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自分の道へ

(廃嫡になる……? いや、そんなことより、父上は、あのイギ国に接近しようとしている? 何度も小競り合いを繰り返してきた、あの国と? ブリに唆されているのではないか? ……次期族長は、俺ではないのか?)

 まとまりのない問いが浮かんでは消えていく。アルスランは、呆然としながら、ふらふらと歩いていた。

 すでに、辺りに漂う空気は冷たいものへと変わっていた。一日の寒暖差が大きいシャモル地方では、夏といえども夜は冷える。しかし、その冷気をもってしても、父とのやり取りでの動揺を静めるには至らなかった。

(……幼いときから、族長の長男として他に恥じぬよう一生懸命努力してきた。そして、やっと次期族長として認められたと思ったのに……)

 シャモル地方に住む、いや、シャモル地方を代表する部族の一つでもあるオグズ族が、イギ国の力を借りようとしていること自体大きな驚きだったが、族長である父から為された廃嫡宣言に、自分のこれまでの努力を否定されたかのような強い衝撃を受けた。しかも、それはイギ国国境周辺を守っているブリの入れ知恵の可能性もあるわけだ。兄弟と言えども、長年競い合ってきた相手の意見かもしれないことを考えると、当然、受け入れることなどできるはずもなかった。

 心の奥底に、言い知れぬ怒りがふつふつと沸き上がってくる。身体中をなにか駆け巡るような、そんな熱い感覚が指の先まで走る。呼吸が荒くなってくる。

 そんな怒りを腹に抱えたまま、あてもなく歩いていると、ふいに、足になにかが触れる感触があった。どうやら、たまたま通りかかったユルトの入り口に置かれていた、いくつもの鍋の一つを蹴っ飛ばしてしまったようだ。

「あら、ごめんな……」

 すぐ近くで食卓を囲みながら歓談していた女の一人が、アルスランに謝ろうと立ち上がりかけたその時、アルスランは積み上げていた鍋をおもいっきり蹴り飛ばした。鍋は、耳を塞ぎたくなるような大きな音を立てて、辺りに散らばった。和気あいあいとした空気が一転、凍りついたかのようになった。

 立ち上がりかけた女も一瞬その場で固まったが、すぐさまアルスランの顔を見上げ、ぎょっとした表情を浮かべると、足元に伏せて丁重にお詫びをした。

「大変申し訳ありませんでした。いますぐ片付けますので、どうかお許しください」

 そう言うと、急いで周囲に転がった鍋を集め始めた。その場にいた他の人たちも、慌てて後に続く。

 アルスランの逆鱗にこれ以上触れないよう、背を向け、しゃがみこみながら、急いで鍋を集める人たちを、鬼のような真っ赤な形相でアルスランは見下ろしていた。あまりの怒りに、せっかくの楽しい宴の場に水を差したことなど、全く意に介する様子もない。

 アルスランは、黙々と片付ける人たちを横目にその場を後にすると、またあてもなくふらふらと歩きだした。

 しばらく行くと、急に開けた場所に出た。

 眼前にぽっかりと広がる暗闇に、いくつものかがり火が焚かれている。その炎に照らされて、何頭もの馬が辺りを歩いているのが見えた。

 偶然にも、馬の放牧地に出てきたらしい。

「よし、こっちだ」

 声がした方を向くと、馬の手綱を引っ張り、なんとか歩かせようとしているクリチュの姿があった。馬との格闘は、まだ続いていたのだ。

 意識していたつもりはなかったが、誰かに自分の怒りを聞いてもらいたかったのかもしれない。こういう時に話相手になってくれるクリチュのところに、無意識に足が向かったようだ。

「クリチュ! 俺だ!」

 クリチュは声がした方を振り返り、そこに兄の姿を認めると笑顔を見せた。

「兄者!」

 そう言うと、手綱を他の者に預け、走りよってきた。

「どうされましたか、兄者?」

 弾むような声で尋ねたクリチュは、しかし、アルスランの顔つきを見るなり、口元を引き締めた。

「少し、話があるんだが……」

「わかりました。ご一緒しましょう」

 聡い弟だ、とアルスランは思った。


 二人は今、アルスランのユルトにいる。

 壁には、冬場の狩りで捕らえた銀色に輝く狐の毛皮や、編み目も細かく、何人もの女が数ヶ月かかって作り上げた立派な絨毯など、値打ちがありそうなものも掛けられてはいたが、無造作に地べたに置かれているいくつもの矢筒や弓、矢羽がまだつけられていない矢など、男だけで暮らすユルトにありがちな殺風景な内装であった。

 暖炉には火がくべられ、ユルトの中は温かったが、漂う空気は重苦しいものだった。

「……というわけなんだ」

 暖炉の明かりを見つめながら、父との一連のやり取りを話していくと、自然にアルスランの怒りは静まり、また、頭の中も整理されていった。

「……そんなことになっていたとは。しかも、兄者のことを……」

「そうなんだ。はっきり、そう言われたよ」

 ポツリとつぶやいた言葉に、クリチュははっとした顔を浮かべると、すぐさま言葉を紡いだ。

「その点に関しては、父上も思わず口にしただけかと思います。本心ではないでしょう。……それにしても、イギ国と手を組もうだなんて」

 そう言うと、あごに手をやりながら、うつむいて考えこんでしまった。

 アルスランが口を開いた。

「……俺は、父上のやり方には反対だ。それが、ブリの提言であろうとなかろうとな。これでは、イギ国に言いように扱われるだけでなく、他の部族からの尊厳も失ってしまう」

「……確かに、尊厳は失うでしょうね。しかし……」

 しかし、という言い方がひどく気にかかった。クリチュも、父と同じ意見なのだろうか……。

 そう思うとまた怒りがこみあげ、アルスランの顔は赤みを増してくる。

 そんなことには気づかないまま、クリチュはあごに手を当てて、しばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げた。

「……それも、一つのやり方かもしれません。確かに心情的には受け入れ難いですが、部族の中でも弱き女や子供のことを思えば、そういった方法を採るのも一つ考えられるでしょう。もちろん、他に採るべき手段がないとして、ですが」

「……では、お前は、父上……、いや、ブリの意見に賛成だと?」

 怒りを隠そうともしないアルスランを、クリチュは真正面から見据えた。日頃はあまり自分の意見を主張しないクリチュも、アルスランと二人きりでいる時は、臆せず意見を述べるのだ。

「そうとは言っていません。ただ、何よりも部族のことを思う、父上らしいご決断かと。

 それと、父上は、ブリ兄者の意見だということは否定されたのですよね? であるならば、ここはその言葉を信じましょう。そうでないと、余計な感情のせいで誤った判断をしかねません。

……私としては、アルスラン兄者は兄者で、ご自分の道を探られるのがよろしいかと思います」

 そう言いきるクリチュに、怒りを秘めながらも、アルスランは素直に耳を傾けていた。普段は、あまり他人の意見に耳を貸さないのだが、なぜか、クリチュの言葉には、従順さを持って聞いてしまうのだ。

 そして、いつしかアルスランの怒りは消え去り、代わってうーんと唸りながら腕を組み、考え始めるようになっていた。クリチュの言う自分の道というのがなんなのか、思い付かないのだ。

 そんな様子を、クリチュは優しげな眼差しで見守ると、話を続けた。

「そうですね。例えば、パカラ族に気づかれないよう、セガラ連邦の交易船に接触を試みるというのはどうでしょう? 上手く行けば、交易を独占しているパカラ族の力を削ぐことができますし、こちらも交易の利を手にいれることができます」

 さきほど、父も同様のことを言っていたのを思い出した。それに、大量の武器を入手している可能性があるということも。

 正直、アルスランにはその方法は難しいように思えた。

 オグズ族の縄張りは、シャモル地方の中でも北西に当たる地域だ。セガラ連邦との交易は、ここから遠く離れた、南東に位置する場所である。攻め込むには、距離がありすぎるのだ。それに、よしんばその手段が上手くいったとしても、地理的な理由から、その交易を維持していくのは難しいだろうと思われた。

 アルスランの冴えない表情から、クリチュは他の提案を行った。

「他には、イギ国に怪しげな動きがあるという情報を流し、このシャモル地方を一つにまとめる、という方法も考えられるかと思います。実際、イギ国と接触をしているのであれば嘘にはなりませんし、父上にとっても、このような噂が流れているのを耳にされれば、行動を控えざるを得ないことになるでしょう。……あまり、父上の邪魔をしたくはありませんが」

 なるほどな、とアルスランは思った。

 ブリ……いや、父の行動に釘を刺しながら、外部の敵を前に、シャモル地方を一つにまとめる。悪くない策だと思った。しかし、一点気になった。

「情報は、どうやって流すのだ?」

「可能であれば、プラトに流してもらうのがよいでしょうが……」

「それは、無理だろう。……もちろん、頼んだらプラトはやってくれるだろうが、族長である父上の許可なく勝手なことをすれば、彼をまずい立場に追いやることになる」

「やはり、そうですよね……」

 そう言いながら、クリチュは上目遣いで、じっとアルスランを見つめた。何を言いたいかは、分かっていた。

「……分かっている。俺が、伝えにいくべきだな」

「次期族長であるアルスラン兄者の言葉であれば、他の部族も信用することでしょう」


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