
「でも」春樹の声がまた沈む。「蓮からの連絡が、全くなくて」
アトリエに、重い空気が流れる。
あれだけ冷たい態度を見せた後、蓮はパリでも千秋との距離を保とうとしているのだろうか。
「千秋からの連絡も無いわ」玲奈が心配そうに。
春樹が頷く。「技法の評価だけが、事務的に」
その時、春樹の携帯が鳴った。
パリからの国際電話。
「蓮?」春樹が驚いて電話に出る。「どうした、こんな時間に」
向こうからの声に、春樹の表情が変わっていく。
「なるほど」春樹の声が柔らかくなる。「やっと、気づいたか」
玲奈は、そんな春樹の様子を見守りながら、何かを察したように微笑んだ。
「ああ」春樹が続ける。「風間さんのことは、私が」
電話を切った後、春樹は深いため息をついた。
「蓮が」春樹が窓の外を見つめる。「ようやく、本当の気持ちに」
「気づいた?」
「ええ」春樹の目が優しさを帯びる。「あの技法を見て、分かったそうだ」
アトリエの窓から、夏の風が入ってくる。
カーテンが、希望のように揺れる。
「技法には」春樹が続ける。「嘘がつけない」
玲奈は静かに頷いた。
一針一針に込められた想い。
それは、どんな言葉よりも雄弁に、二人の心を語っていた。
「あとは」春樹が微笑む。「二人の決断を、待つだけだね」
アトリエの中に、確かな希望が満ちていく。
それは新しい物語の始まりを、静かに告げているよう。
(つづく)




