第34話:見えない光
「結婚式、本当に素晴らしかったわね」
夕暮れのアトリエで、玲奈は片付けを手伝いながら言った。式から戻ってきた千秋は、まだウェディングドレスの製作で使った道具を整理している。
「ええ」千秋は微笑む。「さくらさんが、とても幸せそうで」
窓から差し込む夕陽が、作業台の上を優しく照らしていた。午前中の式で着用されたドレスは、今は大切に包装され、一旦新居へと運ばれている。
「それにしても」玲奈が意味深に言う。「篠原様の挨拶も素敵だったわ」
千秋の手が、一瞬止まる。
兄としての温かな祝福の言葉。けれど、その中に垣間見えた何か。
「本当にね」千秋は視線を道具に落とす。「さくらさんを想う気持ちが」
その時、アトリエのドアが開く。
「失礼します」
春樹が入ってきた。式での燕尾服姿から、いつものスーツに戻っている。
「パリ展示会の」春樹が一枚の書類を取り出す。「最終確認を」
千秋は黙って頷いた。
妹の結婚式という大切な節目を越え、今度は自分たちの挑戦が待っている。
「今日の式で」春樹が静かに言う。「蓮の挨拶、聞いていましたか」
「はい」千秋は布地を畳みながら答える。「とても、温かな」
「あれは」春樹の声が意味深くなる。「妹への愛情だけじゃない」
千秋の手が止まる。
「式場のロビーで」春樹が続ける。「蓮が私に言ったんです」
「水城さん?」
「『やっと分かった』って」春樹の目が優しさを帯びる。「『本当に大切なものが』」
アトリエに、夕暮れの光が差し込む。
その中で、春樹の言葉が重みを増していく。
「風間さん」春樹が真摯に言う。「蓮は、変わりました」
「変わった?」
「ええ」春樹が微笑む。「あなたと出会って、本来の自分を取り戻した」
千秋は言葉を失う。
その瞬間、アトリエのドアが再び開く。
「お疲れ様です」
蓮が入ってきた。式での燕尾服から、普段のスーツに着替えている。しかし、その表情には何か特別な輝きが残っていた。
「蓮」春樹が立ち上がる。「ちょうど、パリの話を」
「春樹」蓮の声に力が込められる。「少し、時間をもらえるか」
春樹は意味深に微笑んだ。
「分かった」彼は玲奈の方を向く。「私たちは、これで」
玲奈も状況を察したように、さっと立ち上がる。
「そうね、もう遅いし」
二人が去った後、アトリエには静かな緊張が流れる。
夕暮れの光が、二人の間に長い影を作っていた。
「風間さん」蓮がゆっくりと歩み寄る。「今日は、本当にありがとう」
「いいえ」千秋は首を振る。「私は、ただ」
「違います」
蓮の声が、アトリエに響く。
「あなたは」蓮の声が震える。「私に、大切なものを教えてくれた」
「大切なもの?」
「ええ」蓮が一歩近づく。「仕事への誇り、伝統への敬意、そして」
言葉が途切れる。
その先にある想いを、二人は静かに感じ取っていた。
「パリまで」蓮が続ける。「あと五日」
「はい」
「その間に」蓮の目がまっすぐに千秋を見つめる。「私の想いを、形にさせてください」
アトリエの窓から、夕暮れの風が入ってくる。
カーテンが、そっと揺れる。
千秋は静かに頷いた。
それは言葉以上の、確かな応答。
作業台の上で、二本の針が夕陽を受けて輝く。
その光は、まるで二人の未来を照らすよう。
夏の夕暮れが、アトリエを優しく包み込む。
そこには、新しい物語の予感が漂っていた。
(つづく)




