10. 訓練初日
(恋する眼鏡男子ダライ目線)
『凛』という言葉が、これ以上似合う女性が他にいるだろうか。
自分の身長よりも大きな弓を構え、弦を引くその姿は彫刻のように美しい。まるで、そこだけ時間が止まったかのように、その人は一点を見据え静止している。
「!」
彼女の指から矢が離れ、勢いよく空へと吸い込まれてく。
グングンと矢は飛距離を稼ぎ、ついに見えなくなったかと思うと、火竜が一匹地に落ちた。
「王様。これが、私の弓でございます」
「……見事だ」
誇らしげに頬を上気させて白い歯を見せるリリ姫を見て、なぜだか私も誇らしくなった。
王との謁見の後、リリ姫を土竜へと案内しようと踵を返した私は、ゼダ王子から呼び止められた。
ちょいちょい、と人差し指で手招きされて王子の側に行くと、グイッと腕を引かれた。リリ姫に背を向ける形で肩を組まれ、耳元で王子が囁く。
「悪いが、リリはもらうぞ」
「!?」
突然すぎて、何を言われたのか理解が追い付かない。頭の中で咀嚼して「それは駄目です」と反論しようとした時には、既に王子は立ち去った後だった。
リリ姫から「体調が優れないようですが、大丈夫ですか?」と心配そうに声をかけられて、自分が呆然としていたことに気付く。慌てて「大丈夫です」と笑ってみたが、姫は更に眉をひそめて「早く帰りましょう」と私の手を握った。
(止めていただきたい! 心臓が破裂するじゃないですか)
突然のスキンシップに、またも頭が混乱する。
「未婚の女性が男の手を握るなど言語道断です。軽はずみな行動は控えていただきたい」と、いつもの私なら苦言を呈するところだが、何故か言葉が上手く出てこない。
代わりに、私は姫の手を握り返していた。
(王子……こればかりは、譲れません)
生まれて初めて王族に逆らう決意をした瞬間だった。
◇◇◇◇
(リリ視点)
ダライ様の様子がおかしい。
王との謁見の後、ゼダ王子に呼び止められて何かを囁かれたダライ様は、茫然自失といった感じで立ち尽くしていた。
一度小さく呼びかけてみたが、まるで反応がない。心配になって顔を覗き込むと、酷く顔色が悪かった。
「体調が優れないようですが、大丈夫ですか?」
思わず声をかけると、ダライ様は顔を歪めて「大丈夫です」と答えてくれた。だが、どう見ても大丈夫そうではない。私は唐突に、浮気したお父様がお母様から怒りの鉄拳を喰らわされた時のことを思い出した。心配して駆け寄った私に「大丈夫だ」と答えた父と、今のダライ様は同じ顔をしている。あの時父は肋骨を3本折られていた。要するに、この顔は大丈夫じゃない時の顔だ。
王子に何を言われたのかは分からないが、よほどショックなことを言われたのだろう。
「早く帰りましょう」
私は勢いよくダライ様の手を掴んだ。
一瞬、行儀が悪いと叱られると思って身構えたが、意外にもダライ様は私の手を握り返してくれた。
それほど動揺していたのだろう。
なんだか、ダライ様がデカい子犬に見えてきた。
(何があったか知らないけど、ダラちゃんを虐めるなんて……王子許すまじ! イケメンでも許さん!)
勝手にダラちゃん(大型犬。雄。5メートル級)の飼い主になった気になって、私は胸の中で拳を握りしめるのであった。
◇◇◇◇
二日後。
早速王宮の裏手にある弓道場で指導が始まった。
元々、ギガン族の弓道場は射程距離を100メートルほどに設定していたそうで、この間の私のパフォーマンスを見て急遽100メートル追加し、200メートルまで伸ばしたらしい。
私の矢はこの10倍は届くのだが、初心者に教えるならばちょうど良いくらいだろう。
どうなることかと不安で仕方なかったが、弓道場に着いた時には既に30人以上のギガン族の戦士達が集まってくれていた。
ゼダ王子が率先して教わる姿勢を示してくれたこともあり、思いのほか順調な滑り出しだった。
しかし、一日教えてみて、純血のギガン族と思われる面々はチャド族のゴリラ以上にゴリラであり、弓道には向かない性質であることが判明した。
とにかく、じっとすることが出来ないのだ。弓を中途半端に引いて、適当に放ってしまう。偶然でも当たれば大袈裟に自慢するし、外しても気にしない。おまけに、剛腕で乱暴に扱ったせいで大事な弓が一張壊れてしまった。
それでもキラキラした子供の様な目で私の一挙一動に注目していたので、やる気だけはあるのだろう。
とはいえ、これ以上弓を破壊されるわけにもいかず、やむを得ず弓を習うのはエルフとの混血だけにしてもらった。可哀想だが仕方がない。
弓を壊されたことと、ギガン族男子のやる気を無下にしてしまったことで少し落ち込んだが、その代わり嬉しいこともあった。
なんと、文官であるダライ様が弓を習いたいと申し出てくれたのだ。
私としても、見知らぬ土地で自分より大きな男達に囲まれる環境に多少の恐怖心を抱いていたので、親しい人物が傍に居てくれることはありがたい。もしかしたら、私の心細さを察してくれたのかもしれない。やはり良くできた眼鏡紳士・名犬ダラちゃんだ。
しかし、剣はたしなみ程度に握ったことがあるとはいえ、弓矢に初めて触れるというダライ様は……実に下手くそだった。初心者だから仕方がないが、控えめに言って才能がない。
どうやったら後ろに飛ぶんだ。危なっかしくて目が離せない。
その一方で、弓も得意だというゼダ王子は覚えが早く、初めて触るはずの和弓を、たった一日で使いこなせるようになってしまった。
悔しそうに眼鏡をずり上げるダライ様の横で、楽しそうに私にハイタッチしてくるゼダ王子。
二人の様子が対照的で、どういう表情をすればよいのか分からず、私は終始微妙な顔をしていたに違いない。うう、気まずい。胃が痛い。
―――こうして、胃に穴を空けながらもなんとか穏便に乗り切ったその日の終わり。
ゼダ王子は王の元へ報告をしに、一足先に弓道場を後にしていた。
他のギガン族も次々に帰って行く中、数人の男達が挨拶代わりにとゼダ王子の真似してハイタッチを求めてきた。
私がそれに応える度に、ただでさえ不機嫌だったダライ様の目が更に怖くなっていく。黒いオーラが噴き出しそうな勢いだ。
「きゃあ!」
「!?」
私は思わず悲鳴を上げた。
調子に乗ったギガン族男子が肩やら腰やらに腕を回してきたからだ。こういう体育会系のノリにはチャド族で慣れていたはずなのに、自分よりデカい男はそれだけで怖い。
「リリ姫に何をする!」
あ、しまった。
と思った時には既に遅かった。キレた番犬ダラちゃんが男に襲い掛かっていた。
「ダライ様! 私は大丈夫ですから!」
慌てて止めに入るが、文官であるダライ様が戦士に敵うはずもなく、顔を殴られ眼鏡が吹き飛んだ。嫌な音がしたので歯が折れたのかもしれない。
「止めさせてください!」と周りのギガン族に懇願したが、皆、喧嘩が大好物らしく止める者はいない。そればかりか、「文官がいい気になってんじゃねえ!」「やっちまえ!」とダライ様の相手を応援するしまつだ。
不意に、男の一人がダライ様の腕を掴んで捻り上げた。
「だ、駄目です! 腕は駄目っ!!」
折るつもりなのだと気付き、私は思わず男の腕に飛びついた。
弓道を志す者の腕を折るなど、絶対にあってはならないことだ。
驚いた男の肘が顎に当たるが、そんなのどうでもいい。ダライ様の腕の方が、よっぽど大事だ……!
「何をしている!」
突然、ガツン、と大きな音がして、男が吹き飛んだ。
「大丈夫か!? リリ、ダライ!」
「……ゼダ王子ぃ」
騒ぎを聞きつけて戻って来てくれたのだろうか。
ゼダ王子の精悍な顔に安心して、思わず涙がぶわっと噴き出した。
王子は困ったような顔で私の涙を拭うと、テキパキと男達に指示をして、その場を収めてくれた。後で知ったのだが、ダライ様に暴行を加えた者とそれに加担した者には、弓道場への出入り禁止と数カ月の謹慎が言い渡されたらしい。
「酷くやられたな」
「放っておいてください」
怪我を治そうと伸ばしたゼダ王子の手を、パシッとダライ様が払った。フラフラと立ち上がり、私に顔を向けずに出口へと歩いていく。
「あのっ」
「そっとしてやれ」
声をかけようとした私の肩を、ゼダ王子が掴んだ。
ダライ様が私を置いて歩いて帰ってしまったと知ったのは、城を出る時だった。主人に置いてけぼりにされた土竜が「ぎゅううん」と鳴いている。
結局その日、ゼダ王子に見送られて土竜で屋敷に帰った私は、ダライ様に会うことが出来なかった。
せめて礼を言いたかったのにと、胸が酷く痛む。
―――そして次の日以降。
ダライ様が弓道場に現れることはなかった。
お久しぶりです!
メインで書いている『転生したら乙女ゲームのヒロインだったけど、一人で魔王を倒します』 https://ncode.syosetu.com/n9283fo/ が一段落したので、こちらを再開します。
長らくお待たせして申し訳ございませんでした!
頑張ります。応援していただけると幸いです。




