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クク町

 最初は地平線の遠くにぽつんと見えていた町が、ぐんぐん眼前に迫ってくる。それに連れて、人通りも増えてきた。

 荷物をたくさん積んだロバや馬が、人の先導の元、何十頭と連なって歩いているのだ。その足元には、自然にできた道があった。たくさんの人や動物が行き来するので、草が生えないのだ。これは、この道の先に人が多く集まる場所がある、ということを意味している。

「大きな町ね! ここなら、私にもできる仕事が見つかるかも!」

 そう話すニルファルの声は、明るい。

「ああ、そうだな……」

 反して、アルスランの声は、どことなく暗い響きを含んでいた。


 出入りするたくさんの人やロバ、馬で混雑する中をかき分け、町に入る。

 壁で囲われていたため、外からは町の様子がわからなかったが、思っていた以上に活気に溢れていた。

 まっすぐ続く通りには人馬が溢れ、たくさんの荷物を乗せた荷車の車輪のガラガラという音や、通りの両側にひしめく店に、お客を呼びこもうとする呼び子たちの呼び声が飛び交っている。その行き交うロバや馬が時おり催す糞尿や、店から漂う、香ばしい焼いた肉の匂いも相まって、まさに、混沌とした情景が目の前に繰り広げられていた。

「すごい、すごい……! こんなにたくさんの人や物を見たのは、初めてよ!」

 興奮気味に話すニルファルの声に、アルスランは、はっと我に返った。それほどまでに、目の前の光景に驚き、圧倒されていたのだ。

 以前来たときは、町の通りを行き交う人や馬はちらほらと見られる程度で、通り沿いに間隔を空け点在していた店では、商売っ気のない商人が、のんびりタバコをふかせながら、ぽつぽつとおしゃべりに興じていただけだったのに……。

「……とにかく、町の有力者に、話をつけにいこう。仕事の面倒を見てもらわなくてはな」

 その言葉に、笑顔で振り返ったニルファルは、しかし、渋い表情を見せているアルスランに気づき、さっと自分の興奮を抑えた。

 アルスランは、明らかに機嫌が悪い。こういう時は、大人しくしていた方が身のためでもあるということを、わずかな旅路の中で学んでいたのだ。

 それでも、まるでお祭り騒ぎのような賑やかさを前に、胸の高鳴りを押さえるのは、かなりの苦労を伴うものだった。

 一方、アルスランは、近くの店の者に有力者の居場所を訪ねた。

 この道をずっとまっすぐ行くと、大きな広場に行き当たり、そこの一番大きな建物にいる、とのことだった。

「早く行くぞ」

 アルスランは、ぶっきらぼうに言うと、スユンチの手綱を引いて、混雑している通りを進み始めた。

 ニルファルも、アララトの手綱を手に、後に続く。

 そのきらきらと輝く瞳は、今目の前の光景を一つも見逃さんとするかのように、あちこちに世話しなく向けられていた。


 あまり大きくない町の入り口から少し入ると、通りは、気持ちばかり広くなった。

 おそらく、町の発展に合わせて通りは広くしたが、町を囲う壁の出入り口は、そう簡単には広げることができず、そこだけ渋滞を起こしていたのだろう。

 それでも、活気が弱まることはなく、喧騒に満ち溢れている。

 他の人馬に押し出されるように、自然と通りの端の方へ追いやられた。

 しかし、所狭しと立ち並ぶ店をどうしても覗いてみたかったニルファルには、好都合だった。

 前方を行くアルスランの背中をちらと見やりながら、店の棚に視線を向ける。

 そこは、たくさんの商品で溢れかえっていた。

 ある店では、近隣で採れたのだろう。様々な種類の干し葡萄が、大きな甕に山盛りに入れられている。その隣では、香辛料をたっぷりまぶした羊肉の串焼きが、炭火の上で香ばしい匂いを上げている。脂をたっぷり含んだ煙が、鼻の奥を刺激する。思わず、口中によだれが広がる。

 少し行くと、色とりどりの刺繍が施された布地が、山のように積まれているのが目に入った。

 値段を見たニルファルは、目を見開いた。

 女性の当然のたしなみとして、家事の合間に刺繍を施してきたが、時おり訪れ、女から布地を買い占めていく商人から受け取る代金の倍以上はしているのだ。

 ニルファルは、その刺繍をじっと見つめた。

 特段、いい糸を使っているわけではないし、糸の染料もいたって普通だ。それに、刺繍の出来も、部族一番の手業を持っていた者ほど上手くはない。むしろ、自分の方が上手いのではないか、とさえ思えた。

「こんなに高値で売ってるなんて、知らなかった……」

「おい、いつまで見てるんだ」

 投げ掛けられた言葉に、はっと顔を上げたニルファルは、じっと自分を見つめるアルスランの顔を認めた。

「ごめんなさい……」

 決まり悪そうにもごもご言うと、さっさと進んでいくアルスランの後を、小走りに追った。

 一方のアルスランは、町の中を進むにつれ、ますます不機嫌になっていった。

 この町は、明らかに、セガラ連邦との交易によって潤っていたからだ。

 数多ひしめく店の中でも、特に、人々の活気に溢れていたのは食堂だ。それぞれの店の前では、その店の売りだと思われる料理を作っており、その美味しそうな匂いや、出来上がる料理でもって、客を次々に呼び寄せている。

 店には、一段高いところに座敷が用意され、男たち(通常、食堂は、男たちの社交の場でもあり、女は利用しない)が飲み食いしながら、大きな声で侃々諤々に意見を交わしている。彼らの前にある座卓には、いくつもの大皿料理が置かれ、話に夢中になっていても、料理に伸ばす手は止まらないのだろう。見ている傍から皿は次々と空になり、また、続々と新しい大皿が運ばれてくる。

 その中には、明らかに、南方の海洋国家であるセガラ連邦の者が、交じっていた。

 頭髪はアルスランと同様黒いが、肌の色が明らかに濃く、目元の彫りも深い。寒さ対策のためか、この辺りに住まう部族と同じ服装をしているが、その顔立ちから、一目でわかった。

 彼らが、町の裏手を流れるエムズ川を遡って、海からこの町へ来たことは明白だ。休憩中なのか、次から次へと酒を飲み干し、目の前に置かれた肉付きのよい羊の丸焼きにかぶりついている。

 アルスランが目にする、初めてのセガラ連邦の者だった。

 図らずも、この者たちがシャモル地方の安寧を崩す要因となっていることを思うと、むらむらと怒りが沸き上がってくる。

 彼らを暗く淀んだ瞳で睨みつけると、アルスランは、さっさと先に進んだ。

 進むにつれて、この町の女性の身なりに、ある特徴があることに気がついた。

 シャモル地方の中でも、特に、放牧を主とする部族の女たちは、金や銀などで出来た装身具を、肌身離さず身に付けている。それが彼女たちの全財産であり、移動が多く、最小限の荷物しか所有できない生活から生まれた慣習だった。

 その装身具に、他では見られない物が使われていたのだ。

 ある女性は、うっすらと光沢を放つ、桃色の貝殻をいくつも連ねた首飾りを、別の女性は、耳たぶに大きく揺れる華奢な銀細工の耳飾りの代わりに、うっすらと黄ばんではいるが、可憐な真珠がゆらゆらと垂れ下がっていた。

 それらは、明らかに海に囲まれたセガラ連邦の特産物だった。

 常に肌身離さず身に付けているものにまで、セガラ連邦の存在を匂わせるものが浸透してきているのが、アルスランには本当に不愉快でならなかった。

 それでも、通りを行き交う女たちの明るい表情や、男に負けじと威勢よく声を張り上げて働く女たちを前に、この町に来た目的、ニルファルの働き口を探す、という役目は果たせそうだ、となんとか自分に言い聞かせて、爆発しそうな負の感情を抑えようと努めた。


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