表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/41

商人ダスト

 後ろを振り返ることもなく町から出たアルスランは、一刻も早く、この町から遠ざかりたい気持ちを抱きつつも、町のすぐ近くに一晩野宿することにした。

 宿泊代を浮かせるためか、同じように野宿する者達が、あちこちで火を焚き始めている。町から近いので、恐らく夜盗のような輩は出ないだろうが、一人でいるよりは、見える範囲に誰かいた方が安全だ。

 それに、本当はこの町で食料を補充するつもりだったのだ。

 しかし、今は、そんな気持ちにはなれなかった。

 それに、もう一つ、気がかりになっていることもあった……。

 すでに、東の空は瑠璃色から群青色に変わりつつあり、星も、ちらちらと瞬き始めている。夜は、すぐそこだ。

 アルスランは辺りを見回して、炭になりかけている、わずかばかりの枯れ枝を見つけた。以前、誰かが火をおこす際に使用した残りだった。そこを、今日の野宿の地と定めた。

 早速、スユンチたちから荷を下ろし、腰にくくりつけている巾着から、手探りで少し大きめの火の結晶を取り出す。そして、軽くふぅと息を吹き掛けると、折り重なった枯れ枝の隙間に、放り込んだ。

 火の結晶は、すぐにぼぅという小さな音をたてたかと思うと、赤い炎となった。

 その炎を、アルスランは虚ろな瞳で見つめた。

 ニルファルの言葉が、痛いほど身に染みた。

 町は活気に満ち溢れ、行き交う人々の表情は明るかった。時おり見かけるセガラ連邦の人たちも、邪険に扱われることなく、町に馴染んでいる。

 少なくとも、この町の住民は、セガラ連邦との取引を歓迎している……、いや、おそらく、そう思う人は、このシャモル地方に少なくないのだろう。ニルファルの反応を見れば、一目瞭然だ。

 六部族の元に結束しさえすれば、シャモル地方は安泰だ……。

 そう信じて、部族長である父を裏切るような形で抜け出し、また、その結果として、かけがえのない弟を失ったアルスランにとって、それが単なる自分の思い込みでしかなかったことを認めるのは、身がよじれるほどの苦痛を伴うものだった。

 しかし、明らかに暮らしぶりが落ちてきている六部族の一つアルサル族や、それとは対照的に、ますます発展していく勢いを見せているこの町を目の当たりにしてきたアルスランは、それを認めざるを得なかった。

 パチパチと、枯れ枝が音をたてて崩れていく。

 その光景を見つめながら、アルスランは全身の力が抜けていくのを感じた。

 そして、自分を突き動かしていた気力が萎んでいくのもまた、感じていた。

 ふぅとため息を吐きながら、両足の間に顎をうずめた。

 食事の支度をする気力さえ、ない。いや、空腹も感じないのだ。

 自分が信じてきたものが、足下から崩れ落ちていく。

 今ここにいるのは、以前の自分とは異なる自分だった。


 ざぁっという音を立てて、乾いた大地に、風が吹き渡る。

 いつもであれば、全身を通り抜けていく風に、身を委せたくなるような心地よさを感じるのだが、今は、その風が不安を煽り、恐ろくしく思える。

 物心つく時から当たり前のようにあった風が、今は、見知らぬもののように感じるのだ。

 広大な大地に、たった一人きりで一夜を過ごす。

 今まで何度もあったことだが、アルスランは、初めてそのことを怖いと思った。

 とてもじゃないが、何度となく体を撫で去っていく風に、耐えられそうもない。

 それでも、今夜は、目に見える範囲にいくつもの篝火がある。ときおり、風に乗って笑い声も聞こえる。

 それが、今のアルスランには、せめてもの救いだった。


 どれだけ、時間がたったのだろうか。

 うつむいているアルスランの耳に、さくっという、枯れ草を踏む足音が届く。

 何とはなく聞いていると、音は段々近づいてきて、すぐ近くで止まった。

「……失礼ですが、あなたは、オグズ族次期族長のアルスラン様でしょうか?」

 柔和な男性の声だ。

 なぜ自分の名前を知っているのか、疑問に思うこともなく、アルスランはゆっくりと顔をあげた。

 そこには、齢三十歳くらいの、色白で、少しぽっちゃりとした商人風の出で立ちをした男が立っていた。

 男は、アルスランを見た瞬間、ぎょっとしたように瞳を見開き、後ずさりをした。

 今、目の前にいる男が、この地を代表する部族の次期族長とはとても信じられなかったからだ。それほど、今のアルスランには、覇気というものを全く感じられなかったのだ。

 それでも、軽く咳払いをすると話を続けた。

「不躾に、申し訳ありません。私はダストと申す者でして、クク町で商いをやっている者でございます。先ほど、あなたがたが町にいるのを見かけて、気になっておりまして……。

 単刀直入に申し上げますが、あなた様が先ほど連れていた少女は、評判のよくない輩と酒場におります。おそらく、あなた様が渡した腕輪を狙っているのだと思います。助けに向かわれたほうが、よろしいかと思いますよ」

 自然と、右ほほがぴくっと動いた。

 たくさんの人が行き交う場で高価な腕輪を渡したのは、自分の落ち度だ。そんなことにまで配慮できるほどの余裕は、あの時にはなかったのだ。

 それでも、助けにいくことに、気乗りはしなかった。

 ニルファルから言われた言葉は、アルスランの胸の奥深い所に、しっかりと楔を打っている。そんなアルスランに、助けに向かえるほどの気力など、残されていなかった。

 再び顔をうずめたアルスランに、ダストは少し驚いたような表情を浮かべ、一歩前に踏み出した。

「アルスラン様? 少女が、どうなっても構わないのですか?

 この町は、たくさんの者たちが行き交います。その分、素性の分からぬ者も少なくありません。時に、人さらいも出ることがあります……。

 この町で、女性を一人にするのは、あまりお奨めしませんよ。さあ、助けに行かないと」

「……いや、いいんだ」

 ダストの顔に、訝しむ様子が浮かんだ。

 アルスランはゆっくりと顔をあげると、遠くをぼぉっと見つめながら、言った。

「一人で生きていきたいと言うから、ここまで連れてきたんだ。別に、身内の者でもなんでもない……」

 ダストは、顔を歪めた。

「……事情はよく分かりませんが、このままだと、あの少女は身ぐるみをはがされて、どこかへ売られてしまうかもしれませんよ。例え親戚でなくても、それを見過ごすことは、許されないのではないですか」

「……彼女が、選んだ道だ。それに対して、俺がどうこう言う資格はない」

 ダストの顔に、嫌悪感が広がった。

「それは、違うでしょ。少なくとも、あなたはこの町に少女を連れてきた。あまり、治安がよいとはいえない、この町にね。そして、たくさんの観衆の目の前で、高価な装飾品を渡してしまった。少女が今危険な状況にいるのは、あなたにも責任があるはずですよ」

 ニルファルが、酒場でごろつきと一緒にいる。

幼ささえ残る、彼女のそんな姿が頭に思い浮かぶと、アルスランの胸はちくんと痛んだ。

「あなたは、あのオグズ族のアルスラン様ですよね? この地を束ねる六部族の一つの、次期族長だ。そんなあなたが、こんな町に少女をたった一人で置いていくなんて……

 なるほど、だからこそ、六部族はますます力を落としていくわけだ、納得しましたよ」

「なんだと!」

 そこには、先ほどまでの腑抜けたアルスランはいなかった。立ち上がったその姿は、実際の姿より大きく見え、その瞳には、草原に暮らす孤高の狼のような、鋭い光が宿っていた。

 その眼光の厳しさに、蛇に睨まれた蛙のように体が硬直したダストは、それでもなんとか気持ちを落ち着けると、話を続けた。

「……大変、失礼いたしました。しかし、先ほどのあなた様のご様子では、そう申し上げたのも、ご理解いただけることでしょう。

 時間は、あまり残されておりません。早く助けないと、手遅れになりますよ」

 頭の中が鮮明になる。

 体の隅々まで、意識が巡っているようだ。

 聞きたいことは、いくつもあった。

 そもそも、商人だという目の前にいる男は、何者なのか。どうして、見ず知らずの者に、そこまで手を貸そうとするのか……。

 しかし、今は、そんなことに時間を割く余裕はなかった。

 アルスランは、ふぅと小さく息を吐くと、ダストに向き合った。

「……ニルファルのところへ、案内してくれるか?」

 焚き火に照らされたダストの表情が、ふっと緩んだ。

「もちろんでございます」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ