酒場
空には、漆黒の闇が広がり、小さな星の光が、無数に瞬いている。
焚き火を囲みながら、時に、笑い声が起こる野宿者たちの側を抜け、アルスランとダストは、それぞれスユンチたち馬を引き連れて、町に戻った。
すでに、町の門は固く閉ざされていたが、ダストが門番に耳打ちすると、その門番は、門の横にある覗き窓から中にいる者に話しかけた。すると、門は開けられた。
「では、参りましょう」
ダストを先頭に、町の中へと入っていった。
町の中は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
時おり、手に灯りを持った者がそそくさと行き交うくらいで、辺りは閑散としていた。
「普通でしたら、この時間は門が閉まっていますので、この辺りは人通りも少なく、店も閉まっております。それでも、エムズ川に近づくにつれ、賑やかになってきますよ。交易商や荷役人夫、それに、ごろつきを相手にする酒場が、たくさん並んでいますので」
確かに、町の中心地の方角は、ぼんやりとした明かりが空に向かって光を放っていた。
「例の酒場は、ここから徒歩で十分ほどの、大通りから少し入ったところにあります。でも、そこに行く前に、少し寄りたい所があります」
怪訝そうなアルスランに、ダストは言葉を続けた。
「奴らは、この町でも有数のごろつきです。真正面から行くよりかは、ちょっと寄り道した方が、うまくいきます。
なぁに、大丈夫です! 私に、お任せください!」
ニルファルがごろつきたちといるという酒場は、大通りから脇にそれた、小さな通りに入った先にあった。
大通り沿いにある酒場は、座敷を、入り口より一段高いところに設け、大通りを見下ろせるように、開けっ広げに作られている。風が強い日だけ、屋根の下に畳まれている布地を下ろすのだ。
一方、大通りから一歩入った路地裏は、道幅もかなり狭く、道の端には動物たちの糞や、酔っ払いたちの嘔吐物、腐りかけた食べ物が散乱していて、異様な臭気を発していた。その両脇には、小さくて、あまり清潔とは言い難い酒場が、所狭しと並んでいる。どこも間口が狭く、店の中の様子は窺い知れない。何か不都合なことを起こすには、都合がよさそうだ。
その中の一つの店の前に、ダストは立ち止まった。
二階建てで、周囲の店と同様間口が狭く、塗装もない日干しレンガむき出しの壁は、いたるところにひび割れが走っている。全体的に少し傾いているようにも見え、入り口に掲げられている看板は、風雨にさらされ続けたためか、文字がかすんでいて判然としなかった。
「ここか?」
アルスランの問いに、ダストは黙ってうなずいた。
確認するかのように、腰に差している短剣をそっと触ると、アルスランは、意を決したように店の中へと入っていった。
一歩足を踏み入れた瞬間、煙草や羊の脂の焼けた匂いが鼻をついた。風通しが悪く、淀んだ空気の中、所狭しと詰め込まれたテーブルにそれなりの客が入っており、がやがやと騒がしい。
客は、地元の民だと思われる商人風の男たちの他、がっしりとしていて肌が浅黒い、明らかに南方の出だとわかる男たちもいた。また、お世辞にも人相がいいとは言えない男たちもちらほらと交ざっており、時に顔を寄せ合い、ひそひそとなにかを話している様は、この町の治安を物語っているようだった。
アルスランは、さあっと辺りを見回した。
しかし、ニルファルらしき者は、どこにも見当たらない。
「二階に個室があるんです。おそらく、そこにいると思います」
ダストが、小声で囁いた。
「さあ、とにかく、席に座りましょう。階段に近い所がいい」
そう言うと、店の奥にある階段の近くの席へと進んでいった。
床は、食べ残しや割れたグラスがあちこちに散乱し、脂でベトベトしている。滑らないように気を付けながら後に続き、階段付近の奥の席についた。下から二階を覗き込むと、明かりはついているが、上った先はすぐ壁があり、二階の様子はわからない。特段、話し声なども聞こえてこなかった。
店員が近より、無愛想に突っ立っている。
ダストがワインを頼むと、何も言わずに去っていき、しばらくすると、ワインとグラスとつまみを手に戻ってきて、ドンとテーブルに置くと、また、無言で去っていった。
その間も、アルスランは二階に注意を向けていた。個室は常連しか入れないという。耳をすませてみても、やはり、中の様子はわからなかった。
(頼まれたとは言え、こんな町に、連れてくるべきではなかった……)
そう思ってからすぐ、自分の考えを否定した。
(いや、俺が、最後まで面倒を見なかったのが悪いんだ。
……オグズ族の次期族長の座を失ったのも、当然だな……)
「すぐに、やって来ます」
ダストのどこか上ずった声が、耳に届いた。




