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性癖披露合戦

 背後にぞろぞろと人を引き連れながらお盆を持って、あたしとあーちゃんは応接室へと戻ってきた。


 彼は表情にこそ動揺を出さなかったものの、やはり戸惑いはあるようだ。声が若干硬くなっているし、なによりわたしが置いたお茶にすぐに手をつけた。


 困惑の感情をお茶と一緒に飲み下し、彼はわたしの目をまっすぐに見て頭を下げた。


「よろしくお願いします」


「はい、よろしくお願いしますね。ええと、自己紹介はもうお互いしたので大丈夫ですね。じゃあまずは……」


「えっと……しなくても大丈夫なのでしょうか? 後ろの方々にはまだ……」


「いえ! 結構です! 気にしないでくださいね!」


 彼の申し出に食い気味に反応してしまった。


 彼は優しいので、きっとわたしの背後で立ち呆けている面々のことを気にかけてくれたのだろう。だが、後ろのは気にかけるだけの価値のない者たちだ。およそ半数以上が仕事そっちのけで見物しに来た案山子と野次馬だ。気を使う理由など何もない。


「そう、ですか? ……わかりました」


 少し間を置きながら言うと、恩徳さんは顔をわたしの後ろの面々に向けて目礼した。せめて最低限の挨拶くらいは、と思ったのだろう。まったく気にしないでいいのに。


 さて、と。わたしは用意しておいた紙に目を落とす。面接を担当するにあたって、どういう流れで進めていけばいいかを印刷しておいたのだ。要するにカンニングペーパーである。


 送られてきた履歴書のコピーとカンニングペーパーを並べて見ながらさっそく質問する。落ち着いて一つ一つこなしていけば、わたしにだってできるはずだ。


「えと、以前は会社にお勤めされていたようですが、どうして辞められたのですか?」


「以前の会社は非常に多忙で、朝早くから夜遅くまでという状態がずっと続いてしまい、最終的に倒れてしまったんです。それで……」


「えぇっ?! も、もう大丈夫なんですか?!」


 恩徳さんの話の途中だったのに思わず声を出してしまった。ただ、わたしの背後の気配も少しざわついたものを感じたので、みんな同じ気持ちだったようだ。


 なぜ倒れてしまったのか、なにかの病気を患ってしまったのか。さすがにそこまで詳しく聞けないけれど、そうまでなるくらいの労働環境は尋常ではない。いわゆるブラック企業というものなのだろうか。


「はい。もう体は健康そのものです。ご心配ありがとうございます。それで、妹……家族にもとても心配させてしまったので、その会社は退職することとなり、そこからは静養しておりました」


「そう、だったんですね……。すっ……わかりました」


 嫌なことを思い出させ、わざわざ喋らせてしまって咄嗟(とっさ)に謝りそうになったのを誤魔化す。


 合格がほぼほぼ決まっているとはいえ、確かめないといけないことはある。


 駅から事務所までの道中で観察していて、こんなに真面目で優しい人が問題のある辞め方をするとはとても思えないけど『New Tale』に所属してから人間関係などで揉めたりすると大変だ。なので念のため、この場で確かめておかなければならなかった。


「……妹…………」


 隣でなければ絶対に聞き取れない声量であーちゃんがぼそりと独語した。


 おおかた『やはり私の見立て通り仁義君はお兄ちゃんだった』とでも思っているのだろう。『兄み』などという謎の成分を嗅ぎ取る嗅覚には本当に驚かされるが、褒めたくはないし褒められた能力でもない。放っておこう。


「次ですが、どうしてうちを……『New Tale』を志望されたのですか? Vtuberの事務所でしたら他にも複数ありますよね? その中でうちを希望する理由を教えてください」


 志望動機を(たず)ねるのは面接では常道とも言えるけれど、それを抜きにしても是非とも聞いてみたかったことだ。


 規模を無視すればVtuberの事務所はたくさんある。彼のスペックであれば、女性限定のところ以外ならどこの事務所でも歓迎されるだろう。率直に言えば、それこそ規模的にもこちらより上で男性Vtuberの在籍数も多い『Golden Goal』のほうがやりやすいはずだし、いろいろと面倒事も少なく済むだろう。


 『Golden Goal』で落ちたからこっちに応募しました、と言われたほうがまだすんなり納得できるくらいだ。


「……妹に、(すす)められたんです」


 こちらからの問いには流れるように答えていた恩徳さんが、初めて少し言い淀んだ。


(すす)められた、とは?」


「……時間を余していた入院中に妹から、こんな人たちがいるんだよ、とVtuberという存在を教えてもらいました」


 少し力の入っていた彼の口元が、柔らかく(ほころ)んだ。続けて、言う。


「そこではまるで友だちとするように、配信を見ているリスナーの人たちや、同じVtuberの人たちと仲良くお喋りしたり、ゲームをしている姿がありました。その光景はとても楽しそうで、入院中も退院してからもよく視聴するようになりました。家族に心配も迷惑もかけて、体調を崩した自分が情けなくて気持ちが落ち込みそうになっている時、画面の向こうで明るく笑っている姿に元気をもらったんです。……なので私も、誰かにとってそうあれたらいいなと思い、応募しました。御社を志望した理由は、その元気をくれた方がこちらに所属しているからです」


「元気を……入院中に……」


『入院中、気持ちが落ち込んでいる時にVtuberを見て元気をもらったんです』


 似たような話を、わたしは一度、直接聞いたことがある。もちろん恩徳さんからではない。彼とは今日が初対面だ。相手は彼ではない。


 『New Tale』に所属している子が、わたしに同じような話をしてくれたのだ。


 交通事故で入院した時、怪我をしたせいで修学旅行に行けなくなってとても落ち込んでいる時、ご家族の方が持ってきてくれたタブレット端末で動画を観て回っている時、Vtuberを知った。明るく楽しそうに配信して笑っているのを見て、入院中とても元気をもらったんです、と。とても楽しそうで、そして自分もやりたくなったのだ、と。


 大人びた端整なお顔をかわいらしく綻ばせて言ってくれたその言葉を、わたしは昨日のことのように鮮明に覚えている。


 その話をしてくれたのは『New Tale』所属Vtuberの二期生。


「……レイちゃん」


「っ!」


 わたしがレイラ・エンヴィちゃんの名前を出した瞬間、恩徳さんは目を見開いた。ここまでわかりやすく彼が驚いた表情をするのは初めてだ。


 彼にまったく関係のない人の名前を出してしまったわたしも悪いが、どうして彼がそこまで驚くのだろうか。


 わたしが首を捻っていると、隣であーちゃんが納得したような声を出した。


「レイラさん、お兄さん、恩徳……なるほどね。というよりも、珍しい苗字なのに気付かなかった私がどうかしてたわね」


「え? あーちゃん、どういうこと?」


 腑に落ちた、というような顔で頷くあーちゃん。恩徳さんに目をやると、彼は彼で苦笑いしながら目を逸らしていた。


「私、基本的に事務仕事をしているけれど、所属タレントのマネージャーもしているでしょう?」


「あ、うん。少人数だけ担当してるんだよね」


「正確には未成年の子たちを担当してると言ったほうがいいわね。未成年者なんて少ないから、あんまり意味合いは変わらないけれど。それで、マネージャーもやっているから名前を知っていたのだけど、レイラ・エンヴィさん。彼女の本名が恩徳礼愛さんなのよ」


「へー、レイちゃんは礼愛ちゃんっていうんだ。ぽろっと本名言っちゃうとまずいから聞いてなかったんだよね。……うん? 恩徳?」


「そう。恩徳礼愛さん。……なぜ思い出せなかったのかしら。前に彼女からメッセージで質問が来たのよ。『「New Tale」の四期生の募集って男性も受け付けてるんですか?』って。……こういうことだったのね」


「えっと、つまり……」


「ご兄妹、ということよ。レイラさんとひと……恩徳さんが」


 恩徳さん本人に向かって『仁義君』と言いそうになっていたあーちゃんには思うところがあるが、それよりも今は重大なことがある。


「ご兄妹……レイちゃんの、あのお兄さん?」


 愕然としながら彼を見ると、彼は困ったように眉を寄せていた。


「申し訳ありません。隠すつもりは……いえ、隠すつもりはあったのですが、騙すつもりはなかったのです」


 隠すつもりはあったんですか、と口を()いて出てきそうだったツッコミは呑み込んだ。


「いえ、まぁ……事情があったのでしょうけど……。でも、それならそうと言っていただけていれば……」


「そういう余計な忖度(そんたく)を省きたかった、ということでしょう」


「な、え? それって、どういう……」


「余計な忖度、とまではさすがに言えませんが……それでも『New Tale』に所属する者の兄ということで気を使わせてしまいかねないと思い、伏せさせていただきました。公平性を欠くことにもなりかねませんので」


「公平性を欠く?」


「判断が一方に偏っている、ということよ」


「こ、言葉の意味はわかってるよ! でもなんでそれが今出てくるんだろうって思っただけで……」


「わかっていないじゃない。ひと……恩徳さんは、自身がレイラ・エンヴィの肉親であることで忖度されて、他の応募者と同じ立場で公平に審査されなくなることを危惧(きぐ)したのよ。不公平になるから、という理由ね。縁故採用みたいな形になるのを避けたかったのね」


 実にわかりやすい説明だった。これで事あるごとに『仁義君』と呼ぼうとしているところさえ治ってくれれば完璧だ。


「レイちゃんのお兄さんだからって、そこまで依怙贔屓(えこひいき)するとは……」


「そう? さっき雫も『それならそうと言ってくれれば』みたいなことを言っていたじゃない」


「うぐっ……で、でも、それは情報の一つとして……。参考資料というか……」


「参考にしている時点で、本人の能力とは関係ない部分が審査に入ってしまっているのよ」


「…………」


「だから余計な要素が審査に入り込まないようにするには、関係者であることを隠しておくしかなかった、ということよ」


 ぐうの音も出ない。


 恩徳さん自身のアピールポイントが強すぎたせいで今回はなんの影響もなかったけれど、たしかに所属Vtuberの関係者だと知っていたら普通はそれだけで多少は贔屓目(ひいきめ)が入るだろう。


 特にレイちゃんの配信を見ている人からすればほぼ常識になりつつある『レイラ・エンヴィのお兄ちゃん』だと最初から知っていたら、それだけで採用に至る大きなポイントになっていたかもしれない。もちろん、レイちゃんと恩徳さんという兄妹関係がきっと配信でも観ていて面白くなるだろうという『New Tale』の利益につながる見込みがあってこそだけれど、そういった採用の仕方はたしかに縁故採用と受け取られても仕方がないかもしれない。


 きっと採用が決定するまで事実を伏せておくのが一番都合が良かったのだろう。『New Tale』的にも、縁故採用ではないのかと外部に言われた時に説明がしやすくなる。


 でも、伏せておくことは、果たして恩徳さんにとって都合が良かったのだろうか。


「……律儀な人ね」


 まるで口の中だけで呟くように、あーちゃんは唇をほとんど動かさずに小声でそう言った。


 そうなのだ。レイちゃんの兄であるという関係を伏せておくことで都合がいいのは、周りから縁故採用だと糾弾されるかもしれない『New Tale』と、関係者で手引きしたと憶測が立てられてしまうだろうレイちゃんであって、恩徳さん自身は伏せて得をする部分がない。あくまでもそれは平等性や公平性を保つためであり、他の応募者や『New Tale』やレイちゃんへの配慮だ。彼の利益になるものではない。


 あーちゃんの言う『律儀な人』という意味が、身に沁みるほどに理解できた。


 本人はそこまで深く考えていないのかもしれないけれど、そうやって真っ直ぐに生きるのは簡単なことではない。


 少なくとも、すぐ手元にあって自分が有利になる武器を取らずにいることは、わたしには難しい。 


「……不器用な人」


 無意識下にわたしの脳裏をよぎった言葉は、果たして口に出したのか、それとも心の中で思い浮かべただけなのか。


 優しい人が見せる特有の眩しさと、それ故に湧き上がってくる不安感をどうにか押し沈め、次の質問をするため資料に目を移す。


「……ええと、自己PRの欄にはゲーム、歌、ギター、声真似とありましたが」


「…………はい」


 なぜか恩徳さんの瞳から急にハイライトが消え失せた。長い沈黙の後に、絞り出すような返事が一言だけあった。


「何かありましたか?」


 感情の表れない顔であーちゃんが彼に訊ねた。表情には出ないけれど、この声は人を心配している時の声だ。不可欠だったとはいえ、答えづらい質問ばかりしていたので彼の反応の変化が気になったのだろう。


 それを察したのか、恩徳さんは取り繕うように口元に薄く笑みを浮かべた。


「いえ、大丈夫です。失礼しました」


「なにかあったらなんでも言ってくださいね。それで自己PR欄のことですが、ゲームがお上手なのは送られてきた動画ですでに把握して……あ、そういえばあの動画とても良かったですね! ゲームの腕はもとより声も聞き取りやすくって、社内でも評判良かったんですよ!」


 話している途中で送られてきた動画がフラッシュバックして、思わず口に出してしまった。


 一応は面接をしている最中だと言うのに、個人的な感想を本人にぶつけてしまうなんて恥ずかしい。


 やってしまった、と頭を抱えそうになるのをすんでのところで止め、恩徳さんの様子を窺い見る。


 引いてたりしないかな、と思ったが、その心配は杞憂に終わった。


「え、そ、そうですか? 過分な評価、恐れ入ります」


 急に賞賛されたことに驚いた後、はにかみながら謙虚に受け止めて小さく頭を下げた。


 その恥ずかしそうで照れくさそうな微笑は幼なげで、これまでのしっかりした大人という雰囲気とのギャップがあって、なにか、こう、胸に刺さるというか迫るというか、体の芯を揺さぶるような衝撃があった。


 特段そういった方面に重篤な(ヘキ)を持っていないわたしでさえこれだ。わたしの後ろの壁際に並んでいる同僚や先輩方には効果は抜群だろう。実際、背後から『くふぅ……』という愉悦なのか断末魔なのかよくわからない気持ち悪い声も聞こえた。


「えー……こほん。そ、それでは、なにかこの場でできることはありますか?」


 このまま自己PR欄の話を続けるとわたしの背後にいる人たちが暴走を始めかねないが、もし履歴書に書いてある通りの特技であれば配信者としてとても頼りになる武器となる。これは実際に聴いて確かめておきたい。


「えっ……ああ、そう……ですね。他はなかなか身一つではできないので、声真似などをさせていただこうかと……」


 少々困り顔で彼は声真似を希望した。


 背後に立っている人たちを意識しすぎたにしろ、わたしの言い方もちょっと気遣いが足りていなかった。


 これはあれだ、飲み会とかの場で『なにか面白い話してよー』っていきなり言って相手を心底困らせる面倒な女みたいだった。申し訳ない。


 ともあれやってもらえるようなので、ソファに座り直して静聴の姿勢を取る。


 そんなわたしの隣から、声がした。


「リクエスト、いいかしら」


 ここまで必要な部分以外では比較的静かに面接を見守っていたあーちゃんだ。なぜ恩徳さんへする最初の質問が『リクエスト』なのだろうか。あなた、ここでなにをするために座っているの。


「はい、どうぞ。お題があったほうが助かります。と言っても、私自身あまりアニメに詳しくはないので、知っているキャラクターや声優さんであればいいのですが」


「それなら大丈夫よ。以前、妹さんからとあるアニメのキャラクターのセリフを兄に言ってもらった、という話を聞いたのだけれど、そのセリフをお願いしたいわ」


 本人もお題があったほうがやりやすいとのことだし、あーちゃんのリクエストは結果的にファインプレイなのかもしれない。


 わたしはゲームは結構するけどアニメはそれほど見ていないのだ。有名な作品は一通り目を通しているけれど、あーちゃんや同僚や先輩諸氏と違ってどハマりした作品やキャラクターがいるわけでもない。そういった点では、あーちゃんのほうが適任かもしれない。職権濫用している気がしないでもないけれど。


 というかあーちゃん、廊下で話していた時には恩徳さんには敬語を使っていたのにいつの間にかフランクに話している。


 なんなんだ、もしかして一度廊下でお喋りしたから親しくなったとでも思っているのか。ぜんぜん心理的な距離は近づいてないよ。きっと恩徳さんはまだあーちゃんのこと『面接官』くらいにしか捉えてないよ。そしてここからの内容(リクエスト)によっては距離が遠ざかるおそれすらある。


 あーちゃんのコミュニケーション下手具合に戦慄しているうちに、彼女はすらすらと、とあるアニメの、とあるキャラクターの、とあるシーンでのとあるセリフを、どこで息継ぎしているのかわからないくらいの早口で恩徳さんに説明していた。一息で言い切ったのではないだろうか。


 これはあれだ、オタク特有の早口というやつだ。よくネット民の間で揶揄(やゆ)されるやつだ。


 恩徳さんは、こいつ急に早口になるの気持ち悪いな、などとどん引きした様子もなく頷いた。


「はい、わかりました。ちょっと待ってくださいね。……こほん。あ、ああ、あー……はい」


 チューニングのようなものだろうか。そのキャラクターを思い出すように目を瞑り、数回『あー』と声を出していた恩徳さんだが、声を出すたびに声色が変化していった。


 あーちゃんの言っていたキャラは知っている。女性向けのアニメに登場するキャラクターだ。なぜ恩徳さんがそのアニメを知っているのか、という疑問もあるけれど、おそらくはレイちゃんに一緒に見るように催促でもされたのだろう。わたしもあーちゃんからの激しいオススメにより見たことがある。目立つようなキャラではなかったけれど、主要メンバーの中には入っているような、年上で優しい系のキャラクターだったはずだ。


 まさしくあーちゃんの好みの声質とキャラクターで、雰囲気的には恩徳さんとも似通っている部分はある。急な注文だったけれど、そのキャラクターの声に寄せてくることはできるのではないだろうか。期待が高まる。


 一つ大きな深呼吸を挟み、恩徳さんが口を開いた。


「『一人で頑張りすぎなくていいんだよ。辛い時には、疲れた時には、僕を頼ってよ。何の為に僕が隣にいると思っているの? 君を支える為、なんだからね』……んんっ、いかがでしたでしょうか? 作品を見てから少し期間が空いてしまったので多少印象が変わってしまっているかもしれませ」「……ありがとう。……これで十年戦えるわ」


「い、いえ……恐れ入ります。……しっかり休んでくださいね?」


 食い気味に謝意を述べたあーちゃんに頬を引き攣らせながらも、あーちゃんの健康を気遣っていた。あんな気持ち悪い、もといヘヴン状態のあーちゃんにまで微笑みを添えて気遣ってあげられるなんて、彼は本当に善良な精神を持っているようだ。


「す、すごい、ですね……。ほんとうに、そっくりで……驚きました」


「ありがとうございます。妹以外に聞いてもらったことがなかったので不安でしたが、そう言ってもらえて安心しました」


 あーちゃんの反応は想定内だったが、声真似の質は正直、想像以上だった。寄せてくるとか、似せてくるとか、そういうレベルではなかった。まるであーちゃんがリクエストしたアニメのワンシーンを切り抜いて音声だけ再生したような、そんなクオリティだった。地声からしてキャラクターを担当した声優さんに雰囲気的に近いものがあるなぁ、などと思っていたけれど、それはあくまで雰囲気だけ似ていたのだなと思い知ったほど本物そっくりだった。


 もう一つくらい声真似を聞いてみたい。できればさっきとは違う毛色の声真似を聞いてみたい。けれど、アニメに詳しくないわたしの脳みそからではどのキャラクターが適しているか、瞬時に出てこない。ここはあーちゃんにお題を出してもらいたいところだが、彼女は先ほどの恩徳さんのボイスを真正面から受けたことで瀕死、というか夢心地だ。なんにしろ使い物にならない。


「わ、私からもリクエストいいですか?」


「あ、はい。どうぞ」


 どうしようかと悩んでいると、隣ではなく後ろからリクエストが飛んできた。振り返れば、小豆さんが小さく手を挙げていた。あなたは面接の後のお仕事の話でお越しになられたのではなかったのでしょうか。これも恩徳さんの人間性を知る為に必要なことなのでしょうかそうですか。いや、今は助かるのですけれども。


 そこからはあーちゃんの流れを汲むように、作品とキャラクターとシチュエーションを説明された。意外なことに、またしてもわたしも見たことのあるアニメだった。ただ、小豆さんの仰るキャラクターと、そのシチュエーションはあまりぴんとこない。視聴してから結構時間が経っているからだろうか。


 小豆さんが説明を終えると、にわかに後ろに並んでいる人たちの一部がざわついた。あーちゃんリクエストのセリフでも隠しきれない喜悦の吐息が耳障りだったけれど、今回は興奮を抑えられないといった風だ。


 対照的に、テンションの上がっている人たちを冷めた目で見る人たちもいた。どういうことだろう。


「ああ……なるほど。わかりました。ん、んんっ……『はい、いきます』」


 今回は咳払いを数回しただけで準備ができたようだ。最後の『はい、いきます』の時点でもう、声が全然違う。なんだろう、どことなく険がある気がした。


「『不器用なくせに何かやろうとすんな。目の前でちょろちょろと、目障りなんだよ。お前はずっと、俺の後ろをついてこい』……こんな感じでよかったでしょうか? キャラクターに近づけようとすると、かなり冷たい印象もあ」「完璧です。なんならもっと見下す感じで吐き捨ててもらっても良かったんですけど原作準拠で心根の優しさまで再現してもらってしまってもう本当にありがとうございます」


「そ、あ、いえ……喜んでもらえたのなら、はい……嬉しいです」


「それで、お金はどこに振り込めばいいでしょうか?」


「……すでにお題をいただいているので結構です」


 小豆さんは一気に声真似の感想を(まく)し立てて、あまつさえ金銭を押しつけようとしていた。なにをしているんだ、そしてなにをしにきたんだこの人。


 恩徳さんの出来のよすぎる声真似のおかげで記憶が蘇ってきた。たしかにこういうシーンがあった。


 ただ、わたしはあまり俺様系みたいなキャラクターは苦手で、しっかりと見ていなくて記憶が曖昧だった。先ほどリクエストの時に冷めた目をしていた人たちは、わたしと同じ側の趣向なのだろう。


 だが、わたしの後ろで荒く息を継いでいる小豆さんを筆頭に、刺さる人にはぶっ刺さるようだ。他にも顔を真っ赤にして震えている人がいる。仕事仲間の見たくもない新たな一面を垣間見た気分だ。おかげで彼の声真似の幅の広さは知れたけども。


「ふふ、お上手ですね。では、デビューしてからの楽しみにしておきます」


「デビューできるかどうかはわかりませんのでお褒めのお言葉だけありがたく頂戴いたします」


 座布団をあげたくなるくらい秀逸な躱し方を続ける恩徳さんは早くこのターンを終わらせたかったのだろう。ちら、ちら、とわたしに目線を送ってきた。完全にわたしの勘違いというか妄想なのだけれど、この場にいる人たちの中で一番彼から頼られている気がして、なんだか無性に気分が良い。


「えー、そうですね。それでは、このあたりで……」


「はい! はい! すいません! リクエストいいですか?! ショタっぽい声も出せますか?!」


「おわ、りに…………」


 またしても背後からリクエストが飛んできた。


 しかも今回は終わらせようとしているところを強引にねじ込んできた。もはや面接関係なしにただ聴きたいだけじゃない。


「え? ……そう、ですね。喉の調子次第、といったところでしょうか」


 人のいい恩徳さんは律儀に返答する。というかコンディションに左右されるとはいえ少年ボイスまで出せるってレパートリー多くないですか。


「い、今の調子はど、どのような感じですか?!」


「二回声真似させてもらった感じで言えば、今日は上々なほうなのではないかなと自分では思っています。ただ、先の二つとは音の出し方がかなり違うので質が落ちるかもしれませんが……」


「き、聴きたいです!」


「わかりました。それではやってみます」


「ありがとうございますっ! えっとですね……」


 もはや雛形になっているのか、同僚はあーちゃんがリクエストした時とまったく同じ形式で作品・キャラクター・シチュエーション・セリフを説明していく。今回はわたしの守備範囲外のアニメだった。はたして恩徳さんは聞いた事があるのだろうか。


「はい、わかりました。少々お時間いただいてもいいでしょうか?」


「はい! いくらでも!」


 面接担当でもなんでもない、この場にいる必要のない人間が能天気に許可を出した。声真似の上限を見極めるという意味では有意義かもしれないけど、あなたにその権限はないのよ。


「雨宿さん、いいでしょうか?」


 何とはなしにこの場の空気を察したのか、彼はわたしに顔を向けて判断を仰いだ。今回のリクエストを受けてもいいのかどうか、というニュアンスだ。


「……ええ、こちらは大丈夫です。恩徳さんがよければ、お願いします」


「ありがとうございます」


 もう面接とは関係のない、ただの私的なお願いを快く了承すると、彼は目を瞑って喉に指を当てながら声を出す。あーちゃんと小豆さんのリクエストではしていなかったチューニングの仕方だ。それだけ少年っぽい高い声を出すのは難しいのだろう。作品によっては女性声優さんが担当することとかあるもんね、ショタ系のキャラクターって。


 それはそうと、面接の邪魔をするのではないかと思ってはいたけれど、やはり思った通りに進行を妨害してくれた能天気な同僚に咎めるような視線を送る。咎めるような、というか、言葉にはしていないだけで目で咎めている。


 だが、同僚は恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いていたのでわたしと目線が合うことはなかった。


 なぜだろう、と思ったのは一瞬だった。


 よく考えればこのリクエストという制度、つまりは性癖披露合戦みたいなものだ。名前よりも先に性癖から自己紹介したのだから、羞恥心も刺激されるだろう。


 どちらかといえば恥ずかしそうにしている同僚の隣にいる小豆さんや、わたしの隣のあーちゃんがまるで動じることなく、なんなら清々しく満足げにしていることのほうが異常なのだ。性癖紹介したことに気づいてないのか、それともレベルの高い声真似が聴けるのならそんな瑣末事(さまつじ)は一切気にならないというような頑丈な精神構造をしているのか。


「ああ、あー、んんっ……。『いきます』」


 二つのリクエストよりも少し時間をかけて、彼の準備が整ったようだ。成人男性の彼の口から、幼さの残る少年の声が出てきていることに違和感はある。しかしそれ以上に驚愕を禁じ得ない。声の質から変化している。


 とても素晴らしい変声技術だが、さすがに初対面の人たちを目の前にして幼い声でセリフを言うのは恥ずかしかったのか、注意が入った。


「『……あと、できれば目を瞑っていただけると幸いです……』」


 チューニング後なので、ショタボイスである。


 わたしの隣から、刃物で刺されたような苦悶の呻き声が聞こえた。頭の中にしか存在しない空想上の兄をこよなく愛するあーちゃんのその苦しそうな声は、はたしてショタボイスを認めたものなのか、それとも拒否反応なのか否かは表情を見なければわたしにもわからない。惜しむらくは、恥じらって消え入るようにお願いしてきた恩徳さんの声にわたし自身がやられてしまったことだ。あーちゃんの表情を確認する余裕などない。にへら、とブサイクに緩んだ顔を見られないよう手で顔を覆って俯いた。


 そんな(ヘキ)はなかったのにガードをこじ開けられていいパンチをもらったのはわたしだけではなかったようだ。後ろに立ち並ぶ数人が『ぐふぅ……』と鋭いボディブローを打ち込まれたような煩悶(はんもん)の息を吐いていた。


 一番効いていたのは無論、能天気な同僚だ。


 これは後から聞いた話なのだけれど『敬語系ショタ』というジャンルがあるそうだ。少年という年齢を考えれば元気が有り余っていたり純真無垢だったり生意気だったり甘えんぼだったりするのがふつうだけど、二次元ではそういったニッチなジャンルもあるのだとか。もちろん、頼んでもいないのにそんな説明をしてくれたのはリクエストした張本人である能天気な同僚なのだが、その同僚はあくまで一般的なショタキャラを指名したらしい。わたしはその界隈の知見が広くないのでわからないが、一般的なのらしい。同僚や先輩の目もあったから一般的なキャラにしたけど実は前述の『敬語系』がストライクゾーンど真ん中だったらしく、一度のリクエストで二度も美味しいなんてサービス精神がすごすぎる、などとのたまっていた。その時のセリフもあいまって、録音しておけばよかったなどと半泣きで妄言を吐き散らし始めたあたりでわたしの脳みそが自己防衛のためにシャットダウンしたので、そのあと彼女がどうなったのかはわからない。次会う時には正気を取り戻しているといいな。


 そんなどうでもいい後日談はさておき、大事なのは今である。


 目を瞑って、と恩徳さんはお願いしていたけれど、人並程度の羞恥心を持っている女なら、こんなに気持ち悪い形で口角の上がった顔など人に見せられない。きっと拝聴する人間は全員顔を伏せている事だろう。


 瞼を閉じているぶん、彼の吐息がより鮮明に感じられた。


「『お姉ちゃんと一緒にいる時が、ぼく、いちばんたのしいよ。お姉ちゃんは、どう? たのしい? ……そっか。えへへ、よかった』……こふっ、けほっ。えと、どうでしたか? ご要望にかなう声真似ができていたらいいのですが」


「っ……っ! ぃっ……っ!」


 リクエストのセリフを言い終えた恩徳さんが訊ねるが、同僚は言葉を発しない。ただ、喉が詰まったような掠れた息を吐くだけだった。


 恩徳さんがこちらを向いているのでわたしは後ろを振り返れないのだが、何事なのだろうか。せっかくおまけのリクエストに答えてくださったというのに感謝の一言もないとは。


「ええと……」


「感動して声が出ないみたいですね」


 戸惑う彼に、能天気な同僚の隣にいる小豆さんが代弁してくれた。


 なぜ黙っているのかと思ったら限界化していたらしい。人間って行くところまで限界に行くと声も出ないんだ。初めて知った。知りたいとは思ってなかったけど。


「なので、私が代わってお伝えしますと、とても良かったそうです。私も同じ気持ちです。ありがとうございました」


「い、いえ……喜んでいただけているのでしたらよかったです」


 限界化している同僚が視界に入っているからだろう、恩徳さんは当惑を表情の端に覗かせていたが、小豆さんの説明を聞いてからは安堵の笑みに変わっていた。


 声真似のクオリティには驚かされてばかりだったが、彼の柔らかな笑顔に一番心臓が跳ねた。


 憧れの人の笑顔にドギマギする思春期の学生みたいな部分を気取られぬ前に話を切り出す。ええ、周りは性癖披露合戦を繰り広げていたけれど、わたしの恋愛観念は少女マンガでストップしておりますので、ええ。


 あーちゃんにいじられる前に動かなければいけない。


「長引いてしまいましたが、それではこれで……」


「あ、あの……一つ、いいですか?」


「……えっ?」


 またしても進行を遮る声にわたしは振り返り、声の主に目を見開いた。

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