団結
遠い目でどこかを見ているアルスランを心配したのか、あるいは言い過ぎたと思ったのか、ダストが申し訳なさそうな表情を浮かべながら、訊ねた。
「あの、アルスラン様……。一介の商人の分際で、大変失礼いたしました」
「いや、率直に言ってもらって、こちらも大変参考になった。……むしろ、進むべき道が、はっきりと見えてきたよ」
「……? 進むべき道と仰るのは?」
ダストの問いには答えず、アルスランは、庭に顔を向けた。ランプの柔らかな光が、じんわりと胸を暖めてくれる。
「……俺は、ハンテングリ山に行って、ソグド族に会ってみようと思う」
「え……?」
驚いたような声をダストがあげた、その時だった。
「ピーッ!」
甲高い声が耳に届いた。
アルスランは立ち上がると露台に行き、空を見上げた。夜の闇が覆う中、何か大きな黒い影が、ゆったりと通り過ぎていくのが見えた。
飛竜だ。
飛竜は、もう一度甲高い鳴き声を発すると、北へ向かって飛んでいった。ハンテングリ山がある方向だ。
ニルファルとダストも、露台までやってきた。。
「ソグド族って……?」
ニルファルの声だ。被着の下に覗く、大きな茶褐色の瞳がきょとんとしている。
「ソグド族というのは、シャモル地方の最高峰である、ハンテングリ山に暮らす部族だ。この地に影響力を持つ「風を守護する者」に仕えているという。また、この地方の団結に綻びが生まれると、現れるという話もある。
だが、彼らが表に出てくることはまれで、俺も会ったことがない。それに、そもそもハンテングリ山の周辺は強風が吹き荒れていて、人を寄せ付けないんだ。ニルファルが知らないのも、頷けるな」
「……風を守護する者。
子供の頃、おばあちゃんが話してくれた昔話で聞いたような気もするけど……。
でも、そんな強風が吹き荒れるなら、行ってもどうしようもできないんじゃないの? だって、人を寄せ付けないんでしょ?」
ニルファルの言葉に、アルスランはあごをさすった。
「……そう、普段ならな。
でも、なんとなくなんだが、俺は、彼らに会えるような気がするんだ。ほら、さっき、この地方の結束に綻びが生まれたとき、ソグド族が現れると言っただろ? 今が、まさにその時なんじゃないかと思うんだ。おそらく、彼らも、そのことに気づいているのではないだろうか。
それに……」
「それに?」
「……今、飛竜が飛んでいっただろう? その飛んでいった先が、どこだかわかるか?」
「……北の方。ハンテングリ山がある方角ですね」
ダストが答えた。
「そう、そうなんだ。俺も、つい先ほど気がついたんだが、ここ最近、飛竜は、ハンテングリ山を目指して飛んでいるようなんだ。彼らは、「風を守護する者」の分身だと言われている。俺には、それが、ハンテングリ山へ来い、という言付けのように思えてならないんだ」
「ハンテングリ山……、ソグド族……」
ダストが、ぶつぶつと呟いている。かと思ったら、急に、ぱっとアルスランの方を向いた。その瞳は、まるで少年のようにきらきらと輝いている。
「……面白い! 面白そうですね! 私も、ぜひご一緒させて下さい!」
突然の申し出に、アルスランは驚きのあまり、口をぽっかり開けた。
「面白いって……。
これは、遊びではないんだぞ。シャモル地方の命運がかかっている、と言っても過言じゃないんだ」
それでも、頬を上気させながら、ダストはその黒い瞳をまっすぐアルスランに向けて言った。
「はい、わかっております。それでも、ぜひご一緒させていただきたいのです!
……おそらく、商人の性なのでしょう。初めての物あるいは場所に、強く興味をそそられるのは。
もちろん、足手まといにならないよう、こちらもいい馬を用意いたします。荷物も最小限にいたします。
それに、恐れ多くも申し上げますが、アルスラン様にとっても悪い話ではないと思うのです。
オグズ族の次期族長であられるアルスラン様には、ぜひ、この地に住まう普通の者たちの生の声を聴いていただきたく思います。それは、あなた様のためにもなるかと思いますし、あなた様は、その声に耳を傾けることができる方だと思うのです。
しかし、それには、その恰好はあまりにも悪目立ちしてしまいます。誰もがすぐに、あなた様をオグズ族の、それも地位の高い方だと、気づいてしまうでしょう。
そのようなときに、商人の私がいれば、お助けできると思うのです。商人に扮していただき、あたかも、同じ店の商人が買い付けに来たかのように装えば、身元がばれることはないでしょう。それに、こう言ってはなんですが、私の店の名前を出せば、いい馬を持っていても、怪しまれません。
ハンテングリ山の途中に、少し大きな町がありますが、そこまでの行程はよく知っておりますし、野宿に適した場所も、熟知しております。決して、足は引っ張りません。私も連れて行ってください」
ダストの熱弁に、じっと耳を傾けていた。
イギ国の動向がわからないので、あまりのんびりもしていられないが、ダストの提案にも、惹かれるものがあった。
この旅に出るまでは、このシャモル地方に住まう者たちは、外敵を前に、六部族を中心とする団結を望んでいるものだとばかり思っていた。それを、疑いもしなかったのだ。
それが、旅に出たわずかな期間に、見事に覆されたのだ。
それは、鈍器で後頭部を思いっきりなぐられたような衝撃であった。と同時に、全く見たこともない景色を目の当たりにしたかのようでもあった。
新しい意見や考え。
その自分とは異なる見解に触れ、最初は戸惑い、そして、怒りさえ覚えた。今までの自分が、足元から崩れ去っていくような、恐怖に囚われていたからだと思う。
でも、今は違う。
アルスランは知ったのだ。
このシャモル地方には、自分とは意見を異にする多種多様な人が生活をしている、ということを。そして、その人の数だけ、意見や考えがあるということを。
そのことを実感できたのは、アルスランにとって、実りのある経験と言えよう。
しかし、アルスランは、六部族がこの地を守るために結束することを、まだあきらめてはいなかった。
「……わかった。ただ、ソグド族の者がどういう者たちなのか、全くわからないんだ。危険が全くないとは言えない。それでも、ついてくるか?」
一瞬、ダストは怯んだような顔つきになったが、すぐに、ぐっと顎を引き締めた。
「大丈夫です……。それでも、興味があります」
「ダストには、世話になったしな……。わかった、これから先の案内を頼む。
それから、ニルファルのことだが、どこかいいところを……」
「ちょっと待って!」
ニルファルの大きな声が響いた。
「お願いしたいって、今すぐって訳じゃないよね? 私も、一緒に行きたい!」
アルスランは困惑した。
「ニルファル、これは遊びじゃないんだ。しばらくは、ここにいさせてもらえ。その方が、安全だろう?」
「いや! 私も、一緒に行く! 一緒に行きたいの!」
頑なに首を振るニルファルを、ダストは意味ありげに見つめると、口を開いた。
「アルスラン様。ニルファルさんも、一緒に行ってもらったらいかがですか? 見たところ、馬の御し方には慣れているようですし、今まで、一緒に旅を続けてきたのですから」
「ね? お願い!」
急に二人が手を組んだようで、なぜか心がもやもやしたが、ニルファルは、攻撃の手を緩めなかった。
「自分で言うのもなんだけど、私、足手まといにはならないわ。それに……、えっと、今まで、いろいろなところを見て回ることなんてなかったから、もう少しの間、一緒に行きたいの! これが、最後のわがままだと思って、許してくれるでしょ?」
「ニルファルさんに、どのような仕事を紹介するかはこれからですが、例え、どんな仕事につくにせよ、きっといい経験になりますよ」
こうも二人から言われると、さすがのアルスランも、断れなかった。
アルスランは、ニルファルに向き直った。
「さっきも言ったが、この先、どんなことが待ち構えているか、わからないんだぞ? それでも、ついてくると言うのか?」
「うん、構わないわ」
アルスランは、はぁっとため息をついた。
「わかった。じゃあ、ニルファルも一緒に行こう。俺も、できる限り守るよ」
その言葉に、ニルファルの顔は、まるで夕陽のように真っ赤に染まった。




