第26話:新たな風
「これが、若手育成プログラムの具体案です」
アトリエの応接室で、春樹は新しい企画書を広げていた。真夏の陽射しが窓から差し込み、白い布地が光を反射して輝いている。
「伝統技法の継承と」春樹が説明を続ける。「現代的なアプローチの融合。まさに、風間さんの技術を活かせる場に」
千秋は真剣な面持ちで資料に目を通していた。確かに、魅力的な提案だ。伝統を守りながら、新しい価値を生み出していく。それは、彼女自身が目指してきた道でもある。
「水城さん」千秋が静かに口を開く。「この提案には、何か特別な想いが」
春樹の表情が、僅かに和らぐ。
「見抜かれましたか」春樹が窓際に立つ。「実は、蓮との約束なんです」
「約束?」
「学生時代に」春樹の目が遠くを見つめる。「いつか、伝統と革新の架け橋になろうって」
その言葉に、千秋は息を呑んだ。
「二人で夢見た未来が」春樹が続ける。「今、ようやく形になりそうで」
その時、アトリエのドアが開く。
「お早うございます」
蓮が入ってきた。職場復帰から一週間。体調は徐々に回復しているようだが、まだ完全ではない。
「蓮」春樹が振り向く。「ちょうど、企画の説明を」
「風間さん」蓮が千秋の方を向く。「春樹から話は?」
「はい」千秋は頷く。「素晴らしい企画だと思います」
蓮の表情が、僅かに和らぐ。
「実は」蓮が静かに言う。「このプロジェクトには、私からの提案も」
「え?」
「風間さんの技術を」蓮の声に力が込められる。「次世代に伝えていってほしくて」
その言葉に、千秋は胸が熱くなるのを感じた。
「さらに」春樹が企画書をめくる。「パリ展示会との連動も考えています」
三人の視線が、資料に集まる。
そこには、新しい挑戦への確かな道筋が描かれていた。
「ただ」春樹が慎重に言葉を選ぶ。「取締役会の説得が必要で」
「それは」蓮が遮る。「私が」
「だめだ」春樹の声が強くなる。「まだ体調が」
アトリエに、緊張が走る。
「篠原様」千秋がゆっくりと言う。「私たちに、任せていただけませんか」
その「私たち」という言葉に、特別な響きがあった。
蓮は千秋を見つめた。
その目には、複雑な感情が交錯している。
「風間さんを」蓮が静かに言う。「信頼していますから」
その言葉には、単なる依頼人としての評価を超えた、何かが込められていた。
「それと」春樹が新しい資料を取り出す。「海外からの評価も届いています」
差し出された紙面には、欧州の著名なデザイナーたちからのコメント。千秋の技術への賞賛と期待が並んでいた。
「この技法には」蓮の声が温かみを帯びる。「世界が求める可能性がある」
千秋は黙って頷いた。
それは大きな期待であり、責任でもある。
「では」春樹が立ち上がる。「細かい打ち合わせは、また」
去り際、彼は二人に小さく微笑みかけた。その表情には、親友への祝福と、何か切ない決意が浮かんでいた。
応接室に残された千秋と蓮の間に、真夏の陽射しが差し込む。
「風間さん」蓮がようやく口を開く。「このプロジェクトは」
「はい」
「私の夢でもあるんです」蓮の声が震える。「だから、あなたと一緒に」
その言葉の先にある想いを、千秋は静かに受け止めた。
アトリエの窓から、蝉の声が聞こえてくる。
夏の風が、カーテンを揺らしていた。
作業台の上には、二本の針が光を放っている。
まるで、これから始まる物語を見守るように。
千秋は静かに針を手に取った。
一針一針に、これまでにない想いを込めながら。
新しいプロジェクト。
世界への挑戦。
そして、まだ名付けられない感情。
全てが、この夏から動き始めようとしていた。
(つづく)




