第24話:残された日々
「これが、入院中の経過報告です」
千秋は応接室で、企画書を広げていた。蓮の入院から三日目。プロジェクトの進捗状況と、パリ展示会の準備について、春樹と詳細な打ち合わせを重ねていた。
「随分と丁寧にまとめましたね」春樹が資料に目を通す。「蓮も、きっと安心する」
「はい」千秋は静かに頷く。「少しでも、ご負担を減らせれば」
アトリエの窓から、真夏の陽射しが差し込んでくる。蝉の声が、静かな空間に響いていた。
「それと」千秋が別の資料を取り出す。「若手育成プログラムの修正案を」
その時、アトリエのドアが開く。
「風間さん」さくらが入ってきた。「兄様から、伝言を」
千秋は思わず顔を上げた。
さくらの手には、一通の封筒。
「研究ノートの続きを」さくらが封筒を差し出す。「これを参考に」
千秋は恐る恐る封筒を開ける。そこには、蓮の細かな文字で書かれたメモが。入院中も、技法の研究を続けていたようだ。
「相変わらずね」春樹が懐かしそうに微笑む。「学生時代から、布地のことになると」
さくらも小さく頷いた。
「久しぶりに」さくらの声が温かみを帯びる。「研究者だった頃の兄様を見てるみたい」
千秋は黙ってメモに目を落とした。
その文字には、普段の経営者としての冷静さではなく、純粋な研究者としての情熱が溢れている。
「風間さん」さくらが続ける。「午後の面会時間に」
「私が?」
「はい」さくらの目に、期待が浮かぶ。「プロジェクトの報告を、直接」
春樹とさくらが、意味深な視線を交わす。
「行ってあげてください」春樹が優しく言う。「きっと、待ってる」
病室に入ると、蓮は窓際のベッドで本を読んでいた。普段のスーツ姿とは違い、病衣姿の彼は、どこか素直な表情を見せている。
「失礼します」
千秋の声に、蓮は顔を上げた。
「風間さん」その声には、明らかな安堵が混ざっていた。「来てくれたんですね」
「はい」千秋は報告書を取り出す。「プロジェクトの進捗を」
午後の陽射しが、病室を柔らかく照らしている。夏の空が、窓いっぱいに広がっていた。
「それより」蓮がベッドの横の封筒を指さす。「私の研究メモは」
「ええ」千秋は頷く。「拝見しました。素晴らしいアイデアで」
蓮の目が、かすかに輝きを増す。
「実は」蓮が言葉を選ぶように続ける。「入院中、ずっと考えていたんです」
「技法のことを?」
「ええ」蓮の声が熱を帯びる。「この技法には、もっと大きな可能性が」
その時の彼は、まるで学生時代の研究者のよう。経営者としての仮面を脱ぎ、純粋な情熱を見せていた。
「でも」千秋が心配そうに。「お体の方は」
「大丈夫です」蓮が微笑む。「むしろ、この研究のおかげで」
「おかげ?」
「ええ」蓮の目が柔らかくなる。「久しぶりに、本当の自分を取り戻せた気がして」
その言葉に、千秋は胸が熱くなるのを感じた。
「風間さん」蓮が真摯な眼差しで言う。「あなたと出会えて、本当に良かった」
アトリエでの仕事。伝統技法の研究。そして、今の共同プロジェクト。全ての始まりが、この出会いから。
「私こそ」千秋は布地に目を落とす。「篠原様との研究は、特別な」
その時、病室のドアがノックされた。
「失礼します」
春樹が入ってきた。手には新しい企画書。
「相変わらずだな」春樹が蓮に向かって言う。「入院中も研究とは」
「春樹」蓮が少し照れたように。「心配かけて」
「いいんだ」春樹の声に温かみが混じる。「久しぶりに、本来の君を見られた気がする」
三人の間に、穏やかな空気が流れる。
それは仕事を超えた、確かな絆。
「それより」春樹が企画書を広げる。「新しい提案があって」
その瞬間、千秋のスマートフォンが震えた。アトリエからの緊急の連絡。
「申し訳ありません」千秋が慌てて立ち上がる。「アトリエで」
「大丈夫です」蓮が優しく微笑む。「また」
その「また」という言葉には、特別な響きが込められていた。
病室を後にする千秋の背中を、二人の男性が見送る。
「蓮」春樹が静かに言う。「彼女は、特別な人だよ」
蓮は黙って頷いた。
その表情には、言葉にならない想いが浮かんでいた。
アトリエに戻った千秋は、すぐに作業台に向かった。
蓮の研究メモを広げ、新しい試作に取り掛かる。
一針一針に、これまでにない想いを込めながら。
それは技術への追求であり、
誰かの夢を守る決意でもあった。
窓の外では、夏の陽射しが力強さを増している。
その光は、まるで新しい季節の訪れを告げるよう。
(つづく)




