第41話:揺れる答え
「最後の調整を」千秋は夜明け前のアトリエで、布地に向かっていた。「もう少しで」
パリまで、残り数時間。明日の朝一番の飛行機で、技法を携えて旅立つ。作業台の上には、完成間近の作品が広がっている。
窓の外はまだ暗く、街灯の明かりだけが静かに差し込んでいた。朝を告げる鳥の声も、まだ聞こえない。
「風間さん」
振り返ると、春樹が立っていた。彼もまた、一睡もしていない様子。
「水城さん」千秋は針を持ったまま振り向く。「取締役会は」
「ええ」春樹の声には疲れが混ざっている。「今朝方、終わったところです」
街灯の光が、春樹の憂いを帯びた横顔を照らしていた。
「蓮は」春樹が窓際に立つ。「最後まで、戦っていました」
千秋は息を呑む。
重要な決定が下された気配を感じる。
「結論は」春樹がゆっくりと言う。「パリでの成功を前提に」
「アメリカ行きの期間短縮を」春樹が続ける。「条件付きで承認」
アトリエに、夜明け前の静けさが広がる。
時計の音だけが、二人の間で響いていた。
「でも」春樹の声が沈む。「その条件が」
その時、アトリエのドアが静かに開く。
「お疲れ様です」
蓮が入ってきた。取締役会の疲れが顔に残っているものの、その目には確かな決意が宿っていた。
「蓮」春樹が振り向く。「もう、話して」
「ああ」蓮の声が低く響く。「風間さんにも、全てを」
千秋は針を置き、二人の方を向く。
夜明け前の光が、少しずつアトリエを明るくしていく。
「取締役会は」蓮が一歩近づく。「パリ展示会での評価を、全ての判断基準にすると」
「判断基準?」
「ええ」蓮の声が震える。「成功すれば半年、失敗すれば」
言葉が途切れる。
その先にある現実の重さが、三人の間に沈んでいく。
「つまり」春樹が静かに言う。「全てを、この技法に賭けることに」
千秋は胸が締め付けられる思いがした。
それは単なる技術の評価以上の、人生を左右する決断。
「風間さん」蓮がまっすぐに千秋を見つめる。「申し訳ない。こんな重圧を」
「違います」
千秋の声が、アトリエに響く。
「これは」千秋は布地に手を置く。「私たちの、覚悟の証です」
蓮の瞳が、かすかに揺れる。
春樹は、そんな二人の様子を見守りながら、複雑な表情を浮かべていた。
「もう夜が明けるね」春樹が窓の外を見る。「私は、パリの最終確認を」
去り際、彼は二人に深い理解の眼差しを送った。
アトリエに残された二人の間に、朝の光が少しずつ差し込んでくる。
「風間さん」蓮がようやく口を開く。「この技法には」
「はい」
「私の全てを」蓮の声に力が込められる。「託したいんです」
その言葉には、技術以上の、深い想いが込められていた。
「この一針に」千秋は再び針を手に取る。「私たちの未来を」
二人は静かに作業台に向かう。
夜明けの光が、その姿を優しく照らし始めていた。
アトリエの窓から、朝の風が入ってくる。
カーテンが、そっと揺れる。
これから始まる挑戦。
それは技法の完成であり、
二人の物語の始まりでもあった。
(つづく)




