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苦しみを吐露

 陽も傾き、辺り一帯が燃えるような緋色に染まるころ、ニルファルは帰ってきた。川で洗濯をしていたようで、大量の衣服が詰め込まれた籠を頭に乗せていた。

「あら、どうして外なんかにいるの? 傷が痛むの?」

 先ほど鞭で叩かれたことなど微塵も感じさせない、弾んだ明るい声だった。いや、わざとそう装ったのかもしれない。打たれた手は頭上の籠を押さえており、この眩い夕焼けの中、傷の程度を確認することは叶わなかった。

「一度、ユルトへ戻って傷口を見てみましょう、もう、あまりできることはないと思うけど。そのあと、すぐに夕餉の準備をしなくちゃならないの。あなたの分も作るから、できたらここに持ってくるわね」

 籠を下ろしながら早口でまくし立てる言葉を、しかし、アルスランは遮った。

 そして、不思議そうな表情を浮かべるニルファルに切り出した。

「俺は、もうここを出るよ。十分世話になった、ありがとう。これを摘んでおいたから、あとで傷口に使うといい」

 そう言って、先ほど摘んだシフキを差し出した。

 ニルファルは、差し出されたものを前に固まった。そのように、アルスランには見えた。

 先ほどの不自然なまでの明るさは、すでにそこにはなかった。何かを迷っているのか、じっと見つめながらも何度か口を開きかけるのだが、つぐんでしまう。

 しかし、最後には意を決したように、アルスランを見上げた。

 そのあまりの真剣な眼差しに、悲壮感さえ浮かんでいるようだった。

「……皆が話していたんだけど、あなたは、あのオグズ族の族長の息子さんなの?」

 アルスランは、一瞬言おうか言わまいか迷った。

 クリチュを除き、部族の仲間には、何一つ告げずに出てきた身だ。それに、あの子どもたちの反応。オグズ族の族長の息子だと明かすのは、あまり得策ではないかもしれない、そう思ったのだ。

 しかし、なぜか、このニルファルのまっすぐな瞳に見つめられると、嘘をつく気にはなれなかった。それに、意識がぼーっとする中で聞いたあの会話からして、隠し通すのも、土台無理なことも分かっていた。

「……そうだ、俺はオグズ族族長ファルハードの子、アルスランだ」

 瞬き一つせず、じっと見下ろしながら話すアルスランの視線を、ニルファルは真正面から受け止めていた。そして、そのまま視線を逸らすことなく、質問を重ねた。

「……この後、どこに行こうとしているの?」

「……アルサル族の野営地だ。用がある」

 そう言った瞬間、ニルファルの瞳がぐらっと揺れた。と同時に、シフキを握っているアルスランの腕を思いっきりつかんだ。

「お願い! 私も連れてって!」


 突然の申し出に驚きながらも、腕に取りすがるニルファルを、アルスランはなんとかなだめた。要は、こういうことらしい。

 半年ほど前、ニルファルは、南部に住まう小さな部族から、このサカ族のところへ嫁いできた(彼女の肌や衣装が南部の部族によく見られるものだった理由は、そういうことだった)。祖母がこのサカ族の出だということで、細々ながらも交流があったのだという。

 当初、縁談が決まったと聞かされたニルファルは喜び、嫁入り道具としてたくさんの「ナズース」を携え、意気揚々と嫁入りしたのだが、すぐに、その気持ちは後悔の念にとって代わった。主人となった男は、些細なことですぐに手を上げる男だったのだ。食事の準備がまだ済んでいないとか、先ほどのように、「ナズース」の進みが遅いとか、なにかと難癖をつけて、手を上げるのだという。

 自分の部族にそんなことをする男はいなかったため、最初は驚き、反論もしたが、その度に、男の暴力も激しさを増し、いつしか、抵抗する気持ちも失せていった。ここ最近は、家畜に言うことを聞かせるために使う鞭まで持ち出す始末で、ますますその暴力は過激さを増していっているという。

 これまで何度となく、夫の暴力に関して周りに相談してきたが、この部族ではそう言った慣習が古くからあり、部族の女性たちは、そういうものだと達観しているんだという。また、家元に戻りたくも、すでに父は亡く、結納時にもらった持参金を返すこともままならない(シャモル地方では、結婚をする際に、花婿側がたくさんの結納金を用意し、花嫁側に贈る習慣がある。代わりに、花嫁側は、幼少の頃から作り続けてきたたくさんの「ナズース」を、嫁入り道具として持参する)。返せなければ、離縁は難しく、また、後見人たる父がすでに亡くなっている以上、実家も頼りにはならないのだ。


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