第93話「帝室の暗雲」
【前話までのあらすじ】
ベオグランツ帝国から皇帝のスパイとして学院に送り込まれてきたファルファリエ皇女。
一方、帝国内部では別の勢力が暗躍を始めていた。
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* * *
【反逆の導師】
「では『導師』よ、ファルファリエと父上との分断工作は上々という認識で良いのか?」
口ひげを整えながら、三十代ぐらいの男がうなずいている。
導師と呼ばれた魔術師は恭しく一礼した。
「左様にございます。これもギュイ殿下の御威光なればこそ」
歯の浮くような世辞だったが、ギュイはニヤリと笑った。
「世辞はよせ」
「いえ、ギュイ殿下はベオグランツ帝国の正当な皇太子でございます。傍流の小娘などとは比較にもなりません」
皇太子ギュイはますます笑う。
「世辞はよせと言っている。だがもちろん、そうあらねばならん。私が帝国を正しい道に導かねばならんのだから」
「はい、殿下」
導師にとっては、ギュイも帝国もどうでも良かった。
だが表向きは忠義者らしく振る舞う。造作も無いことだ。
「初回はしくじりましたが、以降は皇女の手紙をすり替えております」
「ほう、導師はそのようなこともできるのか。器用だな?」
「魔法で少しばかり深く眠らせれば、騎兵が運ぶ密書などどうにでもなりますので」
奪った本物の手紙はギュイに献上している。
手紙には十中八九、敵方の魔術師が何らかの魔法をかけているだろう。
導師も一応は魔法で検査してみたが、「怪しい」という程度の情報しか得られなかった。ゼファーやシュバルディンのような達人は魔法の痕跡を隠すのも巧みだ。
だが知ったことではない。
それで困るのは目の前の若造だ。
そしてその若造は、自分が利用されていることに全く気づいていない様子だった。
「父上にはマルデガル魔術学院の様子は誤って伝わっている。情勢を見誤り、いずれは戦を起こす気になるだろうな」
「誠に深謀遠慮の策略、まさに神業と申せましょう」
世辞ならいくらでも言える。魔力も金も要らぬのだから、使わねば損だ。
ギュイ皇太子は苦笑してみせる。
「おいおい、幇間を召し抱えた記憶はないぞ」
「殿下の歩まれる道がまことの覇道ゆえ、それ以外に申し上げることがないのです」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、本当にこの策で良いのか?」
ギュイ皇太子は微かに不安そうな様子を見せる。
「父上を誘導し、再びサフィーデとの戦いを始めさせる。そしてベオグランツ軍を大敗させる……」
「そうなれば民も貴族も将兵も、皆が陛下を見限りましょう。新たな皇帝を待ち望む声が高まり、譲位の追い風となることは疑いありますまい」
「しかしだな……」
ギュイは腕組みする。
「この策では帝国の将兵が多数死ぬことになる。お前の言葉通りなら、相手は『雷帝』の異名を持つ史上最強の魔術師だ」
「はい、大勢死ぬことになりましょうな。シュバルディンは先の戦で、帝国の軍勢をたった一発の雷で全滅させた猛者ですので」
「うむう……」
ギュイが悩んでいるので、導師は彼を説得する。
「百人を生かす為に一人を犠牲にするのが将の器にございます。万人を生かす為に百人を犠牲にするのが王の器にございます」
「しかし先の戦でも数千人の兵を失ったのだぞ。百人どころではない」
予想通りの反応に、導師はほくそ笑む。
「万人を生かす為に百人を犠牲にするのが王の器なら、百万人を生かす為に万人を犠牲にするのが王の中の王、皇帝の器にございましょう」
ギュイ皇太子はハッとしたような表情をして、それから険しい表情になる。
「……そうか、そうだな。帝国繁栄の為には、これも避けては通れぬ犠牲か」
「左様にございます、殿下」
愚かな若造は、まんまと導師の網にかかった。
そうとも知らずにギュイ皇太子は重々しく告げる。
「皇帝の冠を戴く為、私は万人を犠牲にする覚悟を持とう」
――その言葉、忘れるなよ。
導師は薄く笑うと、恭しく頭を下げたのだった。
* * *
学院に帰ってきた後も、ファルファリエ皇女は相変わらずまじめな一留学生として勉学に励んでいた。
ただひとつだけ、ちょっとした変化があった。
「ファルファリエ様、今日は中庭でお昼にしませんかー?」
ユナが窓の外から手を振っている。彼女の横にはアジュラとナーシアもいて、芝生でランチの準備をしているところだ。
魔術書を熱心に読んでいたファルファリエ皇女は、顔を上げると笑顔になった。
「いいですね。すぐ参ります」
「やったね!」
アジュラたちが年相応のはしゃぎ方で喜んでいる。どうやらすっかり仲良くなったらしい。
ファルファリエ皇女の反応もごく自然だ。もちろん他国に留学中の皇族として、些細な振る舞いにも気を配ってはいる。だが以前のような演技めいた言動は見られなくなった。
少しずつではあるが、彼女も学園生活を楽しみ始めた……のかもしれない。
うきうきとした感じで立ち上がったファルファリエ皇女だったが、ふと俺の方を振り返った。一瞬、少し気まずそうな顔をする。
「……なんですか?」
「何が?」
質問の意味を図りかねる。
「私を見ているのが、そんなに面白いですか?」
「ああ、とても面白い」
皇女といってもまだ子供だ。立場のある身だから大変だとは思うが、それでものびのびと育ってほしい。
するとファルファリエ皇女は年相応の反応をして、少し不満そうな顔をした。
「そうですか」
それから彼女はそっぽを向いて、ぽつりと言う。
「でしたらせっかくですので、スバル殿もお昼を御一緒しませんか?」
「俺はいいよ」
中庭で子供たちと一緒に仲良くお昼ごはんなんて、流浪の隠者シュバルディンのガラじゃない。
しかしファルファリエ皇女はニヤリと笑い返す。
「マリエさんもいますよ、ほら」
彼女が掌で示した先には、不満そうに食器を並べるマリエの姿があった。
ここからでは彼女が何を言っているのかはわからないが、どうせ「なんで私がこんなことを……」みたいなことを言っているんだろう。
そして不満そうな割に、やけに手際がいい。家事歴三百年の超ベテランだから当たり前だが。
そういえば俺たちの師匠も、ああやってみんなとお茶や軽食を楽しむのが好きだったな。やや人見知りする師匠だったが、逆に弟子とふれあうのは好きだった。
そしてマリエも……いやマリアムも、文句を言いながらも結構楽しそうにしていた。
ちょうどあんな風に。
ふと気づくと、ファルファリエ皇女がフフッと笑っている。
「どうですか?」
俺が昔を懐かしんでいる様子が、彼女には違う意味合いで受け止められたようだ。
「いやいい」
俺は決して、若返ったマリアムに見とれてなんかいない。そういうのではない。決して違う。
決して違うのだが、ファルファリエ皇女はニヤニヤ笑っていた。
「戦場には怖じけずとも、乙女の園には怖じ気づきますか?」
「そういうのでもないぞ」
俺はこれでも三百年以上生きてるからな。確かにまあ、女性ばかりの雰囲気は苦手ではあるが……。
やや劣勢になった俺は、ファルファリエ皇女に余計な一言を言ってしまう。
「それよりも君はもっと数学をやるべきだ。軍学も魔術も数学なくしては上達しない。経済学にも数学は必須だ」
「ご忠告感謝します。微分と積分……でしたか。あれも少しずつ学んでいるところです。どちらも帝国の発展に役立ちそうですね」
サラリと流された。この子、やっぱり手強いな。
「では私は乙女の園に赴いてきますので」
「ああ」
微妙に負けた気分でファルファリエ皇女を見送る俺だった。
あとさっきからマリエが俺を睨みつけてるのだが、あれはなんなんだろう……。
やはり乙女の園は怖い。
※新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で長らく更新を中断していましたが、連載を再開できる状態になりました。
※次回更新は来週の予定です。