第31話:交わる道
「この部分の調整が」千秋は朝一番のアトリエで、新しい試作品を確認していた。「まだ足りない」
パリ展示会まであと八日。完成への道のりは、まだ遠く感じられる。窓から差し込む朝の光が、作業台の上の布地を照らしていた。
「随分と早いですね」
振り返ると、春樹が立っていた。いつもの穏やかな笑顔だが、どこか言いたげな様子。
「水城さん」千秋が立ち上がる。「こんな早くに」
「ええ」春樹が近づいてくる。「少し、お話ししたくて」
その声には、普段の柔らかさとは違う、真摯な響きがあった。
「実は」春樹が窓際に立つ。「蓮のことで」
千秋は息を呑む。
朝の光が、春樹の物思わしげな横顔を照らしていた。
「昨日、彼から聞きました」春樹が続ける。「風間さんに、夢を託すと」
アトリエに、静かな緊張が流れる。
二人の間で、言葉にならない想いが交錯する。
「水城さん」千秋が恐る恐る言う。「私には、その資格が」
「違います」
春樹の声が、静かに、しかし力強く響く。
「むしろ」春樹が千秋を見つめる。「あなただからこそ」
「え?」
「蓮は」春樹の声が柔らかくなる。「あなたと出会って、変わり始めた」
千秋は黙って聞いている。
「研究への純粋な情熱」春樹が続ける。「布地への愛情。そして、何より本来の自分を取り戻した」
朝の光が、二人の間に長い影を作る。
「水城さんこそ」千秋が静かに言う。「ずっと篠原様のそばで」
「私は」春樹が微笑む。「友人として、彼の夢を見守ってきただけ」
その言葉には、深い愛情と、何か切ない決意が込められていた。
「でも」春樹の声が真摯になる。「風間さんは違う」
「違う?」
「あなたには」春樹がまっすぐに千秋を見つめる。「彼の心を、解きほぐす力がある」
その時、アトリエのドアが開く。
「お早うございます」
蓮が入ってきた。昨日の会話が響いているのか、その表情には普段とは違う柔らかさがある。
「蓮」春樹が振り向く。「ちょうど、風間さんと」
「春樹」蓮の声に、僅かな緊張が混じる。「もしかして」
「安心して」春樹が優しく微笑む。「友人として、祝福しに来ただけ」
アトリエに、不思議な空気が流れる。
三人の間で、何かが確実に変わり始めていた。
「では」春樹が立ち上がる。「私は、パリとの打ち合わせが」
去り際、彼は二人に小さく頷きかけた。
その仕草には、深い愛情と信頼が込められていた。
応接室に残された二人の間に、朝の光が差し込む。
「風間さん」蓮がようやく口を開く。「春樹から、何か」
「はい」千秋は布地に目を落とす。「篠原様の、夢のことを」
「そうですか」蓮の声が温かみを帯びる。「彼は、いつも私のことを」
言葉が途切れる。
その先にある想いを、二人は静かに共有していた。
「さぁ」蓮が作業台に向かう。「今日も、研究を」
千秋は小さく頷いた。
今は、この針に全てを込めるとき。
二人で見つけた可能性を、
形にするための大切な時間。
アトリエの窓から、夏の風が入ってくる。
朝の光が、作業台の上で輝きを増していく。
それは新しい一日の始まりであり、
二人の物語の新たな一歩。
(つづく)




