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弟の死

 温かいものが、後頭部に触れた。

 その温もりが、深い眠りについていたアルスランを、優しく呼びさました。

 アルスランはゆっくりと目を開けた。まだ頭がぼんやりする。

 それでも、すぐ目の前に、ユルトの生地があるのが見えた。どうやら、壁側に置かれたベッドの上で、横向きに寝かせられているらしい。

 後頭部に感じていた温もりが、ふっと消えた。と同時に、はっと我に返る。

(ここは、どこだ?)

 確か、昨夜は野宿していたはずだ。ユルトの中に、いるはずがない。

 そう思ったアルスランは、ぱっと飛び起きようとした。

 しかし、すぐさま頭に鋭い痛みが走り、呻き声を上げながら、その場で身を屈めてしまった。

 その気配に気付いたのか、アルスランに背を向けて、何かの作業をしていた女が振り返った。

 アルスランよりいくらか年上に見える女は、鮮やかな赤地に、いくつもの花や草の刺繍が施された膝下までのチュニックを身にまとい、くるぶしまである白いズボンと、赤い被着を身に付けていた。南部の出なのか、肌は健康的な小麦色をしていた。

「大丈夫? 頭にひどい怪我を負っているから……。あなた、一昼夜、寝込んでいたのよ。でも、薬を塗ればじきによくなるわ」

 護符が入った銀の首飾りを揺らしながら女は言うと、前屈みで呻いているアルスランに手を貸し、横向きに寝かせた。

「ちょっとしみるかもしれないけど、我慢してね」

 そう言って手にした器には、どろどろになるまですりつぶしたなにかが入っていた。薬草だろうか。

 女はベッドの脇に屈みこみ、それを、アルスランの後頭部に塗りだした。

 すぐさま、痛みが走る。思わず顔をしかめたが、我慢できないほどではなかった。

 痛みに耐えながら大人しくしていたアルスランは、目だけをあちこちに動かしながら、訊ねた。

「……ここは、一体?」

「ここは、サカ族の野営地よ。あなたたちが盗賊に襲われていたところを、うちの部族の男たちが助けたの。覚えてないかしら?」

 あの炎に照らされた男たちは、盗賊だったのだ。

 普段、放牧などで野宿をする際は、盗賊を警戒し、熟睡しないよう心がけていた。しかし、昨夜は一日中馬を走らせた疲れからか、すっかり眠り込んでしまった。

そんな自分が情けなく、また腹立たしくもあった。

「そういえば、クリチュは? もう一人、男がいただろう」

 ふと訊ねた問いに、返事はない。女はただ、黙々と手を動かしている。

「俺と一緒に野宿していた男だ。弟なんだ」

 それでも、返事はなかった。

 なにか、嫌な予感がする。腹の底から、不安が這い上がってくる。

 女は薬を塗り終わると、アルスランの体を起こし、ベッドに座らせた。そして、傷口にきれいな布を当て、包帯で巻いていった。

全ての処置が終わると、ベッドの脇に立ったまま、話し始めた。

「弟さんだったのね……」

 それから、ポツリポツリと、事の顛末を話してくれた。

 夜遅く、馬の鳴き声と男の罵声が、このユルトまで聞こえた。少し離れたところで、旅人が野営の準備をしているのを見かけていたので、彼らが盗賊かなにかに襲われたんだ、とすぐにわかった。ここ最近、盗賊の出没が増えているという。

 すぐさま、部族の男衆が助けに駆けつけた。しかし、駆けつける音に恐れをなしたのか、盗賊たちは、すでに逃げ去った後だった。そして、そこに残されていたのは……。

「頭から血を出して倒れているあなたと……。うつ伏せに倒れている男性が一人いたの。その男性を仰向けにすると……。腹に短剣が刺さったまま、大量に出血していたそうよ。すでに、事切れていたらしいわ」

 すっと血の気が引いた。目の前が、真っ暗になったように感じた。

(事切れていた……? 死んだというのか……? クリチュが?)

 思いもしないことに、瞳も口もポカンと大きく見開いているアルスランを、女は悲痛な面持ちで見つめた。

「あなたはというと、怪我を負って意識は失っていたけど、息はあったから、このユルトに運びいれたの。残っていた荷物も、運び入れているわ」

 しかし、その声は、アルスランの耳に届いていなかった。ただただ、クリチュが亡くなったということが、頭の中でぐわんぐわんとこだまする。

(クリチュが、死んだなんて……。そんなはずは……)

 その時、ある光景が頭に浮かんだ。

 焚き火に照らされた幾人もの男たち。直後に、頭に強い衝撃を受け、意識が遠退いていく中、耳にした叫び声……。

「……クリチュは。……俺の弟は、今どこに?」

 かすれ声しか出ない。

「……遺体をそのままにしてはおけないから、日の出とともに、すぐにお墓を掘って、埋葬したの。あなたたちが野営していたところよ」

「……そこに、俺を連れてってくれないか?」

 墓を見届けるまでは、クリチュの死を信じることなど、できるはずもなかった。


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