28.熊のぬいぐるみを進化させるセレナ
おはようございます。読んでくれてありがとうございます。
すべては終わった……。リアナは、力なく、セレナの死体の前にへたり込む。
「リアナ、逃げよう!」
エリザが一緒に逃げようと、自分の腕を引っ張っているけれど、もうなにもかもどうでもよかった。一歩も動く気力がない。
マーガスは呆然自失となり、膝をつき、天を仰ぐ。
「セ、セレナさま……、ああ、俺はもう破滅だ」
こんな時でも、考えることは、自分の保身ばかり。
マーガスも、騎士たちも、観衆も、この異常事態に、どうすべきかわからず、ただ、静止していた。
その時、会場全体をやさしい声が包み込んだ。それは、たった今殺されたはずの、セレナの声だった。
「みなさん、心配しないでください。私は創造神により選ばれた、”薬師の聖女”なのです。神の御業で、私は、いまからよみがえります」
空の雲からは、一本の光の筋が差し込み、その声は、まるで天界から聞こえてくるようだった。
リアナも、そしてエリザも、逃げることも忘れて、かたずをのんで様子を見守る。
セレナが死んでいない。それは、リアナにとって復讐を終えていないことを意味する。
だとしたら、このまま大雪原の封印の間に帰ることはできないのだった。
血だまりに転がる、セレナの胴体の指がピクリと動く。そして、もぞもぞとまるで自身の首を探すかのように、手を動かし、床をはいずる。
そして、首をつかむと、体の切断面とピタリと合わせる。
ぐちゅぐちゅと音を立てて、切断面からは、肉が急激に増殖して盛り上がり、傷を修復しているようだった。
やがてそれは癒着し、接合を果たした。
血まみれのセレナの顔。その目がカッと見開かれ、ぎろりとリアナを見た。そして、唇をゆがめて、愉しそうに笑う。
まるで、弱い物いじめを楽しむかのような、表情だった。
「うふふ、残念ね……」
血まみれの顔に、いまやまだらに赤くそまったドレスで、セレナはリアナの前に立ちはだかる。
「セレナ……、あなた、アンデットだったの?」
「違うわ……、忘れたの? 私はどんな薬でも作れる、天啓の才能”薬師”を持っているのよ。”超再生”の効能がある薬を作って、飲んでおいただけよ。やっぱり、飲んでおいてよかったわあ~~」
セレナは自画自賛するように、パチパチと手をたたく。
”超再生”それはきっと、傷ついた組織を、人間ばなれした速度で修復する効能なのだろう。
エリザは、不気味な光景を見て震えているリアナの背中にそっとささやく。
「リアナ、一度戻ろう」
「そ……、そうだね……、くそっ……」
リアナは未練があるようだが、仕方なさそうに、剣を納める。
大聖堂前に創った、魔王の道で、あばら屋へ。そして、さらにそこから、封印の間へ戻る。
戻った後は、魔王に魔王の道を閉じてもらう。
もっとも、復讐を遂げられなかったリアナを連れて帰っても、魔王は納得しないだろう。
でも、死んでしまっては、元も子もない。だから、魔王もしぶしぶながら、協力してくれるだろう。
エリザはそう考え、リアナの手を引いて、大聖堂へ向けて走り出す。
しかし、そこには先ほどリアナが切り殺した3人の騎士たちが、馬にまがたり、立ちはだかっていた。
きっと、こいつらも、セレナの”超再生”の効能が付与された薬を飲んでいたのだろう。
「ばかね……、逃がすわけないじゃない……ねえ、ジュシュアちゃん」
セレナは血まみれのドレスの胸元から、一匹の熊のぬいぐるみを取り出した。
それは、真っ黒に焦げていて、片耳が焼け落ち、まだらに地肌があらわになっていた。
「それは……、あの時の……」
「そうよ、あなたが暖炉に放り込んだ、私の唯一人のお友達、熊のジョシュアちゃんよ。こうしていつも一緒にいるのよ」
黒焦げの熊は、リアナに過去の過ちを思い起こさせて、胸が苦しくなる。
自分がセレナにしてきたひどい仕打ちを思い出して、復讐の気持ちがぐらりと揺らぐ。
しかしすぐに、セレナが自分を見捨て、オークの国へ売り飛ばしたことを思い出し、踏みとどまる。
「うふふ……、ジョシュアちゃ~ん、お昼の時間よ~」
セレナはドレスの中から小瓶を取り出して、ジョシュアに含ませる。
ジョシュアの口からだらだらと、液体が零れ落ちる。
すると、ジョシュアがむくむくと膨らみだし、あっという間にセレナの後ろにある馬車よりも大きくなっていく。
大きくなるにつれて、その痛々しい傷や、焼けただれた耳や皮膚があらわになり、醜さが増していく。
そして、それはさらに巨大化し、空をその真っ黒な巨体で覆い隠していく。
「う、うわぁ~~」
大聖堂前の広場に集まっていた観衆は、散り散りになって逃げていく。
それは、巨大化したジョシュアが、まるでアンデットのように、醜悪で邪悪な表情に満ちていたからだ。
「セレナ様、何をなさっているので……、あの、その怪物は、一体何なのでしょう?」
次々と起こる想定外の事態に、マーガスは混乱していた。
セレナはそんなマーガスに向かって、何も言わず、冷たい表情で胸元から取り出した小瓶を投げつける。
小瓶はマーガスの目の前で割れると、シュウと音を立てて白い煙を上げ始めた。
「あ……、セレナ、さ、ま……、なにを……」
煙を吸ったマーガスは、その場で倒れ込み、あっという間に眠りにつく。
小瓶から溢れる煙は霧となり、次第に広場に広がっていき、町中を覆いつくした。
逃げ惑っていた人々も、ばたばたと折り重なるように倒れ込み、眠りにつく。
護衛の騎士団も、鉄砲隊も、眠りこけていた。
エリザ達は、氷の幕により、霧を吸うのを免れていた。
「うふふ…、教えてあげる。これは、眠り薬。しかも起きた時は、眠る前の記憶はなくなっているという、おまけつきよ」
不気味に笑うセレナの後ろで、いまや大聖堂と同じぐらいにまで巨大化したジョシュアが、よだれを垂らしている。
「そして、私の薬で、ジョシュアちゃんを進化させたの。リアナ、お前への恨みをはらすためにね!」
セレナが叫ぶと、ジョシュアの丸太のような巨大な腕が、リアナめがけて振り下ろされる。
その指先には騎士の槍ほどもある、真っ黒な爪が光っていた。
「土の壁!」
逃げるのが間に合わない! エリザはとっさに、防御魔法を発動させる。
しかし、鋼鉄の強度があるはずの壁は、まるで子供が砂遊びで作った山のように、簡単に破壊された。
それでも、逃げる時間を稼ぐのには役立った。
エリザは、リアナの手をひきながら、大聖堂の階段上にある、魔王の道に向けて、必死で走る。
しかし、ジョシュアが一歩踏み込むだけで、あっという間に、エリザ達の目の前に立ちはだかる。
「リアナ、お前に私は殺せないよ…」
背中に、セレナの冷たい声がする。
遥か上で、ジョシュアが口から炎を吐きだした。
エリザは土の壁を呼び出して、精一杯抵抗する。
しかし、次第に土の壁が、高熱で赤く染まり始め、溶けだしていく。
あの炎を食らったら、きっと骨も残らないだろう。
「熱い…、もうだめかも、リアナ、ごめんね……」
「ううん、ありがとう……、今度生まれかわったら、わがままいわずに、いい子になるよ……」
「うん……、でも、もう、限界……」
エリザの両手から、力が失われて、両手を地面について、倒れ込む。
最後に見たのは、真っ赤に燃え盛る、炎だった。それは、セレナの憎しみのように、エリザは感じられた。
(つづく)
今日は、あと2回更新の予定です。