66.世界一優しいざまぁ
エリザは、セレナをストンとテーブルに腰かけさせると、腕によりをかけた料理を差し出した。
そこには、ブルジョアムカデの太い足が、毒々しい色のソースにまみれて、いまだうごめいていた。
「ぎゃああぁああぁぁああ! 魔物だぁあああああ! しかもまだ生きてるううぅううう!!」
びっくりして、セレナは飛び上がり大声を上げる。
「あの、新鮮で、とてもおいしいですよ?」
その様子を見て、エリザは、原因がわからず、ぽかんとしてしまう。
「おい……、せっかくの獲物の精神をかく乱するなよ……、味が悪くなってしまうではないか……」
魔王にぎろりと睨まれても、エリザにはピンとこない。
だって、このブルジョアムカデは肉厚で、そしてコクのある毒のソースを和えることで、それはえもいわれぬ、毒々しくてデンジャラス、加えて脳みそをひりつかせる味わいを感じさせてくれる、極上の一品のはずなのに。
「うふふ……、セレナさまのお口には、こちらが合うと思いますよ」
聞き覚えのある声がすると、エリザが腕によりをかけた、ブルジョアムカデは押しのけられ、代わりに、セレナの目の前には、人間が食べる用のおいしそうな料理が滑り込んできた。
セレナはいまだドキドキと高鳴る胸を押さえて、椅子に腰かけると、料理を差し出した白い手をたどっていく。
すると、バスラ王宮の正式のメイド服を着たアリシアが、にっこりとしながら、セレナを見つめていた。
「アリシア、どうしてここにいるの?」
「どうしてって、私はセレナさま付きのメイドなのですよ。側にお仕えしてはいけないのですか? これからも、ずっと……」
アリシアは両手を前に重ねて、照れたように顔を赤くして、セレナから目をそらしていた。
「……、ありがとう」
アリシアを見上げるセレナの瞳から、涙がこぼれた。そして、アリシアの頬にも涙が伝っていった。
「アリシア……好きよ……、これからはずっと一緒……」
「セレナさま、そんな、アリシアは、うれしいですっ……、……私も、……好きです……、んっ……」
二人は人目もはばからず、お互いの唇を触れ合わせていた。
エリザは耳の先まで真っ赤にしながら、両手で顔を覆い、その隙間からこっそりと仲睦まじい二人を眺めていた。
「いただきます」
デリカシーのない、いや、百合を眺める趣味のない魔王なのだろうか。二人の熱い抱擁などお構いなしに、食事を始めた。ちなみに、
リアナの食事はつい先ほど、封印の間ですませてある。いよいよ魔王がメインディッシュと言っていたセレナを食べる時間である。
といっても、魔王はセレナの心から解放されつつある、悲しみや憎しみの感情を食すのである。
その肉体をむしり取ったり、脳を吸い出したりする、というわけではない。
セレナがメインディッシュというからには、リアナよりも、セレナの方が、心に宿した憎しみや悲しみが多いということなのだろう。
魔王が両手を広げ、口を開ける。
そう、魔王が食事をするときのポーズである。
アリシアと熱い口づけをかわしながら抱き合っているセレナの全身から、真っ黒な瘴気のようなものが立ち上り、それが魔王の口にとりこまれていく。
「ああ……、待ち焦がれたぞ、この瞬間を。両親に見放され、妹からはいじめられた、獲物の悲しみ。そして復讐を決意させた、熱く煮えたぎるような憎悪……。さらには両親や妹への未練、や後悔、恋慕の気持ち。それらが混然一体となり、獲物の脳のなかで長い期間醸成されて、それが繰り返し繰り返し呼び起こされて、奇跡ともいえる風味や味わいをもたらして……、ああ。ぐはぁ……、これは、たまらん、ああっ……、やばい……、うますぎる……、ああっ!」
魔王はなにやら、グルメリポートらしきことを一人でつぶやくと、口からよだれを垂らしたまま、白目をむいて、坐ったままあおむけで気絶してしまった。
エリザはその様子に、そんなにセレナの感情がおいしいのなら、自分の食べてみようかなと思ったけれど、感情を食べるなんて、魔王にしかできないと思い当たってあきらめた。自分には、ブルジョアムカデをはじめとした、高級魔物料理があるのだから、いいんだ。
我にかえったセレナは、だらしない表情でよだれを垂らして、あおむけで座っている魔王を見て、びっくりしたようだった。
「なんなのこの人? 急に体をびくびく震わせたと思ったら、白目をむいて倒れて……、やばい薬でもやってるのかしら……」
セレナはおびえて、メイドのエリザに説明を求めた。
「心配しないでください。おいしい料理を食べて、感極まって気絶されたのです」
でも、その男、魔王の前には空っぽの丸皿があるだけである。
「おいしい料理って? お皿にはなにもないみたいだけど……」
セレナの疑問に、エリザは待ってましたとばかりに、答えた。
「それは、あなたの心です!」
「えっ? でも、そういえば、少し気分が軽くなって……、いえ、とっても、心が軽いわ……、もしかして、本当に私の心を食べられちゃったのかな?」
セレナは実家を追い出されてから、感じたこともないくらいに、心が軽くなっているのがわかった。
生まれ変わらなければ抜けないと思われていた、セレナの心に深く突き刺さった氷の刃が、きれいさっぱりと消えている。
メイドのエリザがいうことが真実かどうかは別として、心が軽くなったのは事実である。だから、感謝の気持ちを伝えようと、もう一度振り返る。
「ありがとう、エリザさん、そして魔王さま……」
でも、いつの間にかテーブルは消えていて、エリザの姿も、おかしな黒服の男の姿も、幻のように消えていた。アリシアも、あっけにとられたように、周囲を見回していた。
代わりに、セレナの見つめる目線の向こうには、憎んでも憎み切れない女。そして、愛すべき妹、リアナがたたずんでいた。
お母さん特製の、青いドレスの裾が、春の穏やかなそよ風に揺れていた。
リアナはゆっくりと、セレナのもとに、歩みよってきた。足元には、春の草花が咲いている。
そして、セレナの目の前に立つと、にっこりと微笑み、ひとこと、とても愉しそうにつぶやいた。
「ざまぁみろ」
と。
(おしまい)
これまで読んでくれてありがとうございました。この話はこれで終わりになります。
頂いたブックマークや評価が支えになって、最後まで書ききることができました。
本当に、ありがとうございました。
また少し充電期間を経て、新作を書きたいと思っておりますので、その時はまた、お付き合いいただけると嬉しいです。
最後に、読んでくれて、ありがとうございました!




