第13話:陽だまりの約束
「これが最新の改良案です」
千秋はアトリエの応接室で、新しい技法の試作を広げていた。退院して初めての打ち合わせ。蓮はいつもの完璧なスーツ姿だったが、その表情にはまだ僅かな疲れが残っている。
窓から差し込む夏の陽射しが、作業台の上の布地を優しく照らしていた。一週間の入院中、千秋は毎日のように新しい試作を重ねてきた。伝統技法の現代的解釈。それは、さくらから聞いた蓮の学生時代の研究テーマと、不思議なほど重なっていた。
「ここの部分」千秋が刺繍の一部を指さす。「お祖母様の技法を基に」
蓮の目が、かすかに揺れる。それは懐かしさなのか、それとも別の感情なのか。
「風間さん」蓮がゆっくりと言葉を選ぶ。「私の研究のことを」
「さくらさんから」千秋は静かに答えた。「少し、お聞きしました」
二人の間に、微妙な空気が流れる。それは気まずさではなく、どこか特別な緊張感。
「恥ずかしい過去です」蓮が窓の外を見つめる。「未熟な研究者が」
「違います」
千秋の声が、応接室に響いた。
「その研究があったからこそ」彼女は真摯に言う。「今、この技法が生まれているんです」
蓮は息を呑んだ。その言葉には、単なる慰めを超えた、確かな理解が込められていた。
「見せてください」蓮が布地に手を伸ばす。「もう一度、詳しく」
千秋は一針一針の意味を説明していく。伝統的な相良刺繍を基礎としながら、現代的なシルエットに合わせて配置を変える。光の加減で模様が浮かび上がる錯覚を利用した新しい試み。
「この部分」蓮が指さす箇所は、まさに彼が研究していた技法に近い。「私も同じことを」
言葉が途切れる。しかし、その目には確かな輝きが戻っていた。
「篠原様の論文を」千秋は恐る恐る言う。「図書館で探してきました」
「え?」
「伝統技法の現代的解釈について」千秋は続ける。「特に、光の当て方による効果の研究が」
蓮の表情が、僅かに崩れる。それは驚きと、何か切ない感情が混ざったような表情。
「そんな古い研究を」蓮の声が震える。「どうして」
「私も」千秋は布地に目を落とす。「同じ夢を見ていたんです」
アトリエに、静寂が流れる。
その言葉の重みが、二人の間に深く沈んでいく。
「風間さん」蓮がようやく口を開く。「あの研究は、未完成のまま」
「だからこそ」千秋は二つの針を取り出した。「今、完成させましょう」
陽射しが、針を優しく照らす。一本は千秋の祖母から受け継いだもの。もう一本は、蓮の祖母の形見。
「二人の祖母の技法を」千秋が続ける。「そして、篠原様の研究を。全てを紡ぎ合わせて」
蓮の目に、かすかな潤みが浮かぶ。
「本当に」蓮の声がかすれる。「私のような者の研究を」
「はい」千秋は迷いなく答えた。「それが今の私の、一番の目標です」
その言葉に、蓮は複雑な表情を浮かべた。そこには感謝と戸惑い、そして何か特別な感情が混ざっている。
「実は」蓮が静かに切り出す。「海外からの引き合いが」
千秋の心臓が、大きく跳ねる。
「この技法に興味を持った企業が」蓮が続ける。「パリで展示会を」
言葉の最後が、宙に浮く。
その先にある可能性と不安が、二人の間に漂う。
「それは」千秋が声を潜める。「素晴らしい機会では」
「ええ」蓮が頷く。「風間さんが作ったさくらのドレスを目玉としてあと何着か入れられればと…」
「私の作品がパリに…?」千秋は決意を込めて言う。「完成まで私が責任を持って」
蓮の表情が、僅かに和らぐ。
「風間さんを」蓮の声が温かみを帯びる。「信頼できて良かった」
その言葉に、千秋は胸が熱くなるのを感じた。それは上司からの評価を超えた、何か特別な響き。
応接室の窓から、蝉の声が聞こえてくる。
夏の陽射しが、二人の間にある確かな絆を照らしていた。
玲奈は、廊下から二人の様子を見守りながら、小さくため息をついた。
「やっぱり」彼女は呟く。「ただの仕事じゃないわ」
その時、アトリエの入り口でベルが鳴った。
「お早うございます」
颯爽とした足取りの男性が入ってくる。篠原グループの新プロジェクトを任されたという水城春樹だった。
「失礼します」春樹が丁寧に頭を下げる。「水城春樹と申します」
新たな風が、アトリエに吹き込んでくる。
それは、これから始まる物語の予感のように。
千秋は再び針を手に取った。
一針一針に、新しい想いを込めながら。
(これは、きっと)
そう心の中で呟く。
(私たちの物語の、始まり)
アトリエの中に、夏の光が満ちていく。
それは、まだ見ぬ未来への、確かな一歩。
(つづく)




