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序章

「早く戦闘態勢に入れ!」

「くそっ!」

「ヒヒーン!」

 罵声や馬の嘶く声、それに、たくさんの人や馬の駆けずり回る音が混じりあい、辺りは混沌と化している。

 強風が大地を吹きわたり、舞い上がる粉塵で視界が悪い。それでも、鎧に包まれ、整然とこちらに向かってくる敵の気配は感じられた。

 とその時、ヒュン! という空気を切り裂く音が、アルスランの耳元をよぎる。矢だ。

 間を置かず、いくつもの矢が、天から降り注いでくる。

「迎え撃て!」

 父ファルハードの怒声が、近くに聞こえる。

 アルスランは、すぐさま愛馬スユンチに跨がると、矢をつがえ、放った。矢は、勢いよく飛び、そして、砂ぼこりの中へ消えていった。

 次々と矢が放たれる中、アルスランは、ふと空を見上げた。

 そこには、大きな輪を描きながらゆったりと舞う、飛竜たちの姿があった。いつもであれば、その強力な火力を武器に、アルスランたちを援護してくれるのだが、今日はその気配が見られない。地上で起こっていることなど関係ないとでもいうかのように、悠然と空を舞う姿は、むしろ神々しささえ感じられた。

 わあぁ! という大気が震えるような声が、前方から上がる。ついに、先陣が敵とぶつかったのだ。と同時に、武器同士のぶつかり合う金属音があちこちから起こる。

「射れ、射れ!」

 喉が張り裂けんばかりに声を荒げる父の命令が耳に飛び込んでくる。敵が、この場になだれ込んでくるのも時間の問題だろう。

「……っく! いったい、どうしてこんなことに!」

 アルスランの声は、混沌とした戦場に飲み込まれていった。

 

 風が大地を吹き渡る。

 日も暮れて、茜色から次第に藍色が優勢になりつつある空の下、地平線まで続く草原の草花が、ざあっという音を立てて、大きくうねった。遥か遠くに見える高い山々の他には何も遮るものがないこの草原は、初めて目にする人にはただ圧倒される光景だが、今この地に立っている若者にとっては、幼いときから見慣れたものに過ぎなかった。

 その傍らに、草を食んでいる馬の姿がある。数百頭はいるだろうか。それぞれが思い思いの場所で、せっせと食事に夢中になっていた。

 その姿を見つめる若者の漆黒の瞳は、きりりとした同じく漆黒の眉と相まって、強い意思を内に秘めているような鋭い輝きを宿していた。年の頃、二十代半ばといったところで、膝丈まである黒くて厚い布地に、白い絹糸で刺繍が施された胴着を身にまとい、ふさふさの毛皮が縁についた丸い帽子を被った若者の体格は、この厳しい自然を相手にしているだけあって、がっしりとしている。周囲には他に人はおらず、どうやら彼一人で馬の放牧を行っているようだ。

 と突然、頭上から「ピー!」という甲高い音が聞こえた。

 見上げると、そこには、鳴き声からは想像しがたいほどの、大きくていかつい姿をした生き物が悠然と空を舞っていた。

 飛竜だ。

 鋼のように固い鉛色の鱗に全身を被われた飛竜は、その場でゆっくり旋回すると向きを変え、星が瞬き始めている東の方角へと飛び去っていった。

 飛竜は、とても誇り高い生き物だ。一部を除き、人に慣れることはなく決してなく、大自然の中を強く……、いや、大自然と共に生きていた。

 人が近づくことを拒み、時にその怒りに触れた人を殺すことさえある飛竜は、しかしひとたび戦になると、風読み司の呼び掛けに応じて現れ、その大きな羽で生み出す竜巻や、どんなに堅いものでも噛み砕く鋭い牙でもって、大いに活躍してくれた。その姿からは、自分の仲間を守ろうとするかのような、確かな絆さえ感じられるのだった。

 その後ろ姿を見送っていた若者は、ふと、こちらに馬を走らせてくる者がいることに気がついた。一瞬だれかと訝しんだが、すぐに見知った者だと分かると、肩の力を抜き、草を食んでいる馬の方をちらと見やった。

(もう、十分食べただろう。ちょうどよい頃合いだな……)

 そう思っている間にもその者はみるみるうちに近づいてきて、すぐ側まで来ると下馬し、親しみを込めた声で話しかけた。

「兄者、父上が戻られましたよ」

 兄者と呼ばれた若者は、目の前で笑顔を浮かべている弟を見つめた。

 背はあまり高くなく、男にしては華奢である。それでも若者と同じ漆黒の瞳やきりりとした眉は、二人が血のわけた兄弟であることを示していた。それに、体格に恵まれなかった代わりに、弟には部族の中でも類いまれなる知性が備わっていた。そして、とても優しい心根も。それは、この厳しい環境の中を生き抜いていくには不利なのかもしれないが、若者はそんな弟を心から大切に思っていた。

「そうか。今回はどちらに行かれていたのだろうな。行き先を告げずに出掛けるのも珍しいものだが……」

 部族の長である父が、何日にもわたる外出をすること自体珍しいことではなかったが、行き先を告げずに、ということは珍しいことであった。

 そう、彼は族長の長男で、次期族長になることが約束されている立場にあった。部族の誇りでもある馬の放牧を一手に任されているのも、その期待の表れと言えよう。

「そうですね。少しお疲れのように見受けられました。

 ところで、馬たちはしっかり餌を食べたのでしょうか、アルスラン兄者?」

アルスランと呼ばれた若者は、辺りで草を食んでいる馬をもう一度見渡した。

「大丈夫だ、クリチュ。この辺りは新鮮な草がまだ残っていたからな」

 それを聞いた弟クリチュは、満足そうにうなずいた。

「そうですか、それはなによりです。

……では兄者、参りましょう」

 そう言うと、クリチュはさっと馬にまたがった。

 アルスランは片方の手を口に加えると、ピーッと鋭く吹いた。

 すると、光沢のある黒い肌を持ち、均整のとれた体格をもつ一頭がピンと耳をそばだて、音がした方を振り向いた。そして、アルスランがそこにいるのを認めると、たったと軽快な足どりで駆け寄ってきた。アルスランは足元に置いておいた荷物の中から鞍とはみを手にすると、馬に装着し、弓などを含む他の荷物を鞍の後ろへくくりつけた。そして何本もの矢が入っている矢筒を紐で腰に結わくと、あぶみに足をかけ、颯爽と馬にまたがった。

 馬上の人となったアルスランは、周囲にいる馬に目をやった。皆、草を食むのを止め、こちらを見ている。

 それを確認すると、「やっ!」という掛け声とともに、馬の脇腹に軽い蹴りを入れた。馬は軽くいななくと、夜の帳がおりかけている方角へと駆け出した。その後を、他の馬たちが続いた。

 クリチュも、アルスランに遅れまじと駆け出した。

 草原に馬たちの駆ける音が轟く。

 すでに日は沈み、彼らの長く伸びた影は、闇の中へ溶け込もうとしていた。



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