わたしの心はぽっきり折れた。
事務所の廊下で自己紹介のような立ち話をした後。
スーツの男性こと恩徳さんには応接室で少しの間待っていてもらい、わたしとあーちゃんは事務室に移動した。
事務室に寄った理由は、面接で必要になる資料などの準備と、もう一つ。
「雫」
「なに? あーちゃん」
「ごめんなさい、助かったわ」
「でしょうね!」
あーちゃんの心の準備だ。面接の資料より、こちらの準備のほうがよっぽど大事だった。
「違うの。ねぇ、違うのよ」
「なにも違わないと思うけど、まぁ聞くだけ聞いてあげるよ」
面接で必要な資料といっても、ほとんどがタブレット端末のほうに入っていて、すぐに見やすいようにと重要な部分だけ印刷した紙媒体のものは一枚二枚程度だ。それもすぐに持っていけるよう準備は済ませている。
なのでお茶の用意でもしながらあーちゃんが落ち着くのを待とうと、給湯室へと足を運ぶ。
「仁義君、ボイスドラマの時の声も良かったけれど」
「ちょっと待って?」
お茶の用意をしていたわたしの手がさっそく止まった。
「何かしら」
「えっ……なんであーちゃんは、親密な仲じゃないどころか知り合いですらない初対面の男性を下の名前で呼んだの? そしてなんでそんなに平気な顔して返せるの?」
「ああ……頭の中ではずっとそう呼んでたから、かしらね」
「『かしらね』じゃないよ。なんで恥ずかしがったりもしないの……。なんで堂々としてるの……。付き合い長いのにわからないよ……」
「話を戻すけれど」
「そのあたりの強引な話の運び方はわたしにも馴染み深いものがあるね」
「ボイスドラマの時もよかったけれど……仁義君、素の声もいいのよ」
「わたしたち、なんの話をしてたんだっけ?」
「私の兄になってくれるかもしれない男性とお近付きになりたいという話よ」
「そんな話はしてない……。断じて、だんじて……。わたしの脳みそパンクしちゃうよ……。そもそも恩徳さんはわたしたちよりも歳下なんだよ?」
「兄になってもらうのに歳なんて些細な問題よ」
「……まぁ、血縁関係どころか一切なんの繋がりもない無関係な現状を考えれば、歳なんてちっぽけな問題かもしれないけど……。ほかにたくさん大きな問題があるし……」
わたしの親友、安生地美影の困った夢がこれである。
なんでも『親しく近しいフランクな関係性でありつつ優しく甘やかしてくれるお兄ちゃん』という存在が理想なのらしい。ストライクゾーンが狭すぎないかな。
以前に『つまり、頼りがいのある男性がいいってこと?』と訊いたら烈火のごとく怒られた。そういった病を罹患していないわたしにはわからないけれど、あーちゃんにとっては『優しいお兄ちゃん』と『頼りがいのある男性』には大きな隔たりがあるらしい。わたしもあーちゃんとの間に大きな隔たりを感じた。
なんらかのアニメや少女漫画などに影響されてそんなことを言ってるのなら、わたしだって一笑に付して(いや本気すぎて笑い話にもできないんだけど)そんな男性は空想上もしくは妄想上の生き物だからとっとと諦めて現実見ようよ、と諭すけれど、その夢はあーちゃんの生い立ちにも関わってくるせいで始末が悪い。
あーちゃんは今もそうなように小さい頃からしっかり者で、子ども時分に達観した視点を持っていた。手際も要領も良く、幼少期も学生時代も前の会社に勤めていた時も人の面倒を見ることが多かった。
ここで勘違いされないよう注釈をつけ加えておくと、別にあーちゃんは面倒を見ることは苦ではないらしい。頼られるのも嬉しいし、期待に応えるのは達成感もあると言っていた。
ただ、頼られるのは嬉しいと思う反面、たまには人に頼りたい、甘えたいという思いもあったそうだ。
そんな時に出会ったのが、そういった方向性のサブカルチャー、つまりは甘々系の少女漫画だったりボイスドラマだった。いやまあ、疲れてそうなあーちゃんにわたしがオタク文化をおすすめしたのだけど。
そこからは坂を転がり落ちるようにのめり込んでいった。仕事が超絶忙しくて残業が続いたりした時には、ボイスドラマで脳みそはどろどろ頬はゆるゆるにしながら眠りについて乗り切っていた、とも聞いたことがある。
そういった爛れた生活を続けた結果、あーちゃんが『夢』と呼称する痛い男性像が作り上げられた。『親しく近しいフランクな関係性』を望むのは、あーちゃんが他人とのコミュニケーションを苦手としているから。『優しく甘やかしてくれる』という部分は、自分がなかなか甘えられる性格をしておらず、逆に人から頼られることが多いから求めているのだろう。『お兄ちゃん』というピースは知らない。どこから生えた。
親友としてわたしからも改めたほうがいいと忠言すべきなのだろうけれど、原則的には公私を分けていることもあるし、なにより幼少の砌から面倒を見てもらっている側のわたし自身があーちゃんの情操と性癖の形成に一役買ってしまっている部分もあるので、なんとも口を出しづらい。
医療従事者でもなければ臨床心理学士でもないわたしが末期の患者を治療できるわけもない。言い聞かせることはとうに諦め、今ではどうにか意識を逸らすことに専念していたのであった。
「……で、でも、なんでそんなに恩徳さんにこだわるの? 実況動画に収録されてたボイスドラマは、いつもあーちゃんが聞いてるような甘々系のじゃなかったよね?」
「ええ」
「さっきちょっと喋った時だって、いくら落ち着きがあって礼儀正しかったって言ってもそんなに歳上のお兄さん感はなかったでしょ? ……いや、歳上じゃないんだからそれは当たり前なんだけど……」
「そうね」
「じゃ、じゃあ、なんであんなに取り乱してたの? あーちゃんの求めてたタイプとは違うはずだよね?」
「ふっ」
やれやれ、とでも言いたげにあーちゃんは鼻で笑った。そこはかとなく腹立たしいその仕草に、もうあーちゃんをほっぽって一人で応接室に向かおうかとまで思った。
言葉を費やすのも徒労だし時間も無駄なので無言で先を促す。
「素人じゃ気づけないのも当然よ。この道のプロでないと、この違いには気づけないだろうから」
「だとしたらわたしはそんな道知らなくていいかな……」
「仁義君は、きっと歳下のご兄弟がいるわね」
「言うの遅くなっちゃったけどまず『仁義君』って呼び方やめない?」
「声に『兄み』を形成する包容力と優しさを感じたのよ。家では頼り甲斐のあるいいお兄さんをしているのね。私にはわかるわ」
「あーちゃんはいったい何の道を修めたの? なんの確証があってそんなに断言できるの? そしてさも当然のように『兄み』なんていう謎の単語を使わないで。知らないよそんな言葉」
「私の魂が叫んでいるのよ。これは確実だわ」
「治る見込みはなさそうだね、この病気。あーちゃん、ちょっと聞いてね? あーちゃんがいきなり顔見知りでもない歳上の男性から『僕の母になってくれ』って言われたら、どう思う?」
「シンプルに気持ち悪いわね」
「今あーちゃんは同じことをしてるんだよ? もう答えは出てるけど一応言っておくね? そのテンションで恩徳さんと接してたら絶対に避けられるよ?」
「…………」
うきうきで話していたのが一転、俯いて黙りこくった。一応は自分の精神状態の危うさを理解していたようだ。救いようはないけれど、まだなんとか誤魔化しが効く可能性はありそう。
わたしがアイアンクローを食らっていても泰然自若と振舞えるくらいに歳不相応なほど大人っぽいといえども、現実は揺るがない。
彼は歳下だ。
幸い、あーちゃん言うところの『兄み』を初対面かつ歳下の彼に押しつけて、歳上の自分が理性を飛ばして甘えにいくのはどうなのだろうか、という最低限の人間性は、ねじの外れたあーちゃんの頭にも残っていたようだ。
恩徳さんの心身の安全と事務所の将来のためにもあーちゃんの夢は諦めて欲しいが、それはどうにも難しい。個人の自由と呼ぶには相手への負担があまりにも重すぎるけれどとりあえず、あーちゃんの夢のほうは否定はせずに、夢のためにも落ち着いて行動するほうが得だということを説くべきだ。
「落ち着いて。いつも通りで行こ? 大事なのは次に繋げることだよ!」
「……次に、繋げる……」
ここで『非情な現実』という正論で殴りつけてしまうと、これからあーちゃんが使い物にならなくなってしまいそうだ。少なくとも今日はまともに働いてくれなくなる。
恥ずかしながら、まだわたしは一人で面接を務め切れるとは言い難いので、せめて隣でフォローくらいはしてもらいたい。
「第一印象でつまずいたら、もとから砂粒ひとつくらいしかない可能性がゼロになるよ? 念のために上に通したけど許可は下りてるし、このまま行けば恩徳さんが『New Tale』に所属するのはほとんど確実。だからここはぐいぐい行かないで印象を良くすることだけを考えようよ! あーちゃんなら、業務連絡とかそんなので面接以降にも接触できるチャンスはあるよ!」
歳下の彼が歳上のあーちゃんの兄になるなんていう恐怖と狂気で構成された悪夢としか呼べない夢が成就する可能性なんて砂粒ひとつ分さえもあってたまるか、と言いたいところだけれど、今は職務を全うしてもらわなければいけない。どうにかあーちゃんのモチベーションを維持しつつ冷静さを取り戻そうと努力する。
面接をつつがなくこなし、恩徳さんが『New Tale』に入った後ならばもう構わない。個人の自由の範疇であればわたしも口出ししない。いやそれはそれでぎくしゃくしそうで多少問題はあるけど、あーちゃんがプライベートの時間で玉砕するぶんには問題ない。今だけしっかりしてくれたらいい。
「……そうね。そうだわ。……ふぅ。ありがとう、雫。私としたことが、少々浮き足立っていたわ」
「まったく少々どころではないっていうか、足どころか全身がふわふわしてたくらい浮き足立ってたけど……戻ってきてくれてよかったよ」
わたしがタブレットを手渡すと、あーちゃんは受け取って面接の流れを確認し始めた。如才ないあーちゃんのことだ、準備はとうに済ませて、流れもすでに記憶しているだろう。これは沸騰していた脳みそをクールダウンさせるための再確認でしかない。
これでどうにか身内の恥を晒さずに彼としっかりお話ができる、と安堵したのも束の間だった。給湯室に先輩が現れた。
「あれ、雫? 今日の面接って三時からじゃなかったの? もう過ぎてるよ?」
「あ、おはようございます。はい、三時からですよ。ちょっと事情がありまして……」
先輩に捕まったのを皮切りに事務所内にいたスタッフがわらわらと集まりと始める。ちょ、ちょっと、困るんですけど。彼をずっと一人で待たせっぱなしなんですけど。
「例の彼は? 遅刻?」
「い、いえ、遅刻ではなくて……」
「……不真面目な人、なのかな……」
「もう到着して……いや、不真面目どころかとても誠実で……」
「せっかく応募動画は高評価だったのにねー、ちょっとがっかりー」
「真面目で優しくて……ちょっ、ちょっと待って……」
「そういえば雫、どうして仁義君と一緒に来たのかしら。前から知り合いだったというわけでもなさそうだけれど」
「は、話すからちょっと待って!」
矢継ぎ早に訊かれて答えられるか。
浴びせられる質問に慌てつつ、釈明の時間を確保するためちょっと大きな声を出してみんなの口を閉じさせる。
静かになって視線がわたしに集まったところで説明を始めた。
彼が単に遅刻しただけなどと誤解されるのは看過できない。誤解を解くための弁舌にも熱が入るが、それでもあの子について口を滑らせはしなかった。仔細を聞いていたわけではないし、仮に聞いていたとしても無関係なわたしが無神経に口にしていいものではない。なのでそのあたりのことは道に迷っていた小学生と濁して説明した。
かいつまんだ説明を聞き終わると、みんなの表情は聞く前とは打って変わっていた。面接に遅刻するような意識の低い人という落胆の表情が、困っている子どもを助けてあげる優しい人という感嘆のそれへと変わっていた。
あーちゃんは、言わずもがなである。なんなら腕組みをして『やっぱりね』とでも言いたげだ。後方彼女面するな。彼女どころか知人ですらないんだからねあなたは。
その満足げなあーちゃんの顔は多少癇に障るけど、言葉にしないだけまだましと思っておこう。そのほうが精神衛生上良い。
さぁ、またあーちゃんや職場の先輩同僚諸氏が余計なことを言い出さないうちに、さっさと応接室に向かおう。
「その面接、私も見学させてもらえませんか?」
コップをお盆に乗せて、あともうちょっとでこの厄介な空間からおさらばできると思っていたのに、またもや呼び止められた。
誰だろうと思って声の主に目を向けたら、知らない女性が立っていた。
彼女はノースリーブのフレアロングワンピースに透かし編みのカーディガンを羽織っていて、おそらく意図してふわっとしたシルエットにしているのだろうが、ハイウエストあたりで回されているサッシュベルトがそのシルエットに締まりを与えている。そのせいで母性の象徴がとんでもなく強調されていた。嫌味のようなスタイルの良さだ。足元は華美な装飾のないフラットシューズで、一見地味になりそうなのに、それが逆に肌の透明感を際立たせていた。
首の後ろ辺りで艶のある黒髪がシュシュを使って緩く纏められていて、その対比もあって綺麗で白い肌がより際立って映えている。まなじりの下がった目元やまっすぐ通った鼻すじ、ふっくらと肉厚な唇が笑みに綻べば、その柔らかな雰囲気にこちらの表情まで緩んでしまいそうになる。
こんな大人のお姉さんみたいな色気を醸し出す人は同僚にはいなかった。今日は客人は恩徳さんを除いて誰もいないはずなのだけれど、この方はいったいどなたなのか。
「えっと……あなたは?」
「すいません、名乗るのが遅れました。今回、イラストを依頼されました『小豆真希』です」
「えっ……イラストレーターの小豆真希、さん?」
「はい」
「わ、わざわざ小豆真希さんがお仕事の件で……こ、こちらへ?」
「キャラクターを作るにあたって演者本人と接してみて要望やその方の為人をイラストのほうへ反映できたらと思いまして。自宅からここへは近いですし、今日は時間もあったので」
「え、あ、あれ? ……そ、そうですか。わ、わざわざご足労ありがとうございます……」
驚いて言葉が続かない。
小豆真希さんといえば同人界隈でも、個人のイラストレーターさんとしてもとても名の知れた人だ。全体の構図や色彩、ポージング、なによりリアリティともまた異なるキャラクターの『生きている感じ』を強く感じ取れる絵を描かれる方だ。
たしかに今回、四期生のイラストを依頼するイラストレーターさんを決める際に小豆さんのお名前もあった。でも、先方の現在抱えているお仕事の予定などを確認する為に連絡した時には『他の依頼と同人誌の作業が忙しいので厳しい』との返答があったと、のちの会議で報告があったはずだ。とても人気のあるイラストレーターさんで、この人が書籍のイラストを担当すれば売り上げが上がるとまで言われているくらいだ。こちらとしても『一応お願いするだけしてみるかー』くらいの駄目元感覚だった。断られた時も『あーやっぱりあの人は忙しいよねー』といった空気で会議でもさらっと流されたはずだが、いったい何がどうなってこんなことになっているのか。
「つい先日、というか昨日に小豆さんから連絡をもらったんだよ。もしイラストレーターが決まっていないのならお引き受けしたい、って。それじゃあお願いしようってなったんだ」
きっとわたしの頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいるのが見えたのだろう、イラスト関係を担当している先輩が経緯を説明してくれた。
その続きを、小豆さんが引き継いだ。
「Vtuberのイラストを担当するのは今回が初めてなんです。私が創るイラストという肉体に、演者の方が魂となって動かすわけですから、魂に添った体のほうが良いだろうと考えて、ご本人の意見を直接お聞きする為、本日急遽足を運ばせていただきました」
「……そ、そうでしたかぁ……」
単純に考えれば、これはとてもありがたいことだ。
小豆さんがイラストを担当したというだけで興味を持ってくれる層は一定数いる。そして小豆さんが描くキャラクターはとても愛らしいので男性にもファンは多いけれど、世に出している作品のジャンルと内容もあって、女性のファンが圧倒的に多い。描き上げられる魅力的な作品は、同僚が言うには『とても癖をくすぐる』らしい。
『New Tale』の視聴者層は男性が大多数を占めている。マンネリ化しつつある現状を打破する起爆剤となるのを期待するという意味では、女性リスナーを増やす一助になってくれるかもしれない小豆さんが手を貸してくれるのは非常にありがたい。それだけに留まらず、限りなく高いモチベーションで取り組んでくれるのもとても大きい。メリットしかないようにも思う。
だが同時に不可解でもある。
前回依頼した時には小豆さんは忙しいと仰っていた。忙しいのは本当だろうから、きっとスケジュールを無理して空けてくれたのだろうけど、そこまでする理由がわからない。他の仕事と比べて報酬が特別おいしいわけでもないうちの依頼を、なぜ受けてくれたのか。
もう一つは、小豆さんがわざわざ事務所にまで来てくれたことだ。この方は顔を出さないことでも有名な人だ。ご自身のサークルでの即売会ですら、滅多なことがない限り姿を現さないらしい。そんな方が、なぜ『New Tale』に足を運んだのか。
小豆さんは仕事をとても真摯に考えていて、いいイラストを描くために熱心に取り組もうとしてくれているからなのか。これはその熱意の表れなのか。
うちで描いてもらうものになるとLive2Dや、人気が問題なく高まれば3D化という話も出てくるだろう。これまで小豆さんが手掛けてきたイラストとは違い、比喩的な意味ではなく実際に生きた魂が込められることになる。Vtuberのイラストレーターを務めるのは初めてといっていたし、そういったことを踏まえてやる気が漲っているのか。
「えーと、ですね……お引き受けしていただいたのはとてもありがたいのですけど、さすがに面接の場に同席というのは……」
今日この場で彼と小豆さんがイラストの話を詰めてくれれば、この先の連絡の手間も工程もいくつか省けるし、余裕を持って仕事を進めることができる。
単純に考えれば、とてもありがたいことなのだけれど、なぜだろう。どこかあーちゃんと同じ匂いがするのは。
あまりにも堂々とした振る舞いでこちらを見つめてくる小豆さんに、わたしは尻込みしながら見つめ返す。
わたしの直感が告げている。
同席させてはいけないと。
「やはり重要な個人情報が関係してくる場ですので、ご遠慮願えればと……」
個人情報の取り扱いにはどこもデリケートだ。こうまで言われれば並の神経をしている人であれば気後れするはず。
そう小豆さんに説明すると、先輩から援護射撃が行われた。
「個人情報が載った書類を渡さなければ別にいいんじゃないかな? もう応募動画だけで合格って認められてるし。面接で軽く話してみて、あまりにも社会通念に疎かったり、ネットリテラシーを著しく欠いているとかじゃない限りはもう採用でしょ? 形式的な面接をぱぱっと済ませちゃって、あとはこれからのお仕事の話を進めちゃってもいいんじゃない?」
援護射撃かと思ったら背中を撃たれた。わたしにじゃなく小豆さんへの援護射撃だった。
「個人情報に関わるものは、私にはもちろん渡してもらわなくても結構です。直接会ってお話をしたいだけですので。そう……あくまでイラストのクオリティを上げるために」
小豆さんの、その優しげに細められる瞳の奥に渦巻いた欲のような色を見た気がする。
いつ爆発するとも知れない爆弾をすでに一つ抱えているわたしに、これ以上の不確定要素を押しつけないでほしい。
「いやー……でも、同席するという予定がなかったので応接室には椅子がないんですよね。面接中黙って後ろで立たせるわけにもいかないですし……」
「私は構いませんよ」
「えっと、恩徳さんが集中できなくなっちゃうかもしれませんから……」
お仕事を引き受けてくれた小豆さんに対して、あまり強い言葉を使って押し退けたくない。大人なのでそんなことはないだろうとは思うけれど、このやり取りで機嫌を損ねられて、やっぱりやめます、なんてことになったら会社にとっても恩徳さんにとっても損失だ。
なるべく柔らかい言葉を使い、遠慮してもらうように仕向ける。そういう算段を立てていたのだけど、またもや横槍が入る。
「それなら私も同席する。一応イラストに関してのことで関わりはあるし、私も一緒に話聞いてた方がここからの作業の流れも把握できるし」
先ほど小豆さんに援護射撃した先輩が、またわたしの背中を撃った。
先輩は同席する必要はないじゃないですか。それを言うならそもそも小豆さんも同席する必要ないんだけど。メッセージか何かでやりとりしたらいいだけなんだし。
「えっ……後ろで立ってる人数増えたらもっとわけわかんなくなりませんか……?」
「そうかな? この会社は面接の時には何人か見学するのが普通なのかな? みたいな考えになるんじゃない?」
「いやいや、それはない……」
そんな途方もないプレッシャーをかけながら面接する会社なんて、おそらくまともではない。
「はいはい! それならあたしも見たい! うちでは一期生のアレ以来の男性Vtuberだしどんな人なのか見てみたい!」
「あなたは全然関係な……」
「あ、あの、わたしも……」
「えぇ……」
能天気な同僚が流れに乗っかる形で手を挙げて、そいつを押し留めようとしている間にいつもは黙々と仕事をする自己主張が控えめなタイプの先輩まで便乗し始めた。
イラスト絡みで同席すると言っていた先輩はともかく、後者二人は絶対に興味本位だ。送られてきた動画を見てどんな人なのか気になっただけだ。
というか、イラストの件でお話をするのなら別に面接には乗り込まなくてもいいだろう。面接の後に恩徳さんに時間をもらってどういうキャラクターがいいか、意見を出し合うなり相談なりすればいい。わざわざ面接の場に同席しなければいけない理由はないはずだ。
どうすればこの人たちを説得できるか頭を悩ませているわたしに、ここまで静観していたあーちゃんがようやく口を開く。手遅れ感は否めないが、助け舟を出してく──
「仁義君を待たせすぎではないかしら。あまりここに長居していられないわよ」
「誰のせいだと思ってるの?!」
わたしの心はぽっきり折れた。
ごめんなさい、恩徳さん。穏便に面接したかったのだけど、わたしでは力不足だったようです。




