第三話 この世界について少し知ったよ
シェイドさんの独り言を聞きつつ、魔法への憧れとライブラのことを考えていたときだった。
「そうだ」
シェイドさんは真剣な顔でぼくに話しかけてきた。
「君はこれからどうしたい?」
どうしたいってそんなの決まっている。
「ぼくはこの体をライブラに返したいです」
「それが叶わなかったら?」
「今すぐに叶わないかもしれないですけど、方法を探して返したいです……」
「……そうか」
しばらく沈黙が続く。ぼくの心は不安でいっぱいだった。
「魂の領域はわからないことが多い。だからライブラとして、いや、その体を使って、君は生きていくことになるかもしれない。それは覚悟しておいてくれ」
「そんな……」
そんな、どうしてぼくは、この子の体の中に入っちゃったんだろう。ぼくの人生は終わったんだ。終わらなくちゃいけない。この子の体を盗ってまで生きたいなんて、思っちゃいけないんだ。
「ぼくは、ぼくは、生きたくない。ライブラに返して元通りにしたい……」
死は恐ろしい。幼いころから入院していて、常に死と隣り合わせの人生を歩んできた。ライブラも死を恐ろしいと思っているはずだ。この体に帰ってきて生きて欲しい。
ぼくは静かに泣いた。
シェイドさんは、ぼくが泣き止むまで目を閉じて待っていてくれた。
* * *
ぼくはこの世界で生きていくために少しずつ勉強することになった。どの道、ライブラの体を守っておかなくちゃいけないんだ。返すまで生きていかなくちゃ。
勉強は、普段ぼくが生活している部屋ですることになった。
「こんにちは、はじめまして。私はMCC機構、魔法教育センター、教育部のフローラ」
「こんにちは。カキネ・ツバサです。はじめまして」
「ツバサ君ね。大体の話はシェイドから聞いてるよ。まずは文字の読み書きか」
「はい」
「教育部っていっても学校の先生じゃなくて、魔術師が正しく魔法や魔道具を使用出来るよう指導する立場だから、うまく教えられないかもしれないけど、いっぱい教材用意してきたし、一緒にがんばろうね!」
「はい! よろしくお願いします!」
文字の読み書きは簡単だった。書いていくうちに、読んでいくうちに、思い出すような感覚があった。初めから知っていたような妙な感覚。
「すごい! すごい! 文字の読み書きはあっという間に終わったね。しゃべることは出来たからそのおかげかな?」
「そうかもしれませんね」
フローラさんは、その淡い緑の目をエメラルドのように輝かせてほめてくれた。
ぼくが日本人だからかな。周りのみんな黒い目だったから、カラフルな目が印象的に映る。あれ、シェイドさんはどうだったかな。黒かったかも。
「みなさん、髪とか目とかカラフルですね。ぼくの住んでいた国では黒目黒髪だったので、なんというかおしゃれに感じます」
「へー! ねね、私はどう? おしゃれに見える?」
赤みがかったブラウンの髪。淡い緑の目。
「おしゃれに見えます!」
「フローラ、ツバサ君に何を教えているんだ」
部屋にシェイドさんが入ってきた。少し疲れているような顔をしている。ちらっと目の色を確認した。濃いブラウンだった。
「あ、シェイド所長、これはですね、異文化交流のような……」
所長? シェイドさんって偉い人なのかな。
「……まあいい。少し様子を見に来た。進捗はどうだ?」
「文字の読み書きはばっちりですよ。完璧です」
「そうか」
「次は世界のことを教えます。その、世界のことを知るって漠然としていて、どう教えたものか正直悩んでいるんです。子供が読む本とか用意してきましたが、……外に連れ出すのはいけないんですか? 見た方が早いかなと思ったり……」
「その子は特殊な立場でな、外出は認められない。慎重に進めたいんだ」
「はあ、そうですか。ということなのでツバサ君、文字読めるようになったし今日はこのへんで、本置いていくから寝る前にでも少し読んでみてね!」
「はい! わかりました!」
「うん、うん、元気でよろしい!」
* * *
「パニ肉のレモニトソース炒め、マミルスープ、デザートはエルニュート、飲み物はヨラ」
世界を知る。まずはいつも食べているごはんについて職員の人に聞いてみた。だけどよくわからない。ぼくは何を食べているんだろう。美味しいんだけどね。
「ごちそうさまでした」
お風呂にはもう慣れた。いつも通り職員の人に髪を乾かしてもらう。ごはんについて聞いてみた。
「ああ、ごはんですか。レモニトソースってことは、アルガニア王国の料理かな」
「アルガニア王国」
だめだ。知らない単語ばかりで知恵熱が出そう。
寝る前にフローラさんが用意してくれた本を読んでみる。絵本と児童書、それからこれは社会の教科書かな。世界の歴史について描かれた、綺麗なイラストの漫画のようなものもあった。
「聖クロルトリア王国の神話……神秘の力……アルカナ……」
ぼくは本を読みながら寝てしまった。
――体中が痛い。息が苦しい。
「ああ! 翼、嫌! 嫌よ、逝かないで、生きて頂戴!」
お母さんが泣きながら話しかけてくる。ああ、ぼくも生きたいよ。やってみたいこといっぱい、いっぱいあるんだ。お父さんかな。手を握ってくれている。あたたかい。手に水がついて流れていくのを感じる。お父さんも泣いているの? 目が開けられない。
小さい頃から何度も手術を繰り返して、必死に生きようとしたのに。
「あぐっ、あ、あ」
「どうした、翼、ん? ゆっくりでいいから」
お父さんの震える声が聞こえる。違うんだ。何か言いたいんじゃない。泣きたいんだ。
ぼく、もう泣けないんだ……。
体が、熱い、冷たい。ぼくは心の中で泣きじゃくった。