第11話 泳ぐ大走査線
そして双子姫の妹ちゃんに避けられ続けて早5日。
待望の地域清掃ボランティアの日がやってきた。
熱々ごはんでデリジャスなパーティーに興じるご家庭に幸せの福音が降り注ぐ中、海浜公園の中には、休みの日だというのに多くの男子生徒達がボランティアに参加するべくデリシャスタンバイしていた。
おそらくこの中の8割の男は双子姫を目当てでやってきたことが窺える。
まぁ、そんな事、今の俺には関係ないけどね。
そうっ! 今日の俺の目的は、妹ちゃんを口説き落として、もう1度俺の教育係にさせることであるっ!
そのために、何日も前から準備に準備を重ねてきた。
そして俺は今っ!
「……それじゃ、言い訳を聞こうか?」
「……悪かったと思ってるわよ」
妹ちゃんとペア――になることなく、何故かその姉と一緒にゴミ袋片手に、砂浜を散策していた。
いや、どうしてこうなった?
「話が違うよ、古羊さん……」
ツツーと、俺の目尻に一筋の涙が流れる。
ほんと話が違い過ぎる。
どれくらい違うのかと言えば、マッチングアプリで20代のピチピチヒップが目を惹く年上グラマーなお姉さんと連絡し、いざ待ち合わせ場所で待機してみれば、明らかに40オーバーの名うての熟女が圧倒的な質量を携えて登場してきた時くらい話が違う。
ほんとあの時は衝撃的だったなぁ……。
一体人生をドコでどう間違えたら親の年齢よりも年上の熟女とデートするハメになるのだろうか?
そんなに俺は前世で悪い事をしたのだろうか?
ちなみにそのマッチングアプリは、熟女の次に俺に『100人切り余裕っすわぁ~♪』と言わんばかりの男性経験3ケタを誇る歩く性病の塊のようなコッテコテな百戦錬磨のヤリマン☆ギャルを紹介してきたので、鬼軍曹が如き猛々しさでアンインストールしてやった。
ほんとあの時は『王蟲の怒りは大地の怒りじゃぁぁぁぁぁっっ!!』と言わんばかりにキレにキレまくったよね。火の七日間バリにキレまくったよね!
あれ?
俺、何の話をしてたんだっけ?
あれれ?
「えぇいっ!? 泣くんじゃないわよ、みっともない! しょうがないでしょ!? このボランティア活動は羽賀先輩に全部任せてたんだから! 事前にペアが決められているなんて思ってなかったのよ!」
「生徒会長ならそれくらい把握しとけよ!」
「それを言うならアンタだって、この5日間なにしてたのよ! 洋子、アンタのこと完全に避けてるじゃない!」
「うぐっ!? い、忙しかったんだよ……」
「アタシだってそうよ!」
ギャンギャンと、集団から少し離れた浜で、小さく言い争う俺たち。
知り合いがいないからか、いつもの生徒会長の仮面が完璧に剥がれている。
計画は順調だった……はずだ。
2つのイレギュラーを除いて。
1つ、どうやらこの地域清掃は羽賀先輩が主導で動いており、事前参加は2週間前に締め切られていたこと。
2つ、事前にペアは決められており、急遽参加することになった俺にはペアがおらず、仕方なく、1人で周るハズだった古羊とペアを組むハメになったこと。
分かっている。
誰が悪いわけじゃない……ただ間が悪かっただけなんだ。
「……この争いは不毛だ。ここはひとつ、一時休戦としねえか?」
「……奇遇ね。アタシもちょうど、ソレを思っていたところよ」
2人して小さくため息をつく。
こうなったら仕方がない、黙ってゴミを拾うとしよう。
ゴミ袋を握り直したところで、散歩していたと思われる全身青い服に身を包んだ初老の男性に、「お~い」と心配そうに声をかけられた。
「痴話喧嘩かぁ~?」
「「違いますっ」」
俺たちは打ち合わせしていたかのように、一糸乱れる動きで首を横に振った。
瞬間、心、重ねている。
初老の男性は「そうかぁ~」と苦笑を浮かべながら、同じく青い服に身を包んだ男たちの輪の中に帰って行った。
「なぁ? あの青い服のオッサンたちは、いったい何をしてるんだ?」
「オジサマ方と言いなさい。……あの人たちは、この地域の有志の方々で構成されている消防団の人ね。多分、これから消火訓練でもするんじゃないかしら?」
と、古羊の言った通り、向こうの道路の方から、消防車がゆっくりとこちらに向かって走行していた。
どうやら本当に今から消火訓練のようだ。
その証拠に、今着いた消防車の中から白いホースが飛び出ている。
「ほら、アタシたちはアタシたちの仕事をするわよ」
そう言って、波打ち際でプカプカ浮かんでるゴミをサッと広い、ゴミ袋にポイする古羊。
少しだけ消火訓練の様子を見てみたかったが、会長が率先してゴミを拾っている手前、サボるわけにはいかない。
俺は古羊と同じく、海岸に打ち上げられた空き缶を拾い、手持ちのゴミ袋に捨てた。
「…………」
「…………」
黙々とゴミを拾い続ける俺たち。
……非常につまらん。
なんだこの苦行は?
なんで俺はこんなことをしているんだ?
ダメだ、こんなことを続けていたら気が変になっちまいそうだ。
俺は気分転換もかねて、近くでゴミを拾っていた古羊に声をかけた。
「そう言えばさ、今更こんな話をするのもアレなんだけどよ」
「なによ?」
「おまえ、そんなに動き回っても平気なの? パッドとかズレない? 大丈夫?」
「海に沈め殺すぞ貴様?」
今にも俺を絞殺せんばかりの瞳で、ジロッと睨みつける。
どうして俺の気遣いは、いつもこの女を怒らせてしまうのだろうか?
「いいこと? 乙女の胸がいつだってデンジャーなのよ。気軽に触れていい話題じゃないの」
「俺に無理やり触らせておいて、よく言う……」
「あぁんっ?」
「いえ、なんでもありません。だからその妙に尖った石をこちらに向けないでください、ごめんなさい」
古羊はチッ! と軽く舌打ちをしながら手に持っていた石をポチャンッ♪ と海に投げ捨てた。
やがて「ふんっ!」と小生意気に鼻を鳴らして、
「余計なお世話よ。アタシが何度、体育の授業を受けてきたと思ってるのよ? こんなの、苦境の内にも入らないわよ」
「悲しい経験に裏付けられた自信だ……」
「お黙り」
ピシャリッ! と言い捨てた古羊が、スタスタと明後日の方向へ歩いて行く。
やべぇ、少しからかい過ぎたか?
なんて考えていると、防波堤の方から涙で顔をグシャグシャにした女子生徒がやってきた。
女子生徒は至極焦った様子で、何度も足を絡めながら俺たちのもとへ駆けてくる。
「か、会長っ! た、大変、大変なの!?」
「いや、おそらく俺の方が大変だね。なんせ――」
「そ、そんなふざけたことを言ってる場合じゃないの! ほ、本当に大変なの!」
別にふざけているつもりはないんだが、と口を挟もうとして――やめた。
「どうしたんだよ? 顔が真っ青だぞ、おまえ?」
「そんなこといいから! 会長、会長を呼ぶの!」
女子生徒があまりにも血相を変えて言うものだから、つい彼女を観察してしまう。
体はブルブルと小刻みに震え、歯がガチガチと小さく鳴っている。
これは……恐怖?
もしかして不良にでも襲われたのだろうか?
「あなたは確か、2年B組の桃地さん。どうしたんですか? そんなに焦っていては、よく分からないですよ? わたしはどこにも行きませんから、まずは深呼吸して、落ち着いて話してみてください」
と、俺の背後からいつの間にかやってきていた古羊が、ひょっこりと姿を現した。
その姿はいつも通りの凛とした生徒会長である。
古羊の柔らかな雰囲気に当てられ、落ち着きを取り戻す桃地。
こういうとき、こいつの人を和ませる雰囲気はとても役に立つ。
桃地は、大粒の涙をぽろぽろ溢しながら、
「か、会長大変なの! わ、私たちがふざけて防波堤で遊んでいたせいで、洋子ちゃんが! 洋子ちゃんが海に落ちちゃったの!」
この場に居る全員がただごとじゃないことを察知した。
古羊は人前だというのに、珍しく血相を変えて桃地に詰め寄った。
「それはどこですか!? すぐ案内してください!」
「こ、こっちなの!」
その場にいた全員が桃地について行く。
防波堤の方を見ると、確かに小さく誰かが水面で水しぶきをあげているのが見えた。
「お、おいヤバくないか? あれ完全に溺れてるぞっ!?」
「ッ!」
生徒の1人がそんなことを口にした瞬間、古羊が防波堤めがけて走り出した。
それに続くように何人かの男子生徒も防波堤へと走り寄る。
俺も古羊たちと同じく防波堤に走り出そうとして、地元の消防団のことを思い出した。
「――ッ!」
慌てて身を翻し、消防団のもとまで駆け寄る。
消防団の方々も、俺たちが騒ぎ出したのに気が付いたのか「何事か?」と怪訝そうな顔をしていた。
俺は近くの初老の男性に声をかけ、
「すみません! 浮き輪を貸して貰えますか! 知り合いが溺れてるんです!」
「――なにッ!? わかった、はやく持って行きんさい!」
「ありがとうございます!」
120センチほどの大きめな浮き輪を借りて、その場で急いで服を脱ぐ。
パンツ1丁になった俺は、古羊たちの後を追うように、全力で防波堤の先まで突っ走った。
「おいおいおいおいっ!? これ本格的にヤバくないか!? 波でどんどん沖まで行ちゃってるぞ! だ、誰かライフガード呼んで来い!」
「どいてっ! アタシが行く!」
「む、無茶です会長! この潮の速さじゃ、会長も溺れます!」
「いいからどいて!?」
もう猫を被っている余裕もないのか、半ば半狂乱で海に飛び込もうとする古羊。
それを周りの生徒たちが必死になって止めている。
確かに思ったよりも潮の流れが速い。
おまけに防波堤の、しかも1番先から落ちたんだ。
何度もこの海で遊んできた俺にはわかる。
このあたりは地元民の俺でさえ、足がつかない深い場所だ。
おそらく妹ちゃんの身長じゃ、絶対に足がつかない。
遥か彼方で溺れている妹ちゃんを見る。
傍目から見ても、今にも力尽きそうだ。
もう助けを呼んで悠長に待っている時間もない。
ならやることは1つだ。
瞬間、俺の中でバチッ! とスイッチの切り替わる音がした。
「離して! 離してくださいっ! このままじゃ、洋子がっ! 洋子がぁ!?」
「落ちついて、めぇちゃんっ! 救急車と警察に連絡したから、あとは助けがくるまで待――へっ!?」
古羊を後ろから羽交い絞めにしている廉太郎先輩の横を、全力で駆け抜けていく。
「えっ? お、大神くんっ!?」
「ちょっ、シロちゃん!? やめっ!?」
驚いた声をあげる古羊たちを無視して俺は――浮き輪を片手に、全力で防波堤の先端から海へ飛び込んだ。
そのままガムシャラに溺れている妹ちゃんのもとまで泳いで進む。
数メートル先で必死に息をしようと頑張る彼女。
あれだけ苦しそうに暴れていたら、服を着て浮き輪無しだったら、俺も一緒に溺れていたかもしれん。
口の中に入った海水が、舌と喉の奥を塩辛くしていく。
が、構わず全力で泳ぎ続ける。
泳ぐ、泳ぐ、とにかく泳ぐ!
やがて、何とか妹ちゃんの元に辿り着くことには成功したが、妹ちゃんは完全にパニックを起こしていて、それどころではなくなっていた。
「妹ちゃん、大丈夫か!? 浮き輪! 浮き輪があるから、これに掴まれ!」
「~~~~ッッ!?」
妹ちゃんは自分の呼吸を確保するのに精いっぱいといった様子で、俺に体を掴まれても無意識に手足を動かして抵抗してくる。
「古羊ッ!」
「――ッ!?」
ガシッ! と強引に顔をこちらに向かせ、鼻先がくっつきそうなほど近くで目を合わせる。
「もう大丈夫だから。浮き輪に掴まれ。な?」
瞳の焦点が徐々に定まっていく。
妹ちゃんの体から余計な力が抜けていくのが分かった。
俺は浮き輪を思いっきり海水の中へ引っ張り、浮力を利用して彼女の上半身を浮き輪の上になんとか乗せる。
荒い呼吸を繰り返す彼女が、落ち着くのを待ってから、ゆったりとした声音で尋ねた。
「ゆっくり、自分のペースで呼吸すればいいから」
「はぁ、はぁ、はぁ……? お、オオカミ……くん? ど、どうして?」
「今は無理に喋らなくていい。とりあえず、沈まないように浮き輪に捕まっとけ」
「う、うん……」
俺はカラカラになった喉を震わせて「お~いっ!」と防波堤に向かって手を振った。
その様子を見て、俺と古羊が無事なことを確認するや否や、あんなに騒がしかった防波堤の方に、ようやく落ち着きが戻って来た。
「廉太郎先輩の話だと、警察には連絡を入れたそうだから、あとは助けが来るまでゆったりしてようぜ?」
コクンッ、と頷く妹ちゃん。
濡れた制服のシャツが肌に張り付いて、スカイブルーのブラジャーが丸見えの彼女と、俺はゆらゆらと海藻のように海の中を漂うのであった。