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「あぁ……よかった」


『悪魔兄妹による魔界創造計画、第一回はここまでです。ありがとうございました! 近々第二回をやりますので、その際も観にきてもらえると嬉しいです!』


『いつのまにか僕の知らないところで僕をメンバーに加えられた壮大なプロジェクトが立ち上がっている……。どこまで魔界を再現するかにもよりますが、おそらくロングタームなものになります。今後もお付き合いいただけましたら幸いです』


『明日はお兄ちゃんと一緒にFPS配信します!』


『聞かされてないんだよね、その話。僕の知らない僕の予定が次から次へと……。えっと、そういうことらしいので、ご都合がつきましたら是非お越しください。お待ちしております』


『あー、楽しかったーっ! お兄ちゃんありがとね。あと眷属のみなさんもありがとうございました! それじゃ、いつもの終わりの挨拶で締めよっか、お兄ちゃん』


『少なくとも僕は初耳だね、そのいつもの終わりの挨拶とやらは。初コラボだよね、これ?』


『今日の配信はー……「New Tale」の悪魔兄妹! 妹のほう! 嫉妬の悪魔、レイラ・エンヴィと!』


『え? えっと……「New Tale」の悪魔兄妹、兄のほう。憤怒の悪魔、ジン・ラースでお送りいたしました。……で、いいのかな?』


『ありがとうございましたー! またねー!』


『ああ、よかった、これでいいんだ……。ご視聴、ありがとうございました』


 初めて聞いたキャッチーないつもの挨拶をして二人の配信は終了した。お兄さんは今日が活動を始めて二日目だし、礼愛とのコラボはこれが初めてなんだから、いつもの挨拶とかあるわけないんだよなぁ。


「ああぁぁっ! おもしろかったーっ! お兄さん一人でもおもしろかったのに、れー姉と二人になるともう……無敵だねっ!」


「ほんとにね。さすがに礼愛は配信者歴長いだけあってトークもうまいわ。……いや、お兄さんと合流する前はすっごいテンション低かったし、ただ素が出ただけか?」


「もうずっと二人でコラボしててほしい」


「カップルチャンネルかよ」


「明日も楽しみだなぁ……あっ、そうだ。またSNSで宣伝しとかなきゃ!」


「おー、がんばれー」


 今日も今日とて寧音は健全で良識的なファンとして宣伝活動するようだ。そのまま過激派からは足を洗ってほしい。


 たとえ効果は薄くとも、そうした地道な宣伝の一歩一歩が積み重なれば、まともなリスナーが増えることに繋がる。まともなリスナーの比率が上がれば、もっとお兄さんが楽しく配信できるようになるはずだ。寧音の活動は確実にお兄さんの力になる。


「さて、と……」


 そういった宣伝活動の一切ができず、なんの助力もできないあたしはとある人物へと連絡を取ることとする。


 ノートPCをかたかたしている寧音を横目に、あたしはスマホを手に取り部屋を出た。


 メッセージアプリを起動して目当ての人物の名前をタップする。こういう時、あたしのフレンドリストは探しやすくて助かる。スクロールしなくてもいいくらいの人数しか登録されていないからだ。


 数回のコール音の後、奴は出た。


『こんばんは、夢結。楽しかったでしょ?』


 第一声から、礼愛は超然とした態度で飄々と挨拶してきた。あんな大それたことをしたというのに、動じた気配は微塵もない。配信してる時からゼロコンマ一秒たりとも動揺も後悔もしてなさそうだったけれど。


「たしかに楽しかったわ。ジェットコースター的な意味でね」


『あははっ、なら楽しめたね! 夢結ジェットコースター好きだもんね!』


「言ったことないわ、好きだなんて。どちらかというと苦手だわ。あんたは好きそうだけどね」


『うん! 好きだね!』


「……だろうね」


 心待ちにしていたお兄さんとのコラボ配信をしたばかりだからか、いつもよりもテンションが高い。声が弾んでいる。


 配信では荒らしも多かったが、気にしている素振りはない。我関せずといった感じだ。覚悟ガンギマリの礼愛に怖いものなどないようだ。


 でも、あたしは。


 今の礼愛は怖いもの知らずかもしれないけれど、あたしは。一つだけ心配なことがあった。


『それでねー。前もって夢結に言ってた理由なんだけど……』


「その前に、ちょっといい?」


『うん? なに?』


「礼愛は、これから大丈夫そう?」


『……うん。大丈夫だよ、きっと』


 礼愛のその返事は、あたしに向けたというよりも、自分自身に言い聞かせているようだった。気のせいかもしれないくらいわずかにだけど、声に不安の色が滲んでいた。


 今日の礼愛の配信は、よくも悪くも反響の大きいものになるだろう。


 配信中のコメント欄を見ていた限りでは受けは良かった。実際二人の雑談は面白かったし、プレイも見応えがあって、作業の進行もスムーズで見ていて気持ちの良いものだった。


 止め処なく溢れていた礼愛の妹感、普通にしているだけで際限なく醸し出されるお兄さんのお兄ちゃん感。二人の魅力を互いが互いに引き出していた。それらはきっと、これまでは興味がなかったリスナーを引き込む要因になり得るだろう。


 けれど、礼愛の場合は既存のファンに対して逆効果になる危険性もある。


 お兄さんの配信に突撃する前のテンションが礼愛の配信時のニュートラルな状態なのだとすれば、お兄さんとコラボしている時のテンションは差があまりに大きい。


 落ち着いた声色とクールな所作の塩対応系女子が好きなファンからすれば、ジン・ラースとコラボしている時のレイラ・エンヴィは容認し難い違和感になるかもしれない。


 塩対応系冷淡女子からの甘々系猫撫で声礼愛となると、ギャップが凄すぎる。寧音ではないが、リスナーのガラスハートが温度差で壊れてしまうかもしれない。


 そうしてファンが離れるリスクはある。


 いや、離れるだけであれば、まだマシかもしれない。


 熱心なファンは、時として過激なアンチになることもある。


 反転アンチと呼ばれるそれになる理由は様々だ。問題発言であったり、男女事のスキャンダルであったり、単に気に入らない行動を取ったりなどで愛憎が翻ることがある。


 推しに向けていた愛情が大きければ大きいほどに、裏返った時に推しに向けられる憎悪は強くなる。これはお兄さんが巻き込まれている炎上騒動にも通底するものがある。


 件の女性Vtuberのことが大好きだったファンが、裏切りによって反転アンチになった。件の女性Vtuberの場合は憎悪を向ける矛先が失われたせいでお兄さんに向いている。本来無関係な人間にすら怒りをぶつけにいくほどに感情が暴走している。


 好きという感情は、些細なきっかけで容易に憎しみに化けるのだ。


 そういった悪意に晒された時、礼愛はとても傷ついてしまうんじゃないか。


 それだけがあたしは心配だった。たった一人の掛け替えのない親友が悲しむ姿なんて、あたしは見たくない。


「きっと、叩かれることもあると思う」


『うん、そうだね』


「言われてつらくなるようなことも、悲しくなることも……増えると思うよ」


『……うん』


「それでも、礼愛はほんとに大丈夫?」


『…………ふふっ』


「え、なに……なんなの?」


 長い沈黙を挟んだ後、なぜか礼愛は小さく笑った。あたしを小馬鹿にするようないつもの笑いではなく、はにかむような純粋な声だった。


『そんなんだから私から「夢結は負けヒロイン味あるなあ」なんて思われるんだよ』


「あたしをなんだと思ってやがる」


 あたしの真剣な気持ちをどれだけ踏み躙るつもりだこいつ。負けないわ。勝つわ。相手が誰だかは知らないけど。


『優しすぎるってことだよ。好きな人ができても友だちに、わたしもその人のこと好き、とか言われたら身を引いちゃいそうな感じ。優しすぎて不安になるよ』


 これは褒めているのだろうか。褒めているんだろうな。あたしは褒められたんだな。ふむ、そういう意味ならばよし。


「なぁんだ、そういうこと。安心して。友だち少ないから被るようなことないよ」


『いつもならその交友関係の乏しさに不安になるところだけど、今だけはちょっと安心かも』


 鈴を振るような綺麗な声で、礼愛は小さく笑った。話を区切るようなしばしの沈黙の後、礼愛が喋り始める。


『……大丈夫だよ、本当に。悪口なんて言われても気にしないし。それに……お兄ちゃんを誘ったのは私だからね。私だけ安全な場所で見て見ぬ振りなんてできないよ。お兄ちゃんと一緒なら、私は大丈夫。どうとでもなるよ。……ありがとね、夢結』


 悪口なんて『気にならない』ではなく『気にしない』というところや、お兄さんを誘ったことに対して必要以上に責任を感じていそうなところに不安はあるけれど、今はその言葉を信じよう。


 そう、礼愛とお兄さんなら炎上騒動も荒らしも跳ね返せる。なんなら荒らしや、荒らしに便乗している野次馬リスナーもファンにしてしまうかもしれない。そのくらいのポテンシャルを、この兄妹は秘めているのだ。


 あたしにどうにかできるような力はないけれど、声援を送るくらいのことしかできないけれど、無力感で心が締め付けられるように痛いけれど、できることをしよう。声をかけて励まして、応援するくらいのことだったら、あたしにだってできるから。


「どういたしまして。それじゃああたしは次の配信を楽しみに待っとくよ。あ、今日の配信、最初こそどうなるかひやひやだったけど、その峠を越えてからはずっとおもしろかったよ。寧音がすっごく喜んでた。ずっとうるさかったんだから」


『ほんと?! 嬉しいなあ。きっとそれ伝えたらお兄ちゃんも喜ぶよ』


「おお……お兄さんにもよろしく伝えておいてもらえるとあたしも嬉しい。寧音も喜ぶ」


『あははっ、なにそれ』


 こんなタイミングで寧音からのミッションをクリアすると思わなかった。礼愛という中継を挟んでるけど、そこはまあいいだろう。もともとあたしという中継がいたんだ、大して変わらない。結果が同じなら寧音だって文句はないはず。


 そろそろ礼愛を解放するとしよう。あたしが長時間引き留めてしまうのも悪い。礼愛にも予定があることだし。事務所の人から叱られる、という重要な予定が。


「ま、言いたかったことはそれだけ。これからも配信がんばってね。応援してるから。じゃあね、また明日。おやすみ」


『うん! おやすっ……ごめん夢結ちょっと待って!』


「おおう……どした?」


 通話を切ろうとしたら礼愛から引き止められた。


 そういえばあたしが喋り始める前に、礼愛が話を切り出そうとしていた気がしないでもない。


『私が配信リア凸する話を夢結にした理由がね、あってね』


「うんうん……うん? リア凸するとまでは聞いとらんかったが?」


『夢結にね……お願いがあるの。依頼したい事があるの』


 あたしに対して珍しく殊勝な態度で頼んでくる礼愛。これはまともな頼み事ではない可能性が大。まずあたし相手にこんなに低姿勢でくることが稀なのだ。あたしの手に負えないタイプのお願いか、あたしでもできるけど非常に面倒なタイプのお願いか、おそらくどちらかだろう。帰り道に言っていたのはこれのことか。


 首の後ろあたりがぴりぴりする。自然と緊張が走る。


 率直に言うと、逃げたい。


「……怖いな。切るね? おやすみ」


 スマホを耳から離し、通話終了のアイコンに指を翳す。君子でなくとも危うきに近寄ることはない。


『なんで?! まだ内容も話してないのに! お兄ちゃんも関係してることなんだって!』


「任せろ、承った」


『格好がつかない時にだけ夢結は格好いいセリフを吐くなあ……』


 お兄さんが関わっているとなれば話は別だ。なんだって引き受ける。二の句だっていらない。了承以外の答えをあたしは持たない。


「でもあたしの力を超える願いはかなえられないからね。そこんとこよろしく」


『うん。大丈夫。私としては夢結にしか任せられないって思ったから夢結にお願いしてるんだよ。……ただ、さすがに私も申し訳ない気持ちがあるから、受けるかどうかは全部話してから夢結に任せるよ』


「え……ほんとにあたし、なにやらされんの?」


 礼愛がここまであたしに配慮するなんて、滅多にあることではない。そもそもあたしにできて礼愛にできないというシチュエーション自体が稀なのだから、そりゃああたしに頼むことなんてそうそうない。


 今更怖気づいてきた。あたしが受諾したのに、その上で再度判断を委ねるなんて、どんな裏があるというのだ。言質を引き出せたのなら押しつけるのが礼愛なのに。


『実はね──』


 安請け合いしたのは失敗だったかな、なんて内心怯え始めたあたしに、礼愛がお願い事を説明し始めた。




 *




「……とんでもないことになったな……」


 礼愛との通話を終えると、一息ついてから扉を開いた。


 部屋に戻ると、ローテーブルでノートPCを開いていたはずの寧音が自分の勉強机のほうへ移動していた。といっても、お兄さんの配信が始まる前までやっていた勉強を再開したわけではなさそうだ。ノートPCでなにか作業している。


「あっ、ゆー姉! すごいんだよ、お兄さんとれー姉、SNSのトレンド入ってたんだよ!」


 あたしが部屋に入るや、寧音はすぐさま振り返って報告してきた。


 トレンド入りとは、また目立つようなことになったものだ。これが果たして、吉凶どちらで出ることやら。


「へぇ。やっぱりお兄さんのほうで?」


「『悪魔兄妹』だからどっちもだよ! もとからお兄さんのほうには人の目が集まってたし、れー姉はリアル妹の証明にリア凸したわけだから、話題性があるよね。一番効いたのは最後の『いつもの挨拶』かな。わかりやすい上に耳に残るフレーズと、端的かつ強烈なワードチョイスで二人の特徴と関係を深く印象づけたって感じ。あれをその場のアドリブでやってたとしたら、れー姉まじ天才だよ!」


「お、おお……。情報量がすごい……」


 ぺらぺらとよく回る舌で、寧音は一気に捲し立ててきた。


 友だちとの付き合いもあるし流行りやトレンドを追う必要もあって、日頃からよくチェックしている寧音の分析だ。あたしに正誤の判断はできないけれど、おそらく的を射ているのだろう。


「フォロワーさんの中でも興味持つ人ちらほらいててさ、初回から観てておすすめしてた寧音も鼻高々だよ! お兄さんもれー姉もありがとうっ!」


「なんと流されやすい人たちか……。でもそれでまともな人が増えてくれれば、それだけお兄さんはやりやすくなるだろうし、いいことか」


「いいどころか最高じゃん! 荒らしたちが騒ぎ立ててくれたおかげで注目されて、それでチャンネル登録者数増えれば、なにより気分がいい!」


「この子は……本当にいい性格してるわ」


「ありがと。よく言われるんだよね。『寧音ちゃんは性格いいよね』って」


「あたしが言ってる意味とそのお友だちが言ってる意味はきっと真逆なんだ」


「ふーん。……なんかゆー姉、テンション低くない? 嬉しくないの? もしかして……推しが有名になるの嫌だとか思っちゃうタイプ? はぁー、ゆー姉は同担拒否派かぁ。自分が一番推しのことを理解してるんだぜ、みたいな? きっも」


「いや勝手にテンション低いことにさせられて勝手に同担拒否にさせられた挙句に罵られるってもうわけわからんわ。……まぁ、でもお兄さんが有名になってもならなくても、正直あたしとしてはどっちでもいいかな。ファンが増えてコメントを拾ってもらえなくなっても、数多くいるファンのうちの一人になって見向きされなくなっても、推しが楽しく配信できるんだったらなんだっていい」


 寧音の言う通り、初期から応援していたバンドなり歌手なりアイドルなり配信者なりが有名になるとなんだかもやもやする、っていう人は一定数いるらしい。有名になっていくのは嬉しいけれど、相対的に推しとの距離が離れていくように感じられてしまうからだろうか。


 あたしは、少なくとも今のところはだけれど、そういう感覚は味わっていない。


 もしかしたらあたしもそういう感性を持っているかもしれないけれど、あったとしてもそれが発揮されることはないだろう。『推しが有名になるのがもやもやする』という感覚に陥る原因が仮に『推しとの距離が離れていくように感じるから』なのだとしたら、あたしの場合はそもそもの原因が発生しない。


 なにしろ、あたし、お兄さんと近いから。直接お喋りできる連絡手段を持っているから。


 その優越感、特別意識がある限り、あたしは高みから見下ろして仄暗い悦に浸れる。


 なんとも性格の悪い女だ。あるいはいい性格をしている女だ。


「……ゆー姉って、たまにナチュラルに善人発言するよね。寧音、ときどき自己嫌悪するよ」


「え、なに? あたしそんないい人っぽいムーブしたの?」


「これがガチで無意識なんだもんなぁ……女子が集まった時に催される陰口トークに参加してなかったら、こんな感じで純粋培養されるのかぁ……。寧音はもうなくしちゃったなぁ、その感性」


 寧音が暗い顔をしながらぽそぽそと恐ろしいことを呟いていた。


「あ、その女の子同士の裏のやり取りについては詳しく説明しないでね。聞いて楽しい気持ちになることはなさそうだから」


 なんだか珍しく寧音が褒めてくれたところ悪いけど、内心ではめちゃくちゃ嫌な考え巡らせてたんだよね、あたし。もし善人っぽく見えていたのだとしても、それは鍍金(メッキ)だ。一皮剥けば卑屈で陰気な女が出てくる。


「そんじゃ、テンション低かったのはれー姉との通話で?」


「べつにテンション下がってたわけじゃなくて考えご……なんで礼愛って決め打ちしたの? わかんないよね? 違うかもしんないじゃん」


「え? あっはは! ゆー姉、その冗談おもしろーい!」


「いや冗談言ってないわ」


「ゆー姉と通話するような相手なんて、れー姉しかいないじゃーん!」


「そろそろ殴ろうか?」


 温厚かつ鷹揚なあたしにも堪忍袋というものは存在するのだ。


「そんで? れー姉となんかあった?」


「ん? ……ああ、別に喧嘩したわけじゃないからね? ちょっとした心配事の話と、礼愛からのお願い事の……寧音。あんた今なにやってんの?」


 あたしが自分の椅子に座ると、寧音の机になにが置かれてるのかよく見えた。


 ノートPCと、手元に置かれているのは液タブだ。液晶タブレット。紙にペンで絵を描くのと同じような感覚でディスプレイに映し出して描いていける端末。板タブと比較するとだいたいお高いお買い物になるけれど、手元のディスプレイに直接イラストを描けるのでアナログなやり方と感覚が近くて描きやすかったりする。


 ちなみに、ノートPCで液タブを使おうとしたら相応のスペックを要求されるのだが、寧音が使っているノートPCは姉に費用の大部分を出資してもらって購入したハイスペックな品なので問題ない。姉のお手伝いもしているところに加え、甘え上手な手腕を遺憾無く振るい、末っ子という立場を最大限活用し、見事自分の懐をほとんど痛ませずにもぎ取ったのだ。妹ってずるい。


「見りゃわかると思うけど、お絵描き」


「……さっそく描き始めてたんだ」


「うむ! 燃えつきる前に震えるハートで刻まなきゃいけないからね!」


 実にあたしときー姉の妹らしい寧音であった。いや、諸悪の根源はお父さんの本棚かもしれない。


「おお……。せ、せやな……。と゜ころでっ。……んんっ! ところで、どんな段階?」


「声裏返ってるけど……今は下描き。どういうのを描こうか悩んだんだけど、本人たちの目が届くかもしれないことを考えてやっぱりえっちなのはやめといた。タグが決まってないとこういう時困っちゃうね」


「初っ端からセンシティブなファンアート描こうとすんなよ」


「だからやめたじゃん! 寧音だって悩んだんだよ?!」


「どこでキレてんだ……。一瞬で火がつくね、あんたは」


「で、れー姉となに話したの? ごまかさないでよ。それともわざと話逸らしてんの?」


「いやぁ、これがまったく逸れてないんだわ。あのさぁ、寧音。その熱いパトス、いったん燃え尽きさせてもらってもいい?」


「……相応の覚悟があるんだろうね?」


「ま、まて……覚悟はない。でも理由はある」


「ゆー姉と違って柔肌の熱き血潮の寧音は、今この瞬間に熱いハートのビートでイラストに想いを刻みたいのだ」


「なんだ? 学校の読書感想文とかで読んだのか? 残念だったな、これでもあたしは進学校に通う現役高校生。『みだれ髪』はもちろん、与謝野晶子の代表作は読了済みだ。あたしも若いんじゃあほ!」


 あたしをこき下ろす時に限って知能指数が上昇する困った妹だ。


 余計な茶々で引っ掻き回される前に本題を切り出してしまおう。こいつ相手に気遣いなんていらなかった。


「言ったでしょ。礼愛からのお願い事」


「……え? も、もしかして……」


「イラスト、描いてほしいって言われたんだよね」


「おおぉぉっ! まじで?! 公式からお願いされたの?!」


 黒目の大きい瞳がこぼれ落ちるんじゃないかと思うほど(まぶた)を開いて大声で驚くと、寧音はお高い椅子が倒れそうになるくらいの勢いで立ち上がってあたしに詰め寄ってきた。


 このちんまい体のどこにこんな力があるのか、がしっとあたしの腕を掴んでくる。決して逃さないという固い意志を感じる。


「こ、公式と言うな公式と。まぁ、本人から直接言われたから間違いじゃないけど……」


「やっぱり公式じゃん! まさかさっきまで配信していた本人から依頼されるなんて……やっぱり持つべきものはフォロワー数よりコネクションなのかな……」


「中学生が世知辛いこと言ってんじゃない」


 若い身空で、なんなら幼い身空でコネクションがどうとか言うなよ。可愛げに欠ける。


「もちろんこの件、寧音にも一枚噛ませてくれるんだよね?」


「さっきからいちいち言い回しがいやらしいな……。関わらせたくなくなるだろ、そんな態度の奴……」


「寧音にも協力させるつもりだから話してくれたんだよね? そうなんだよね? だろ?」


「ぐいぐいくんな豹変すんな。もちろんそのつもりはあるよ。でもね、問題があって……」


「問題? なに? 誰を消してくればいい?」

 

「そんな血なまぐさい話じゃない。あたしとは住んでる世界が違いそうだな……。えっと、それがね? 一点二点とかじゃなくて、これから継続して描いてほしいってことらしくて」


「ほ? 配信のサムネとかじゃなくて?」


 ここでようやく寧音の圧力が止まった。さすがの寧音でも思うところがあったのだろう。


 ちょっとここからは真面目なお話になるので、一旦寧音には自分の席に戻ってもらおう。別に妹の威圧感に負けそうになったわけではない。怖かったわけではぜんぜんない。


「サムネイルにも使いたいとは言ってたけど、本題はそっちじゃないんだって。ある程度の頻度で、お兄さんと礼愛の二人をメインに据えたストーリー性のある絵を描いてほしい、ってことらしい。動画共有プラットフォームにファンが作ったそういう動画も上げられてるでしょ? イラスト動画ってやつになるのかな? 手描き切り抜きだったか? 二人の配信での絡みを題材にしたマンガみたいな感じのやつ。そういうのを描いてもらって、動画の形にしてやっていきたいんだって。BGMとか文字起こしとか、そこらへんの編集は礼愛がするって。自分たちで……これはあたしたちってことね? 自分たちでチャンネル開設して動画投稿するのが手間だったら礼愛のチャンネルでやるらしいし、あたしたちでチャンネル開設して動画アップする時は礼愛が配信で宣伝するし、概要欄にもリンクを載せるみたい。……ふぅ。ま、だいたいこんなとこ」


「ふむ、なるほど……」


 礼愛との話をがんばって思い出しながら、寧音に伝える。


 長い説明を聞き終えた寧音は若干視線を下に向けて、あごに指を添えて考え始めた。


 そりゃあ、熱心なオタクたる寧音だとしても悩むだろう。相当な作業時間を取られることになる。しかも、明確にいつまで続くかわからないとなればなおさらだ。


 あたしが寧音にこの話を持ってきたのもそういう理由だ。一応これでも高校三年生なので、嫌が応でも勉強に時間を割かなければいけない。大学進学も、エスカレーター式とはいえ控えている。一人ではだいぶしんどい。手が回らない。設定された期限によっては時間が足りなくなる場合も大いにある。


 だから寧音にも助力を仰ごうとしたわけなのだけれど、ここで障害が一つ。寧音も受験生なのである。しかも志望校があたしや礼愛が通っている高校、一応世間的には難関と呼ばれる分類に含まれる高校を志望している。倍率も高い。偏差値も高い。ついでに言うと制服がお洒落ということで人気も高い。そんな学校を目指して、友だち付き合いもしながら日頃からこつこつ勉強している寧音は存外頑張り屋さんだ。


 寧音の性格を鑑みるに、推しであるお兄さんや慕っている礼愛の手伝いはできることならやりたいと願うだろうが、受験のことを考慮すると二つ返事では引き受けられないだろう。あたしが寧音にこの話を持ってきつつも、中々本題に踏み切れなかったのは束縛される時間に因るところが大きい。必要十分な学力は備わっているとはいえ受験勉強が本格化している今の時期、おそらく寧音はこれからも友だち付き合いを疎かにすることはないだろうから、それらと並行してこなす事になると負担が重すぎる。


 最悪、あたしだけでも回せる頻度に設定させてもらえればいいので、寧音が辞退しても支障はない。支障はないが、できることなら寧音にも協力してほしい。姉の手伝いで一緒に描いていて、要領や流れを理解している寧音が力を貸してくれたら、作業を分担することもできて非常に捗る。


「れー姉って、やっぱり頭回るよねぇ……」


「うん。うん? 礼愛? いや、たしかにめちゃ賢いけど……今それ?」


 長い沈黙を破ったかと思えば、いきなり礼愛の賢さの話になっていた。わけがわからないよ。依頼の話はどこいった。そして礼愛はびっくりするほど賢いよ。いつも礼愛の隣にいるあたしまで賢いと勘違いされて気まずい思いをするくらい賢いよ。


「今だからこそだよ。お兄さんとれー姉でコラボやって、その反響がよかった。きっとれー姉自身も批判よりも好評が多いと想定してたんだと思う」


「うん? んー……まぁ、そうだろうね。学校で教えてもらった時も面白くなると思うよ、なんて言ってたし。自信はあったんじゃない?」


「実際ほんとにおもしろかったよねー! 『New Tale』のリスナーは男女の絡みは神経質になってるかもしれないけど、お兄さんとれー姉だったら兄妹だから、その点安心して観てられるよね。異性同士での絡みで、色恋沙汰とかの厄介事の心配をせずに安心して観られるのは、今じゃお兄さんとれー姉しかいないんだ。リアルに兄妹とは思えないくらいいちゃいちゃ仲良くしてて、でもリアルに兄妹だから杞憂することもない。これってすごくお得だよね。男女でコラボ配信する時のリスクはないのに、リターンはしっかりある」


「はー……そういう考えか」


「異性でのコラボでしか摂取できないてぇてぇはあるんだよ」


「これは寧音の個人的な見解っぽいな」


 ここまでずっと客観的な意見だったのに、急に俗っぽくなった。


「そういう異性コラボでのてぇてぇにさらに上乗せで仲良し兄妹のてぇてぇもついてくる。控えめに言って最高だね。急性てぇてぇ中毒に気をつけないと……尊死してしまう」


「あんたの感想はいい。続けろ」


「今回のコラボでプチバズって、これまで以上に話題性が増したんだよ。注目されるようになった。ほかの箱でも男女でコラボって控えてるらしいじゃん?」


「そうだね、相当気を配ってるみたい。大手でもやらないようにしてるんだから」


 『箱』というのはグループや事務所などを指す言葉だ。人数の多いVtuber事務所などではコラボなどがきっかけで仲良くなった人たちにグループ名をつけたりするのだけど、そのグループの中の誰か一人ではなく、そのグループ自体を推すことを『箱推し』などと言ったりする。今回寧音が使った言い方だと事務所全体という意味で使っている。


「そんな男女でコラボしにくいフインキの中、杞憂民の心配なんてせずに自由にお兄さんとれー姉は活動できるんだ。よその箱を含めても、今じゃお兄さんとれー姉しかいない。これは大きなアドバンテージになる。アピールポイントにするつもりなんだよ、れー姉は」


雰囲気(ふんいき)……まぁいいや。アピールポイントかー、アピール……ん?!」


「男女コラボのてぇてぇも取り入れつつ、仲良し兄妹てぇてぇも前面に押し出す。百合営業ならぬ兄妹営業だ! 演技じゃなくてシラフでできちゃうんだからもうメリットしかないや! それを強調させるためのイラスト……えと、イラスト動画、だっけ? 手描き切り抜き? まぁそれが『悪魔兄妹』の方向性をわかりやすく示せて二人の宣伝にもなる一手なんだよ。すでに知ってる人には飽きさせないようにできるし、絵にすることでより印象に残る。きっと一つ一つの動画の時間は短くなるだろうから、オススメかなんかに上がりでもすれば『悪魔兄妹』をよく知らない人にも軽い気持ちで動画を見てもらえると思う。コラボ配信を見てない人に対しては知ってもらえるきっかけにできるんだね。いやぁ……すごいね、れー姉。賢くて、勇気があって、覚悟もある。自分で考えられて、自分からアクション起こせるんだから」


 これもお兄さん愛ゆえなのかねぇ、とまるで風呂に入った老人のようにしみじみと寧音が語った。てぇてぇの沼に肩まで浸かって夢見心地のような、蕩けた顔だった。


「あぁ……そっか。礼愛はもう、決心がついてたのか……」


 緩くなってる寧音に対して、あたしはようやく自分の浅慮を自覚して唇を噛んだ。


 ちゃらんぽらんでチャラそうな陽キャに見えて、実はかなりお利口さんな寧音が挙げてくれた礼愛の三つの長所。激しく移り変わる周囲の状況を的確に把握し、需要を読み取る『賢さ』。最大の利益を得るために、これまでとは違う環境へと二の足を踏まずに身を投じる『勇気』。


 そして、これからの自分を受け入れられないのなら、これまで応援してくれていたファンでも突き放すという『覚悟』。


 これからの活動次第では反転アンチが出てくるかも、と電話口であたしは礼愛に忠告したけれど、礼愛はとうにそんな問題になんて思い至っていたのだ。


 その上で、すでに決心していた。


 これまで応援してくれていたファンの一部を切り捨てるような真似をすることに葛藤もあっただろう。とても真面目で、配信活動を真摯に取り組んでいる礼愛のことだ、とても悩んだことだろう。お兄さんと絡むことで、礼愛の同期たちや先輩後輩とのコラボもし辛くなるかもしれない。『New Tale』内での立場も難しいものになるかもしれない。


 それらのリスクを正確に認識し天秤にかけて、それでも礼愛は一切合切をかなぐり捨ててお兄さんを選んだ。大変な苦労をすることになるとわかっていても、お兄さんと一緒にやっていくことを選んだ。長く険しい道のりになると理解した上で、お兄さんの隣で歩いていくことを選んだのだ。


 あたしが確認するまでもなく、礼愛は覚悟を決めていた。


 少なくとも、あたしに配信を観るように勧めた放課後の時点では確実に。


 きっと礼愛一人でできることだったのなら、あたしにお願いはしてこなかっただろう。


 礼愛はそこそこ絵がうまいが、うまいといってもそれは一般人の中ではうまいというだけで、絵を武器にして戦えるほどではない。もし納得できる水準のイラストを自分で描けたのなら、どれだけ身を削ってでも自分だけでやっていたはずだ。


 自由な時間を削って、睡眠時間を削って、勉強する時間も最大限に削って、もしかしたらお兄さんと一緒にいる時間すら削って、まさしく文字通りに身も心も削って一人でやろうとしただろう。


 礼愛ならそうする。


 お兄さんを守るためなら、お兄さんをVtuberに誘った責任を取るためなら、絶対に。


 高校から知り合って、ゴールデンウィーク明けから仲良くなって、決して長いとは言えないまだ二年と少しの付き合いだけど、あたしはそう確信できる。


「あぁ……よかった」


 だからこそ、あたしは絵が描けてよかったとそう思った。礼愛に無理をさせずにすんで心の底から安堵した。


 礼愛の性格上、配信活動に、とくにそれにまつわる問題にあたしを巻き込むのは不本意なはずだ。安易に人に頼ることをしない礼愛の主義に反するはずだ。それでもあたしを頼りにしないといけないくらいに切羽詰まっている。


 そんな時に親友として頼ってもらえるのが、親友として力を貸せるのが、あたしはとても嬉しい。


 困っている時に手を貸せないようなやつに、礼愛の親友を名乗る資格はない。


 本当によかった。


 手伝って、と伸ばされた礼愛の手を取る権利があたしにあって。本当によかった。


 これまで学校生活でも私生活でも礼愛に頼りきりになっていた。ようやく借りを返す機会に恵まれたのだ。このあたりで積もりに積もった負債を返済させてもらおう。


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