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 すでに夜の帳が下り、満点の星空が煌めく中、いくつもの篝火で明るく照らされた舞台の上を、真っ赤な仮面をつけた役者が、摺り足で素早く歩き回っている。

 赤々と燃える炎が照らす、太い黒で縁取られた大きな瞳は怒っているようにも見え、同じ舞台に立つ、真っ白な肌にほっそりとした瞳が描かれている仮面と、とても対照的に映る。着物は、オグズ族のような北方の者たちがまとう衣服とは異なり、薄手の服を前合わせに着たものを太い帯で結んでいた。ここよりも南方に位置する、瑞穂帝国の民族衣裳だ。先ほどから、耳をつんざくような金属音を響かせている楽器も、かの国でよく使われるものだという。やはり、瑞穂帝国と接することが多いアルサル族だけあって、あちこちに、その影響を見つけることができた。

「最近、やっと完成した芝居でな」

 舞台から少し離れたところに設けられた特別席に、アルスランとラフマンはいた。

 二人と舞台の間には、この野営地にいるアルサル族の者が占めていたが、二人の席は段の上に設けられていたため、視界を遮るものはなく、舞台全体がよく見渡せた。

 敷布の上に足をくずしてゆったりと座るラフマンは、アルスランのグラスに酒を注いだ。

「瑞穂帝国産の酒だ。ぶどう酒ほどアルコールは高くないが、すっきりしていて美味いぞ」

 注がれた酒は、無色透明だった。一口飲もうとグラスを傾けると、華やかな香りがふわっと広がった。味は、混じりけがなくすっきりしていて、悪くない。

「なかなか美味い酒だな」

「そうだろ。米から作る酒なんだそうだ」

 顔をほころばせながらそう言うと、目の前の大皿に盛られている茹でた羊肉の塊をナイフで小皿に切り分け、アルスランに渡してくれた。

 他にも、シャモル地方でのおもてなしの場には欠かせないプロフや、様々な香辛料で味付けされた羊肉の串刺しやノン、夏によく食べられる、瓜や葡萄といった果物やナッツ類が大皿に盛られて、所狭しと置かれている。酒も、様々な種類が、大量に用意されていた。

 さすがに、おもてなしに長けているシャモル地方の部族だけあって、急な訪問にもかかわらず、手厚い歓迎だった。

 しかし、アルスランは、昼間に受けた印象が頭から離れなかった。

 数年前にここを訪れた時は、シャモル地方全土から集められた瑞穂帝国への交易品が、いくつもある大きなユルトに、大量に保管されていた。その間を、アルサル族の者が忙しなく走り回り、大変な賑わいを見せていた。

 しかし、今や、交易品を保管する大きなユルトの数は明らかに減っており、アルサル族の者が手持ち無沙汰に辺りをうろついているのを、何人も目にした。何よりも、以前のような活気は全く感じられず、寂れた雰囲気さえ漂っていたのだ。

 アルサル族の凋落は、一目瞭然だった。

 しかし、それは却ってアルスランには好都合だった。

 芝居は、何かの動物らしき仮面をつけた道化の役者が舞台を跳ね回り、見ている者を、まさに笑いの渦に巻き込んでいるところだ。

 アルスランは、今が話を切り出すのに最適だと感じた。

「ラフマン」

 役者の滑稽な仕草に笑いを堪えきれずにいたラフマンだったが、隣に座るアルスランの真剣な眼差しを目にすると、すぐに真顔になった。

「大切な話がある。単刀直入に言おう。イギ国との境界線辺りが、最近、騒がしくなってきている」

 ラフマンの目は、大きく見開いた。

「ここ最近、境界線辺りをうろつく者たちが、複数報告されている。シャモル地方の服装をしているようだが、あの辺りに住む部族はいないし、当然、我がオグズ族でもない」

 ラフマンは手を口に当て、じっと下を見ながら何かを考え込んでいる。

 しばらくすると、顔を上げ、アルスランに向き直った。

「少し、疑問に思うのだが……。なぜ、風読み司を使って、連絡を寄越さなかったんだ?」

「まだ、イギ国の者と決まったわけではないんだ。だから、我が部族の中でも、意見が割れてな。結局、もう少し様子を見てからにしようということになって、風読み司は使わなかったんだ。

 でも、俺は、イギ国が必ず絡んでいると踏んでいる。だから、一刻も早く、このことを伝えるべきだと思ったんだ。それが、イギ国への抑止力にもつながるに違いないからな」

 言葉通り受け止めるほど、ラフマンは愚かな男ではない。

 仮にも、アルサル族の中でも、大きな地位を占めている男だ。アルスランの話で、オグズ族の中にイギ国と手を組もうとしている存在がいることに、気づいただろう。

 しかし、アルスランは確信していた。

 エフタル族やコーカンド族がバカラ族に舵を切り始めている今、アルサル族にとって、オグズ族が数少ない頼れる部族だということを。オグズ族の不協和音を利用し、その縄張りを奪うということは、今のアルサル族にとって、高すぎるリスクに他ならないのだ。

 それよりも、差し伸べられた手を握って外敵を利用し、シャモル地方を一つにまとめた方が、アルサル族には都合がいいに違いない。しかも、それがアルサル族のいち早い呼びかけによって成し得たとなれば、昔の威光を取り戻すことも、夢ではないのだ。

 ラフマンはあごに手をやり、真剣な眼差しで考えていたが、ふと、顔を上げた。

「状況は分かった。で、私たちは、何をすればいい? ……その噂を、風読み司を使って流せばいいのか?」

「そうしてもらえると助かる。……そうなれば、イギ国の者も動きにくくなるだろうし、ばらばらになりかけているこのシャモル地方を、一つにまとめることもできるだろう」

「……そうだな。明日にでも、風読み司から伝えることにしよう」

「ありがたい」

 ここまで来た目的は、果たせた。大きな犠牲を払ってここまで来たアルスランにとって、最低限、手にしたい成果だった。

 それでも、心が晴れることは、決してなかった。

 ふと、隣を見ると、そこには、いつもそばで支えてくれたクリチュの姿は、当然ない。この現実をすぐ受け入れられるほど、心の整理はついていなかった。

(果たして、お前は見てくれているだろうか……)

 思いは募り、不意に涙がこぼれそうになるのを振り払おうと、酒がなみなみ注がれている器に手を伸ばした。そして、小さな器を一気に傾け、飲み干した。

 その様子を静かに見守っていたラフマンは、すぐに、新しい酒を注いだ。

 その時、ふいに、女の甲高い声が聞こえた。

 見ると、白い仮面をつけた女役が、男役である赤い仮面の演者の足元へ、身をよじらせてすがり付いているところだった。それを、振り払おうとする赤い仮面の男。どうやら、別れの場面のようだ。

 その芝居を、酒が入った器を傾けながら、ぼんやりと眺めていると、ラフマンがぼそっと呟いた。

「……そういえば、一緒に来たあの女性、婚約者か、何かなのか?」

 アルスランは、思わず口に含んでいた酒を吹き出した。

 その光景に、一瞬、きょとんとした表情を浮かべたラフマンだったが、すぐににやっと笑うと、肘で小突いた。

「なに、照れることはないだろ? ちらと顔を見たが、なかなかかわいい娘だったじゃないか。でも、あの娘は、オグズ族がいる北方の出ではないな。どちらかというと、この辺り、南方に多い部族の特色を持っているように見えたが」

 ゲホゲホとむせながらも、アルスランは手を横に振った。

「違う、違う。そんなのじゃないんだ……」

 そう言いながら、ニルファルと出会った時のことを思い出す。と、再び、クリチュのことが思い出され、心臓を鷲掴みにされたような痛みがズキンと走った。

「そんなことを言って……。じゃあ、誰なんだ? 妹だとでも言うのか?」

 明るい調子で続けるラフマンの言葉が、胸に突き刺さる。その痛みに、わずかに顔を歪めながら、アルスランは話を切り出した。

「実はな……」


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